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ある「木」が今急速な進化を起こしていることが判明


イギリスのクイーンメアリー大学で行われた研究は、ヨーロッパのトネリコの木が伝染病「アッシュ・ダイバック」に対して急速に適応していることを示しました。研究者は、古い世代と新しい世代の間でDNAを比較し、幼木が親世代よりも耐性を持つことを発見しました。この進化は、一世代で数千の小さな遺伝子変異が集団レベルで蓄積される「ポリジェニック適応」によって進んでいます。これは自然界における適者生存の実例で、人間の介入が進化を支援する可能性があります。

イギリスのクイーンメアリー大学ロンドン(QMUL)で行われた研究によって、ヨーロッパのトネリコの木たちがわずか一世代のうちに、数千カ所の遺伝子変異を積み重ね、集団全体の遺伝的耐性を急速に高めていたことが判明しました。

特に幼木の変化は成木より有意に上昇し、この変化を説明するには約13%の個体淘汰が必要だったと推定される、非常に強い自然選択が作用していたことが示唆されます。

このような一世代で数千もの遺伝子変異が集団レベルで起こるケースは理論としては知られていましたが、今回初めて現実の自然環境で実証された形になります。

しかしトネリコの木たちは、なぜここまで短期間で進化できたのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年6月26日に『Science』にて発表されました。

目次

  • ある日突然、森が枯れる—ヨーロッパを襲った「トネリコの病」の衝撃
  • 木々の遺伝子が今まさに動いている
  • 進化の教科書が現実になった—科学者が目撃した「適者生存」の瞬間

ある日突然、森が枯れる—ヨーロッパを襲った「トネリコの病」の衝撃

ある日突然、森が枯れる—ヨーロッパを襲った「トネリコの病」の衝撃
ある日突然、森が枯れる—ヨーロッパを襲った「トネリコの病」の衝撃 / Credit:Canva

もし、自分が大切に思う森が、ある日突然「病気」で灰色に枯れ果ててしまったら、どんな気持ちになるでしょうか。

子供の頃に遊んだ裏山や故郷の里山が緑を失い朽ちた幹と枝だけしか残っていなかったら、多くの日本人は困惑するでしょう。

実は、イギリスをはじめヨーロッパ各地のトネリコの森では、まさにそのような事態がここ十数年の間に起きているのです。

原因は東アジア原産の真菌(カビ)で、「アッシュ・ダイバック病(トネリコ萎凋病)」と呼ばれる病気を引き起こします。

この病気は感染した木の葉を次第に枯らし、枝や幹を少しずつ衰弱させて、最終的には木を死に至らしめます。

2012年にイギリスで初めて確認されてからというもの、あっという間に各地の森へと広がり、すでに何百万本ものトネリコが命を落としました。

専門家の予測によれば、放置すれば全体の約85%が枯死する恐れもあるという深刻さです。

この病気に対して「完全な免疫」をもつトネリコはほぼ見つかっておらず、ヨーロッパの森は今、大規模な危機を迎えています。

しかし、わずかな希望も存在します。

森を調べていくと、ごく少数ですが、この病気に対して明らかに「強い」個体が見つかったのです。

植林地での過去の調査でも、病気にかかりやすい木と、そうでない木の間には遺伝的な違いがあることが知られていました。

ただ、そのような耐性をもった個体は非常に稀で、多くのトネリコにとって、この病気は依然として致命的な脅威であり続けています。

そこで科学者たちは「もしかしたら、トネリコ自身が進化して、この危機に立ち向かっているのではないか?」と疑問を抱き、調査することにしました。

果たして、森のトネリコたちは本当に自ら進化し、この病気に打ち勝とうとしていたのでしょうか?

木々の遺伝子が今まさに動いている

木々の遺伝子が今まさに動いている
木々の遺伝子が今まさに動いている / Credit:Canva

森のトネリコたちは本当に進化していたのか?

この謎を解明するため研究者たちはまず、イギリス・サリー州にあるマーデンパークという古い森に向かいました。

この森には、病気が発生する以前から育っていた古い世代のトネリコと、病気が拡がった後に新しく生えてきた若い世代のトネリコが混在していました。

研究チームは、両方の世代のトネリコから葉や枝などのサンプルを採取してDNAを抽出し、ゲノム解析を行いました。

特に注目したのは、過去の研究で「病気への強さ」に関係すると指摘されていた遺伝子の小さな変異でした。

トネリコのゲノム中には、耐病性を高める方向に働く変異や、逆に感受性を高めてしまう変異が数千箇所もあることが知られており、研究者らはそれらの部位(遺伝子座)のDNA配列の違いに着目したのです。

結果、若い世代の木では、それら有用な変異(耐性を高める変異)の頻度が、親世代に比べて着実に上昇していることがわかりました。

一つひとつの変化はごく「ささやかな遺伝子頻度のずれ」に過ぎませんが、それが積み重なったことで若木世代全体としてより高い耐性遺伝子のスコアを示したのです。

(※全ゲノム解析の結果、ゲノム中の一塩基だけが変化した小さな変異(SNP)が7985箇所存在することが示されました。)

