宇宙は生まれては消え、何度も繰り返す――そんな宇宙の輪廻転生のような「ビッグバウンス理論」はSFや哲学でも魅力的なアイデアです。
この理論に従えば、私たちの宇宙の前に別の宇宙が存在しており、そしていつか私たちの宇宙も次の宇宙の元となると考えられます。
しかしアメリカのカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)で行われた最新の研究により、量子物理学の法則に照らすと、一度収縮した宇宙が再び弾んで新しい宇宙を生み出すのは難しいことが示されたのです。
この研究結果が正しければ、私たちの宇宙の始まりはビッグバンの特異点ただ一度きりで、他の宇宙から連続して生まれたものではない可能性が高まり、私たちの宇宙はただ一度きりの特異点から生まれ、他の宇宙と連続していないことになります。
果たして宇宙は本当に「一回限りの出来事」だったのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年6月30日に『Physical Review Letters』にて発表されました
目次
- 宇宙の輪廻を巡る争い――特異点VSビッグバウンス
- 量子力学が「宇宙の輪廻転生」に突きつけた冷徹な事実
- 『二度目の宇宙』はなかった――ビッグバウンス理論に訪れた冬の時代
宇宙の輪廻を巡る争い――特異点VSビッグバウンス

「宇宙の始まりはどうなっていたんだろう?」
星空を見上げるとき、誰しもが一度はそんな疑問を抱くものです。
科学者たちもまた同じような問いを抱き、宇宙が誕生した瞬間を理解するために長年研究を続けてきました。
現在広く知られているのは、「宇宙は138億年前にビッグバンという大爆発で始まった」という考え方です。
しかし、この理論にはずっと解けない難問がありました。
それは「特異点」と呼ばれるものの存在です。
特異点とは簡単に言うと、密度や重力が無限大になってしまう場所のことです。
例えばブラックホールの中心では重力が極限まで強くなり、物理学の方程式が意味を失ってしまいます。
1965年、ロジャー・ペンローズという科学者が一般相対性理論に基づいて、「ブラックホールができると必ず特異点が現れる」と数学的に証明しました。
その後、スティーブン・ホーキングがこの理論を宇宙の誕生にまで拡張し、「宇宙もまた特異点から始まったのだ」と示したのです。
しかしこの特異点という概念は多くの科学者を悩ませてきました。
なぜなら、物理学者にとって物理法則が通用しない領域があるというのは大きな困りごとだからです。
そのため一部の科学者たちは、「なんとか特異点を避けることはできないだろうか?」と考え始めました。
そこで近年注目を集めている量子重力理論という新しい分野です。
これは重力に量子力学の考え方を取り入れ、従来の物理法則では説明できない現象にもアプローチする理論です。
実際に、量子力学の世界では常識外れなことがよく起こります。
例えば、真空中でもごく短時間だけ負のエネルギーが現れる現象(カシミール効果)や、ブラックホールがエネルギーを放出するホーキング放射という不思議な現象が知られています。
これは従来の特異点定理が前提としている「エネルギーはどこでも負にならない」という仮定を根本的に揺るがすものです。
そのため現在の物理学界では特異点重視派と回避派が理論的なしのぎを削っている状況にあります。
SF好きの人にとって特異点の存在はワクワクの源ですが、物理学者の中には、特異点が回避される方が好ましいと考える人もいるからです。
そしてこの両派閥の違いは、宇宙の始まり方にも及んでおり、特異点回避派の人々の打ち立てた理論を積み重ねていくと宇宙の始まりについても新しい見え方「ビッグバウンス」がでてきました。
このビッグバウンス理論では、「宇宙は一回だけでなく、何度も膨張と収縮を繰り返している」という考え方です。
私たちの宇宙が始まる前にも別の宇宙が存在し、それが収縮(ビッグクランチ)して一点に近づいたときに、量子力学の効果で再び反発(バウンス)して新しい宇宙が生まれる、というわけです。
宇宙そのものが輪廻転生するイメージと言えるでしょう。
このビッグバウンスモデルにはいくつかの魅力があります。
第一に、完全な特異点の形成を回避できる可能性があることです。
