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山田邦子、昭和の芸能界の楽屋事情明かす「聖子ちゃんだってヘアメークさんいなくて」


お笑いタレントの山田邦子が、昭和時代の芸能界について語りました。彼女は当時、電車で移動したり自分で弁当を作ったりするのが普通だったと振り返ります。特に松田聖子は、すべてを自分で準備し、大きな荷物を持ってホットカーラーで髪を整えていたそうです。当時、スタイリストやヘアメイクを個人的に持つことが珍しく、その後の成功で聖子も個室楽屋を持つようになりました。また、山田の回想によると、八代亜紀は自分で衣装ケースを持ち込んでおり、彼女に衣装の購入場所を教わったことも明かしました。昭和の芸能界は、今よりも手作り感が強く、共演者と協力し合いながら過ごしていたと述べています。

山田邦子(22年8月撮影)

お笑いタレント山田邦子(64)が24日、TBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」(月~木曜午前8時半)に出演。昭和の芸能界について語った。

山田は自身のデビュー当時について「電車乗ってたりしてたのよ、昭和の時代は。みんな手作りの弁当作ってきたり。それが普通だった」と振り返り、「聖子ちゃんだってヘアメークさんいなくて。大きな荷物を持って、自分でホットカーラーでクルクルやってた」と明かした。

この日パーソナリティーを務めたお笑いコンビ、ヤーレンズの楢原真樹(37)は「今の倍以上取り巻きがいるイメージだった。今の芸能界の倍は華やかだと思ってた」と驚いたが、山田は「昭和の時代はみんなそうだった」と懐かしんだ。

山田は「八代亜紀さんも自分で衣装ケース持って入ってきてたのよ。八代さんに『キラキラの衣装はどこで買ってるんですか』って聞いたら教えてくれて。今でも私はそこ使ってるの、八代さんは亡くなってしまったけどね」と話した。

当時は松田聖子(62)との共演も多く、同じ楽屋で過ごしていたが「聖子ちゃんが飛び抜けてガーンと行って。早くスタイリストさんとかヘアメークさんを個人的に付けた人。そして(楽屋は)個室になった。それまでは大部屋だったから、励ましたり、セリフの練習したりしてたからね」とした。

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