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単身韓国に渡り1年、ドラマ制作した行定勲監督が到達した新境地「世界旅しながら映画は作れる」


行定勲監督が日本人として初めて韓国の公共放送KBSでドラマ「完璧な家族」を演出した。この作品には韓国のトップ俳優が出演し、日韓で同日配信され話題となった。監督は韓国での制作を経て、現地の制作スタイルを受け入れ自主的に変わる必要があると感じた。現地の撮影監督ユ・イルスン氏との出会いを通じて、違和感を楽しむことが大切であると悟った。今回の経験により、監督は世界各国での映画制作が可能だと考えるようになり、旅しながら身軽に映画を作ることができると確信している。また、これを機に自身の新たな作品作りにも取り組んでいる。

韓国の公共放送KBSで放送された、史上初めて日本人監督が演出したドラマ「完璧な家族」を手がけた行定勲監督(撮影・村上幸将)

<韓国でドラマ制作に挑戦…行定勲監督が語る> 後編

行定勲監督(56)が単身、韓国に渡って1年、ドラマの制作に初挑戦した。韓国の公共放送KBSで放送された、史上初めて日本人監督が演出した作品「完璧な家族」は、韓国のトップ俳優も出演し、日韓で同日配信されるなど両国で話題を呼んだ。同監督が、日刊スポーツの取材に心中を語った。後編は、制作体制の違いに苦悩を抱えつつも、時に自らのスタンス、意向を抑え、相手の土俵に乗って取り組むことで、監督として体得した進化の1歩について語った。【取材・構成=村上幸将】

   ◇   ◇   ◇

行定監督は、今夏の渡韓以前からアジア各国との合作での映画製作の経験が豊富だ。韓国・釜山を舞台にした10年のタイ・日本・韓国の合作映画「カメリア」の1編「Kamome」を手がけた。14年「真夜中の五分前」は、三浦春馬さんを主演にオール中国・上海ロケで製作。16年の東京国際映画祭で上映された、同映画祭と国際交流基金アジアセンターの共同製作映画「アジア三面鏡」では、作品の1編としてマレーシアを舞台にした「鳩 Pigeon」を手がけた。

他国と合作する際に、違和感が出ることが避けられないのは骨身に染みていた。その経験を糧に、今回のプロジェクトに挑むにあたって心持ち、そしてスタイルを大きく変えたポイントが1つあった。「違和感を受け入れてやる方が面白い」という考えから、これまでは他国との合作映画を製作する際、自前の製作スタッフ帯同させてきたスタイルをやめ、完全に単身で韓国に入り、現地の撮影監督とタッグを組んだ。今回、撮影を手がけたユ・イルスン氏は、18年「バーニング 劇場版」(イ・チャンドン監督)19年「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)22年の日本映画「流浪の月」(李相日監督)を手がけた韓国NO・1の撮影監督ホン・ギョンピョ氏の右腕として研さんを積み、人間性も素晴らしかった。

「彼と出会えたことが、まず大きかった。最初にやろうと思ったことは、まず彼が、どんな場所で、どんな視点を持って、このシーンを撮ろうとしてるかという考えを中心に、僕はそれを崩さずに演出するということ。ロケ場所とかカットを、ここから行こうというのも彼に任せた上で、尊重し、演出しました。例えば、彼は『カットを変えます』と言ったんだけど『変えずに、そのままついていったら、どうなりますかね?』みたいなことは言うんです。『それでも、できます』と言うから、そういうところで演出していく。画ではなく、状況で考えていったんです」

それまでは、現地で違和感を破壊してきた部分もあったと振り返る。

「いつも他人の土俵で自分の味方も付けて、ハレーションを起こしていたんですよ。それで苦労したんですね…準備していて、ダメになった中国映画もあるし。ものすごく苦労したんですけど。『鳩 Pigeon』の時に、プロデューサーとカメラと3人だけで(舞台のマレーシアに)行ってみたんです。現地に知り合いのエドモンド・ヨウ監督がいて、少し緩和された面もあったんですけど、空気が良かったんですよ。そういうことかと思って…」

