浅原ナオトの小説「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」を、神尾楓珠さん主演、山田杏奈さん共演で描いた映画『彼女が好きなものは』が現在公開中です。
ゲイであることを隠して生きる高校生の純と、BL好きであることを秘密にしているクラスメイトの紗枝。思いがけず接近した二人は、紗枝が純のセクシュアリティを知らないまま、“ふつう”の男女としてつき合い始めるが……。
監督をつとめたのは、学生時代に自主映画からキャリアをスタートさせた、『にがくてあまい』(16)『世界でいちばん長い写真』(18)の草野翔吾さん。今回は、草野監督に映画について、原作への想いについて、お話を伺いました。
ーー本作拝見させていただき、本当に素晴らしかったです。監督が原作を読んだ時に「泣いてしまった」ということですが、本との出会いは、どういう経緯だったんですか?
プロデューサーの前原美野里さんから原作の小説とお手紙が送られてきて。それが2018年の末とかだった。3年くらい前ですかね。原作を読んでとても感動して、「この映画を撮りたいな」という気持ちは最初からあったんです。ただ、自分にこの題材を撮りきれるのか、とか、自分の力が及ぶのかっていう心配がありました。
それで、前原さんと会って、原作の魂を、一緒に映画にしていくことができるプロデューサーであることを、まず確かめたかったんです。例えば濡れ場を売りにして人を集める様な映画にはしたくありませんでした。実際に前原さんとお話したら全くそうでは無かったので、僕も挑戦したいと思いました。
ーー監督は、今の映画業界でセクシュアルマイノリティが消費されているなという感覚があったのでしょうか?
一切の問題意識とかテーマ性なく、「流行ってるから」くらいで作ってるんじゃないかと勘ぐりたくなるような作品はありました。今、日々セクシュアルマイノリティに対する議論とか価値観はアップデートされて、議論が活発な時代に突入していると思うんですけれども。なので、僕もまだまだ全然、足りないとは思いますし、間違うこともありますが、少しでも追いつけるように勉強しました。
ーー色々な事を調べたり勉強する中で、この映画に活かしたことってありますか?
映画に活かしたということではないんですけど、すくなくとも「LGBTを描いた映画」という大それたことは言わないようにしたいと思ってます。映画自体は、ゲイの男の子について描いていますけど、それ以外のLBTについては描いていませんし、そもそも理解者ヅラ、代弁者ヅラはできないなと思っています。
更に言えば原作にはレズビアンの女性が出てくるんですけど、映画の尺と私の知識では描ききれない部分があって入れていません。そんな中で、「この映画はLGBTを描いた映画なんです!」っていうのは、おこがましくて絶対に言えないなという気持ちがあります。その分、純というゲイの男の子は真っ直ぐ、出来るだけ丁寧に描きたいなと思いました。
ーー映画の中で「特にここには時間を大切に割きたい」という部分はありましたか?
美術準備室での、純の紗枝に対するカミングアウトのシーンですね。かなりじっくりやりたいと思いましたし、実際に時間をかけています。
ーー素晴らしいシーンで、私もすごく泣いてしまいました。後半に、純にとって色々な事が起きて、本当は辛かったはずなのに、表情は明るく感じたというか。前半の純の方があんまり生き生きしてないなと感じたんです。
その見方はすごく面白いですね!すごく良い感想いただけて嬉しいです。
ーーボロボロですし辛いですけど明るい純が見えたというか。月並みな表現で言うと、一皮向けて元気な純を感じたんですよね。
表情のバリエーションが増えると言うか、純の色々な感情が見えてきますよね。
ーー神尾さんの演技が本当に素晴らしかったです。
あまり神尾くんに演出を細かくした記憶がなくて。だいたい初日は探りながら作るものなんですが、結構すっと、僕がイメージしていた純になっていたので。あまりに僕が演出しなかったので「実は不安だった」って終わった後に言われました(笑)。想像通りの純だったので、僕がなんか言って崩れちゃうのも嫌だったし、褒めすぎて何か変になるのも嫌だと思って。ただ見ていた状態に近かった気がしますね。
ーー山田さんへは演技の部分でお願いしたことはありますか?
