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【連載コラム】毎日がVR元年(1)不可避なテクニウム進化のメカニズム〈前編〉


本記事は、連載コラム記事「毎日がVR元年」の第1回にあたり、テクノロジーの不可避な進化について考察します。


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XRはどこから来たのか、XRとは何モノなのか、XRはどこにいくのか


VR・AR専門メディアである本メディアの読者諸氏は、当然ながらVR・ARに関心がある方々だと思われます。そして、とくにVR・ARでビジネスを展開している方、あるいは展開してみたいと思われている方は、潜在的にあるひとつの疑念を抱えていることと思われます。


今のVR・ARはホンモノなのか、これからも成長を続けるのか?


こうした疑念を抱くのは自然なことです。というのも、期待されながら消えて行ったデジタル・トレンドは、無数に存在するのですから。実のところ、VRが注目されるのは今回が3回目で、過去にあった2回の「VRバブル」はいずれもメインストリームから退場を余儀なくされています。今回だって、10年後には「3度目のVRバブル」として、wikipediaの項目でしかお目にかからない出来事になる可能性は十分にあります。


しかしながら、今回のVR・ARトレンドこそはホンモノではないか、ということが本連載コラムでお伝えしたいことです。


VR・ARの歴史的考察が必要な理由


現在進行形のVR・ARトレンドが長期間にわたるものであることの証明としては、本メディアでも度々報じている市場分析に訴える方法があります。こうした信頼に足る調査会社が発表している分析とは、実のところ、調査の時々に市場が抱いているVR・ARトレンドに対する期待を数値化したものと言えます。


それでは、そうした期待はいったいどのようにして形成されたのでしょうか。この問いかけには、市場分析は答えてくれません。だがしかし、「(期待の源である)VR・ARテクノロジーはどこから来たのか」という問いかけに答えることをなくして、今後も存続するものなのかという疑問も解決しそうにありません。


どうやら「現在のVR・ARトレンドはホンモノか」という問題には、市場分析ではなく歴史的考察が必要なのではないでしょうか。


連載記事の構成


現在のVR・ARトレンドを歴史的に考察するために、本コラムでは以下のような論点を段階的に検証します。



  • 1. テクノロジーには、一定の方向に進化する傾向(バイアス)が認められること

  • 2. 今日のVR・ARとは、テクノロジー進化に認められるバイアスのなかから誕生したトレンドであること

  • 3. VR・ARが順調に進化した場合、30年後にはどのような未来社会の到来が予想できるのか


以上の段階は、言って見ればVR・ARの過去・現在・未来を考察することを意味します。


そして、VR・ARをめぐる歴史的な旅を終えた後、「いま何をすべきか」を提案したいと思います。その提案がなされた時、本連載コラムのタイトルの真意も明らかになるでしょう。


連載コラム1回目と2回目の記事では、「今までテクノロジーはどのように進化して来たか」という問題に一定の見解を示すことを通して、間接的にVR・ARの過去、というよりはVR・ARの母体(であるテクノロジー)を考察します。


なお、今後この連載コラムでは「VR・AR」という表現は「XR」に置き換えていきます。そのようにする理由は、表記が煩雑になることを回避することと、(それ以上に)VR・ARの未来を考えた場合、さらにMR(Mixed Reality)、SR(substituted Reality)、TR(Trans Reality)など多くのバリエーションが発明されると思われるので、それらをひとまとめにXR(X + Reality)とするのが妥当だからです。


不可避な進化を続ける「テクニウム」


「テクノロジーは進化する」という命題は、今日では例えば「地球は自転している」という命題なみに自明なことでしょう。しかし、この命題に使われている「テクノロジー」「進化」という言葉は、よく考えてみると「地球」「自転」ほどには自明でもなければ、明確な定義もないことに気付きます。


この機会に、「テクノロジー」と「進化」という言葉をいま一度深堀してみましょう。


深堀する「とっかかり」として、以下にあるSFマンガを引用します。


マンガ「BLAME!」はテクノロジーのメタファー?


映画「BLAME!」のいちシーン

映画「BLAME!」のいちシーン


2017年5月には劇場版アニメが公開される予定のマンガ「BLAME!」は、いわゆる「ディストピアもの」に分類されますが、そのSF的な世界観が極めて独創的です。同マンガの世界観とは、以下のようものです。


遠い未来において、人類はかつて築いた高度なテクノロジーによる文明の支配権を失い、反対に人類が築いたテクノロジーの集積である巨大都市が地球を覆い、みずから増殖と修復を繰り返している。巨大都市の「管理権限」を失った人類は、巨大都市から見ると駆除すべき「ウイルス」なのだ。


同マンガの世界観には、今日のテクノロジーが見せる光景に通じる、以下に示すようなふたつの直観が含まれています。



  • ・複雑な自然の生態系のように、テクノロジーによるプロダクトも相互に複雑に関係し合う生態系=エコシステムを形成していること(その象徴が現代巨大都市)