「(今回は)12話、あるし、カメラマンが絶対、フラストレーションをためてしまう。それを僕が受けてしまうと、つぶれてしまうなと…だから、最初から回避策として僕しか行かない。1人で行くと、僕が村八分にされたら、監督なので制作が進まなくなる。そういうことにはならないよう、スタッフを丁寧にしようと。ユ・イルスンとの出会いが大きかった。彼が声をかけてくれた人たちは、彼を支えているから」

そうした経験を経て、たどり着いた境地がある。

「海外では(監督として)作品の中心にいても、何者でもなくなる。それでも、ドラマができるというのは、面白いなと、ちょっと思いました。例えば陶器もそうですが、中にある芯がなくなって、周りが形作られ、器だけちゃんとできているような…そういう感覚です。それだったら、いくらでも海外で作ることができる」

韓国で単身、1年にわたって制作に挑んだことで、より身軽に、世界のどこでも映画は作ることができると考えるようになった。

「旅しながらでも、映画は作ることができるんだなって。映画は、もっと身軽でいい話で、どんどんカメラも小さくなってきているから、カメラマンと俳優1人連れて行って。ちゃんと緻密に計画しながら、脚本はあって、場所だけ決めないで作っていくのは、できなくはないなと。結局は何を優先させるか、ということ。商業映画は、特にそうですがプロデューサー…どうしても、この企画をやりたいんだという人の熱量に沿うのが映画たるものだと僕は思うので、そこかなと思います」

作品へのプライドの持ち方も変わった。

「(製作していく中で、自らの思惑と変わってしまい)自分の作品じゃない、という葛藤はあったわけですよ。でも、今は、そこから否定している。自分の作品…なんて言っているのが恥ずかしい、何で、そんなこと思っていたんだろうと。相手も自分も培ってきたものがあって、そのズレはある。日本でも同じだと思えるようになりました」

行定監督は日本に戻り、10月には東京国際映画祭に参加。30日から12月1日まで、故郷・熊本で自身がディレクターを務める「くまもと復興映画祭」を開催する。同映画祭は、14年からディレクターを務めた熊本県菊池市の菊池映画祭を、16年4月に発生した熊本地震を機に「熊本地震の復興にまい進する熊本に映画の力で元気を与えたい」という思いから発展的に作り替え、翌17年3月に熊本市と菊池市でスタート。今年で7年目を迎える。

さらに、12月25~28日まで東京・紀伊國屋ホールで、自身が翻案・演出を務め、篠原涼子(51)と首藤康之(53)が出演する舞台「紀伊國屋ホール開場60周年記念公演『見知らぬ女の手紙』」が上演される。21年の「リボルバー~誰が【ゴッホ】を撃ち抜いたんだ?~」以来、3年ぶりに舞台を演出と精力的に動いている。

そんな中、新作の製作も進めていると明かした。

「僕らしさを今、見失っている。だから、久しぶりにオリジナル脚本を書いたらプロットが6本、書けてしまいました。自分らしさを取り戻そうとしている感覚です」

単身で異国に渡り、相手の土俵の中で、時に自らを抑え、さまざまなものを受け入れ、受け止め、新境地をつかんだ。それらを踏まえ、自らの原点を取り戻そうと渇望する今の姿からは、以前に全身から発していた激情とはひと味違う、静かな…それでいて痛烈に心に刺さってくる、青い炎のような強い意志が湧き出している。

◆行定勲(ゆきさだ・いさお)1968年(昭43)8月3日、熊本市生まれ。小学生の頃、熊本城内で黒沢明監督の「影武者」のロケが行われるのを見て映画監督を志し、熊本二高から東放学園に進んだ。岩井俊二監督、林海象監督の助監督を務め、00年の長編映画第1作「ひまわり」が韓国・釜山映画祭国際批評家連盟賞を受賞。01年「GO」で日本アカデミー賞最優秀監督賞など受賞多数。代表作は「世界の中心で、愛をさけぶ」(04年)「ピンクとグレー」(15年)など。15年の舞台「タンゴ・冬の終わりに」では第18回千田是也賞を受賞。

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