神尾さんに比べると、山田さんには僕が「こうしてほしい」って言うものが多くありました。山田さんが準備をしてきたプランと、すり合わせていくとう作業をしっかりやっていたイメージですね。だから、もしかしたら、それを横で見ていて神尾くん自身は何もなかったから不安になったのかもしれない(笑)。
山田さんの考えた紗枝の役柄はバッチリだったんですけど、紗枝の役割としては物語を動かしていかないといけないじゃないですか。純を巻き込んで。そこに対するコミカルさ、ユーモアであるとか。そういう部分を+αで山田さんにお願いしました。
ーープレスシート(取材時に使用する資料)に、監督が原作を読んだ時、「原作者の浅原さんは純に厳しい感じがした。僕は小野に厳しくなってしまう部分がある」と。このお言葉について詳しくお聞きしたいです。
原作って、純が主人公だし、すごく辛い目にあうけど、純のダメな部分を糾弾するような描写も多いなと思っていて。簡単に被害者にはさせないリアリティが原作の素晴らしいところだと思うんですね。
小野に関しては、映画では原作と違う描き方をしています。無知だった僕自身だったり、SNSで目にしたりする、無自覚ゆえの加害性をグッと詰めたかったというか。
おそらく見る人も、小野の立場に近い人が多いんじゃないかと思いますし、小野にリアリティを持たせることで厳しく描くというか。「こんな悪いやつ、いないよ!」っていうようにしたくなかったのがあります。役割として主人公を追い詰める悪役の方がかえってマイルドですよね。安全な場所から見ていられるので。
ーーまた、磯村勇斗さんがすごく変わった出演の仕方をしていますね。
そうなんですよ。あの出演の仕方を受け入れてくれて、僕は、磯村くん自身のかっこよさと役者魂を感じたし、本当に素敵な人だなと思ったんですが、完成した後に話せていないので、「どう思ってるかな?」って、ちょっとだけ心配です(笑)。
ーー私は教室でのディスカッションのシーンもすごく印象に残っています。「ここで、こう発言してください」って設定して撮ってる感じがなく、生っぽい感じがしたんですけど、どんな風に撮られたんですか。
脚本のセリフがあって割り振って、同じ芝居を何アングルもやっているので、現場の進行としては、そこまでは他と変わらないんですけども。
セリフ自体は、クラスメイト役のオーディションをしたときに、実際にディスカッションをしてもらって、僕が嫌だった言葉をピックアップして脚本に落とし込みました。あとSNSで見かけたチクっとした言葉を入れています。それらの言葉を脚本に落とし込んだ上で、できるだけ、芝居感にならずに発してもらうことをクラスメイト役の子たちにお願いしました。
ーーなるほど。だから生っぽいんですね。SNSが発達しているからこそ、差別や分断が広がっている部分もあったりしますよね。
その側面もあると思います。SNSの自分のタイムラインが社会の全てとか世界の総意と思うのは危険だなと思います。アカウントを持った理由や使い方も人それぞれですし、アカウントを持っているからには発言しなくてはいけない、世の中の出来事にリアクションしなくてはいけない、みたいな風潮には疑問を感じます。アカウントを持たない選択をしている人も多くいるのに。SNSは気軽に発言できることが魅力ではありますが、素早すぎる、感情的な議論で熟成されず、すぐに忘れられていく側面があるのではないかと。SNS内で誰かをやり込めたり論破することに腐心しているうちに、SNSの内と外で起こった分断に気づかない、みたいなことが起こっている気がします。
ーー本作を撮ったことによって、気付きを得たことや、今後の作品作りに影響が出そうな部分はありますか?
何かを表現する時に誰かを傷つけることからは逃れられないと思いますが、その点、自覚を持った上で、人をステレオタイプに描くことなど、自覚なく誰かを傷つけてしまうことには注意を払いたいと思いました。
あとは例えば現場で、セクシャルマイノリティを題材にした作品なのにも関わらず、俳優とかスタッフが、そこに対しての問題意識を一切に持たないまま、裏では不用意な発言をしていたとしたら心が痛みます。
仕事の一つだからやっているじゃなくて、関わるからには題材に対しても全員がきちんと向き合う現場にしたい。そういう風に思うようになったというのが、いちばん大きいかなと。
ーー観客側も「楽しい、面白い」で、消費するのではなくて、一歩でも考えるっていうのは大切だなって最近よく思っていたので、こういう作品をきっかけに議題が出るといいなと思いました。
そうですね。でもやっぱりそこは、作り手の責任というか。観客に責任転嫁したくはありません。作品自体は、重かったりする必要はないと思っていますが、ただ、根っこにあるものを無視して上澄みだけで作品を作ると、お客さんに何も伝わらないんじゃないかなと思います。
ーー原作は、NHKでも「腐女子、うっかりゲイに告る」というタイトルでドラマ化されていましたね。監督も見ましたか?
脚本を全部、書き終わった後に見ました。原作にないけど、同じ表現をしていたらドラマのパクリになっちゃうから、それを避けるために見たという意味合いが大きいです。もちろん「やっぱり、ここはこういう風に表現したよね」って共感する部分もあれば、軸足が違う部分もありました。ドラマは映画の倍の尺があるから、描ける量は多いです。が、その分、映画は焦点を絞って、深さを出そうと思いました。羨ましかったのは、QUEENの曲を贅沢に使えているというところでした(笑)
ーー作品の話から少し離れて、監督ご自身のお話もお聞きしたいです。監督が一番影響を受けた作品はありますか?
中高生時代にミニシアター映画が流行ったんですね。「映画って、オシャレだな」「映画を観てたらカッコいいな」ってところから入ったので、もともとミニシアター系が映画との出会いでした。
大学で映画研究会に入って、そこで今度はシネフィル寄りの映画を見るようになったんですが、20代後半くらいから今まで見てなかったディズニー映画が、すごく好きになって。
ものすごく高度なエンターテイメントというか、そういうものの素晴らしさが、ようやくわかるようになって。自分で撮るときもエンターテイメント性と、映画的な芸術性が両立するようなものを作りたいなと、そういう風に影響を受けていきました。
ーー私もディズニー映画が大好きなんですが、歌も映像も王道のエンターテイメントなのに、描いているテーマは世相を反映していたりすごく深いものですものね。
映画ってもともと、そうだったと思うんですよね。エンターテイメント性と芸術性が両立していた。いつからか、それも分かれ始めちゃっただけで。僕も両方ちゃんとやりたいなという気持ちです。
ーー『彼女が好きなものは』もまさに、エンターテイメント性とメッセージ性を両立されていると思います。
ありがとうございます。そういっていただけると嬉しいです。僕は「君の名前で僕を呼んで」が大好きなんですが、あの作品もそうですよね。
この映画の撮影中に海外の映画祭で撮影の月永さんが賞を獲得したのですが、その時の審査員長が「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督で。「わぁ!すごいですね!」って盛り上がったのを覚えています。
ーー今日は本当に素敵なお話をどうもありがとうございました!
『彼女が好きなものは』公開中
神尾楓珠 山田杏奈
前田旺志郎 三浦獠太 池田朱那
渡辺大知 三浦透子
磯村勇斗 山口紗弥加 / 今井 翼
監督・脚本:草野翔吾
2021年/日本/121分
(c)2021「彼女が好きなものは」製作委員会