無限大の密度に到達する前に量子効果が働けば、特異点の問題を避けて宇宙を説明できるかもしれません。
第二に、多くの人が抱く「ではビッグバンの前には何があったのか?」という一般の人の素朴な疑問にも「前の宇宙があった」と答えられるため、科学的にも物語的にも興味を惹くものでした。
他にもループ量子重力理論などのアプローチでは特異点を回避してビッグバウンスを起こせる可能性が示唆されています。
ループ量子重力理論では、時空は滑らかで連続的なものではなく、非常に小さなスケールでは「量子的に粒状の構造」を持っていると考えます。
言い換えると、時空を無限に細かく分割していってもある一定の小ささでそれ以上分割できない「最小の長さ」が現れます。
のため、時空やエネルギーの密度が無限に小さな一点に集中することができなくなります。ちょうど砂浜の砂粒をいくら集めても点にならず、小さな砂の塊になるように、密度が無限に高くなることが自然に防がれるわけです。
この量子的な粒状構造によって、ブラックホールの中心に向かって重力が無限大に強くなる途中で、「量子効果による反発力」が働く可能性が生まれました。
これはあたかも、バネが縮めば縮むほど強く反発するように、密度がある限界を超えようとすると、量子レベルで新たな力が生じて圧縮を押し返すという仕組みです。
その結果、宇宙は一点に潰れてしまう前に、ある大きさで収縮を止めてしまうのです。
こうして収縮が止まった宇宙は、次の瞬間にはまるで反動をつけてバネが弾けるように、再び急激な膨張を始める可能性があります。
この現象がいわゆる「ビッグバウンス」であり、崩壊した宇宙が再び新たな宇宙として生まれ変わるシナリオです。
このような理論がもし正しければ、私たちの宇宙も過去に崩壊した別の宇宙の内部から、まるでブラックホールの反対側に弾き出されるように誕生したのかもしれません。
言い換えると、「私たちの宇宙は、別の宇宙が生み出したブラックホールの中から誕生した可能性もある」という驚くべき可能性が生まれます。
ところがビッグバウンスには大きな疑問もあります。
特にエントロピー(熱的無秩序)の問題です。
宇宙が一度収縮に向かうと、星や銀河はブラックホールに飲み込まれ、エントロピー(乱雑さ)はどんどん増大します。
熱力学第二法則によればエントロピーは時間とともに増大こそすれ、自然に減少することはありません。
では、崩壊しきって極限まで乱雑になった宇宙が、どうやって再び低エントロピー(秩序だった)状態の新宇宙へと生まれ変われるのでしょうか?
この疑問は以前から指摘されており、ビッグバウンス理論の弱点の一つと考えられてきました。
そこで今回研究者たちは、量子力学の視点から宇宙の輪廻転生を起こす「ビッグバウンス理論」が成り立つのか、それとも否定されるのかを、再検証することにしました。
量子力学が「宇宙の輪廻転生」に突きつけた冷徹な事実

量子力学の視点からみた「ビッグバウンス理論」の是非とは?
この大きな謎を解明するため、研究者たちはまず、一般相対性理論に量子力学の原理を組み込んだ新しい視点から宇宙を解析することにしました。
その際に重要となったのが、「一般化第二法則(GSL)」と呼ばれる考え方です。
一般化第二法則とは、ブラックホールを含めた宇宙全体の「乱雑さ」(エントロピー)は決して減らず、増加または一定のままであるという物理法則です。
もともとブラックホールは何も逃さない究極の吸引力を持つ天体とされていましたが、1970年代、科学者のベケンシュタインとホーキングは「ブラックホールも実はエントロピーを持ち、熱的な性質を示す」と指摘しました。
ブラックホールには「事象の地平面」と呼ばれる境界があり、この境界の面積がブラックホールのエントロピーを表しています。
つまり、ブラックホールに物質が吸い込まれていくと、その境界面積は拡大し、全体のエントロピーは増えるのです。
さらにホーキングは、ブラックホールが量子効果によりエネルギーを放出して少しずつ蒸発する「ホーキング放射」を理論的に導き出しました。
この現象により、ブラックホールのエントロピー自体は減少しますが、その放出されたエネルギーが外の世界に新たなエントロピーを生み出すため、全宇宙で見ればエントロピーはやはり増加し続けることになります。
このように、ブラックホールの境界の内側と外側のエントロピーをすべて合計した「全体のエントロピー」は決して減ることはない――これが「一般化第二法則(GSL)」の核心です。