  • ・ある一定の条件が整えば、まるで自律的に新製品・次世代製品が発明され、増殖・世代交代を繰り返すこと


ひとつめの直観は、iPhoneに代表されるようなデジタル・プラットフォームを思い浮かべると、すぐに理解できるでしょう。


ふたつめの直観は、人工知能の開発を思い浮かべるとよいでしょう。今日のAI開発は、未来にどんな影響があるのか不安を抱えながらも、猛烈なスピードで進んでいます。このAI開発の様子は、まるで花がチョウやハチを媒介者として増殖するかのように、テクノロジーがヒトを媒介者として知性ある存在へと進化しているようでもあります。


電話の発明は不可避だが、iPhoneの発明はそうではない


テクノロジー理論家のケヴィン・ケリーは、この「自己増殖・自己進化を続けるエコシステム」という特徴こそ、今まで語られていなかったテクノロジーの本質ととらえ、新たに「テクニウム」という言葉を使って論じてます。その理論は著書「テクニウム」に結実しています。


同書では、「テクニウム」の定義を以下のように述べています。


われわれの周りでいま唸っている、より大きくグローバルで大規模に相互に結ばれているテクノロジーのシステムを指すものとして〈テクニウム technium〉という言葉を作った。


…(「テクニウム」が指示する意味のなかで)最も重要なことは、われわれが発明をし、より多くの道具を生み出し、それがもっと多くのテクノロジーの発明や自己を増強する結びつきを生み出すという、生成的な衝動を含んでいるということだ。


(みすず書房「テクニウム」より引用 強調箇所は本記事執筆ライターによるもの)


以上の引用からわかるように、テクニウムはただヤミクモに自己複製を繰り返すというよりは、より高次な存在を目指すような進化の方向性=傾向(バイアス)が認められるのです。


こうしたテクニウム進化のバイアスとは具体的にどのようなものかについて、同氏がよく出す例えがトップ画像で引用した電話とiPhoneに言及した比喩です。


ある意味、一般的な電話というものの原型は不可避だが、個別にそれがiPhoneのような形を取るかどうかはそうではないし、インターネット的なものは不可避だが、ツイッターの出現はそうではない。


(インプレスR&D「これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』」より引用 強調箇所は本記事執筆ライターによるもの)


この比喩では、一見すると相矛盾することが言われています。まず電話の発明は、テクニウムの進化プロセスにおいて避けようもないことだった、と述べています。しかし、すかさず、今日における代表的な電話であるiPhoneの出現については、必ずしも「不可避」ではなかった、と言うのです。


ともあれ、次からはテクニウムの「不可避な」性質のほうから整理していきましょう。


「不可避な進化」への接近


「不可避」という言葉は、「避けようがなく必ず起こる」というニュアンスがあります。つまり、必ず何らかの結果を引き起こす因果関係、あるいは必然性を意味していそうです。


そうなると、「テクニウムにおける不可避な進化のバイアス」を考察するとは、個々のテクノロジーが進化する時に認められる「ルール」を見つけることになるでしょうか。


こうした「ルール」をイメージしやすくするために、以下にあるゲームで採用されているシステムを紹介します。


「不可避な進化」のビジュアライズ


ゲーム「CIVILIZATION Ⅵ」の技術ツリー

ゲーム「CIVILIZATION Ⅵ」の進化ツリー


人気歴史シミュレーションゲーム・シリーズの「シヴィライゼーション」とは、プレイヤーがひとつの文明圏を選択して、その文明を繁栄させていくゲームです。このゲームでは、文明の歴史的発展をリアルにシミュレートするためのゲームシステムとして、技術や文化制度に関する「進化ツリー」が採用されています(上の画像参照)。


この「進化ツリー」で文明の進化をシミュレートすると、次のようになります。まず文明は農耕を開始しないと富の蓄積ができず、文明を進化させる余裕がありません。農耕を開始して、鉄器が作れるようになると、農業の生産性が上がるとともに鉄製の武器を装備できるようになります。さらに時代がくだって機械工学が発達すると、鉄から銃器を作れるようになります。


以上のようにして、技術や制度は古いものを前提として、まるで樹木が一粒のタネから芽吹き枝分かれして果実を実らすように、世代交代を繰り返していくのです。


この進化ツリー・システムが採用されていることによって、同ゲームはどこの文明圏からスタートしても、多少の違いはあるものも、最終的には現代の国家のような文化圏を建設するに至ります。また同時に、現代国家を建設するには、その前の文化を段階的に経験しないと不可能なのです。


ケリー氏は、こうした「進化ツリー」に見られるような文化の不可逆かつ段階的な進化は、ゲームに限ったことではなく、むしろ現実のテクノロジー進化を説明できる「実在する」ルールあるいは傾向(バイアス)と考えます。


次回予告


次回のコラム記事では、「進化ツリー」が実在することを考古学的・歴史学的に実証します。


そして、テクニウムのもうひとつの側面である「偶然性」と、テクニウムとヒトの関係も考察します。


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