研究者のラファエル・ブーソ氏は、この一般化第二法則をベースにして、宇宙の特異点問題に新しい観点から挑みました。
まず彼は、従来のペンローズやホーキングの特異点定理に用いられてきた古典的な概念を、量子力学を取り入れた新たな概念「量子トラップ面」へと置き換えました。
「量子トラップ面」とは簡単に言えば、宇宙が収縮していく中で量子力学的な効果によって特異点を回避できる可能性がある境界面のことです。
この量子トラップ面が存在すれば、ビッグバウンス理論が現実的なものとなるかもしれません。
すると意外にも、一般化第二法則(GSL)が正しい限り、量子トラップ面は決して特異点の形成を回避する役割を果たせないことが判明したのです。
そして本質的には「宇宙やブラックホールが崩壊する過程で、もしもエントロピーが常に増加し続ける(=GSLが成り立つ)限り、いかなる場合も完全な崩壊=特異点形成を避けることはできない」という定理を証明したのです。
つまり、量子効果をどんなに考慮しても、特異点が必ず現れてしまうという結論になり、ビッグバウンスを起こすには基本的な物理法則の一つであるエントロピー増大則を破らなければならない、ということが明らかになったのです。
その結果、宇宙全体が収縮の後に再膨張するという「ビッグバウンス型」のシナリオも、少なくとも通常の物理法則の枠組み内では否定されることになりました。
期待されていた量子の世界によるビッグバウンス理論の支持は、特異点の問題をむしろさらに頑固で根深いものにしてしまったように見えます。
では、この結果を受けて、宇宙の起源や終焉について私たちはどのような考えを持てばよいのでしょうか?
『二度目の宇宙』はなかった――ビッグバウンス理論に訪れた冬の時代

今回の研究が示すメッセージは明快です。
「宇宙に二度目はない」――宇宙が生まれ変わり続けるという循環モデルは、美しく魅力的ではあるものの、現在信じられている物理法則の下では成立しそうにありません。
私たちの宇宙の始まりはやはりビッグバンという一度きりの特異なイベントだった可能性が高まります。
時間と空間もそこで誕生し、それ以前の「何か」と因果的につながることはない、いわば“宇宙のワンオフ(一品もの)”です。
奇しくもペンローズとホーキングが古典的枠組みで導いた結論と同じ帰結に、最新の量子論的視点から辿り着いたと言えるでしょう。
もちろん、物理学の探究はここで終わりではありません。
ビッグバウンスを支持する一部の研究者は「一般化第二法則とて絶対ではない」と指摘するかもしれません。
事実、宇宙全体の創生を扱うような場面では、エントロピーや時間の概念そのものが変容する可能性も議論されています。
量子重力理論という、まだ完成されていない「量子レベルでの重力理論」を考慮すれば、エントロピーや時間の概念自体が大きく変わる可能性があります。
つまり、「そもそも私たちが理解している一般化第二法則は、究極の量子理論の前では成り立たない可能性があるのだ」と、彼らは言うのです。
こうした考え方によれば、宇宙が崩壊しても量子力学的な作用でエントロピーが大きく変動し、新たな宇宙の再生が起こり得る余地が残されていることになります。
将来、究極の量子重力理論(科学者が『オニオンの芯』のように難しいと例える、いまだ未知の理論)が完成すれば、特異点やエントロピーに対する新しい見方が生まれる余地はあります。
もしかすると「特異点は実在しない、別の形態に置き換わる」というシナリオも完全には否定できません。
しかし、それは現在の物理学常識を覆すほどの大変革になるでしょう。
少なくともブーソ氏をはじめ多くの物理学者は「どんな理論においても、時間が止まる境界のようなものは残るだろう」と考えています。
言い換えれば、因果の連続性が途切れる“穴”としての特異点は、宇宙論から逃れられないのではないか、というわけです。
宇宙論のロマンと謎は尽きることがありませんが、少なくとも現時点では「我々の宇宙は一度限りの贈り物」である可能性が一段と高まったと言えるでしょう。
元論文
Robust Singularity Theorem
https://doi.org/10.1103/6f9b-3jmx
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部