言い換えれば、森に自然更新(実生からの再生)した新世代のトネリコは、病気流行前から生えていた古い世代よりも遺伝的に病原菌へ強く抵抗できる傾向が確認されました。

これは自然選択が働いた痕跡にほかなりません。

ゲノム解析を用いたシミュレーションモデルによる推定では、新世代苗木の約13%が淘汰されるほどの強い選択が働いたと示されました。

研究チームはこの現象を弱い個体は姿を消し、最も適応した者のみが生き残る(適者生存)という進化の過程が目の前で進行しているという『適者生存』のプロセスにあたると指摘しています。

また、この進化は何世代もかかるのではなく、「たった一世代」という非常に短期間で数千もの遺伝子が同時に小さく変化することで実現しているということも明らかになりました。
こうして、トネリコの森は自らの遺伝子を駆使して、病気という危機に立ち向かっていることが明確になったのです。

しかし「たった一世代」で数千の遺伝子が変異するとはどういうことなのでしょうか?

進化の教科書が現実になった—科学者が目撃した「適者生存」の瞬間

進化の教科書が現実になった—科学者が目撃した「適者生存」の瞬間
進化の教科書が現実になった—科学者が目撃した「適者生存」の瞬間 / Credit:Canva

今回の研究によって、「トネリコの木が病気の脅威に対して自ら進化し、耐性を獲得していること」が初めて実際の自然環境で明確に示されました。

進化というと、数万年や数十万年という途方もない時間がかかる印象を持つかもしれませんが、今回の研究で明らかになった進化は、わずか一世代という短期間で起きました。

ダーウィンが「適者生存」という概念を提唱して以来、生物が環境の変化に適応するためには「少数の大きな遺伝子変化が起きる」場合と、「多数の小さな遺伝子変化が積み重なる」場合があると言われてきましたが、自然界で後者をはっきりと観察できた例はほとんどありませんでした。

ところが今回のトネリコのケースでは、まさに後者のパターンである「多数の遺伝子の小さな変化が積み重なる」形で進化が進んでいることがDNAレベルで証明されたのです。

1世代で「数千の遺伝子変異」とは実際にはどういう状況なのか?

「トネリコの木が、たった1世代で数千もの遺伝子変異を起こして急速に進化している」と聞くと、個体のDNAが突然何万年分も一気に変化したかのような驚きを覚えるかもしれません。しかし実際に起きている現象は、そういう劇的な変異ではありません。

まず、1本のトネリコの木そのものが自分の一生のうちに遺伝子を大幅に変えることはありません。ここでいう「1世代で数千の遺伝子変異」というのは、集団(森全体)の中で、次世代に残る遺伝子の頻度が変化することを意味しています。

例えば、もともとのトネリコの森には、病気に弱い個体も、少しだけ強い個体も混ざって存在していました。その違いを生み出す原因が「数千の遺伝子」にわたる細かな違い(DNA配列のごくわずかな差)でした。今回の外来病原菌による感染圧のように、強力な環境ストレスが発生すると、病気に弱い個体は枯れてしまい、比較的強い個体だけが生き残って子孫を残します。結果として、次世代のトネリコには、病気に対して抵抗性のある遺伝子の割合が増えていきます。

つまり、この1世代に起きた「数千の遺伝子変異」とは、個体が新たな遺伝子を作り出したわけではなく、「もともと存在していた多様な遺伝子バリエーションの頻度が、自然選択によって一気に変わった」という意味なのです。ですから、私たちが目撃しているのは奇抜な突然変異種の出現ではなく、自然界にすでに存在していた「遺伝子のバリエーション」が、強力な淘汰圧によって1世代の間に劇的に変化したということなのです。

このような多くの遺伝子が少しずつ頻度を変えることで起きる適応を「ポリジェニック適応」といい、これまで自然環境で明確に観察されることは稀でした。

こう書くとなんだかインチキのように思えますが、集団として病気に強い遺伝子を持つ方向に「たった一世代」でシフトし、その変化に数千もの遺伝子が関連していたという事実は決して小さくありません。そしてこの集団レベルの遺伝子の変化もダーウィンの言う「自然選択」に立派に当てはまります。

これまで理論上の仮説だった「ポリジェニック(多遺伝子)適応」を、野生の環境で実際に捉えることができたこの研究は、進化生物学の教科書に載るほどの重要な成果だと言えます。

研究者たち自身も「進化の教科書には動物の体のサイズのような特徴が自然選択によって変わる例が載っているが、それを実際にDNAレベルで示すことは非常に難しかった。私たちはそれを初めて実証できた」と語っています。

今回捉えられた現象は、まさに「生きた進化」を目の当たりにした瞬間だったのです。

なぜトネリコの木たちはここまで短期間で進化できたのか?

トネリコの木たちが、これほどまで短期間(わずか1世代)で進化できた理由は、先に述べた「ポリジェニック適応」という進化の方法に起因します。この方法は多数の遺伝子がそれぞれほんの少しずつ変化することで、集団全体として短期間に大きな変化を実現します。これは一つの個体が劇的に新しい特徴を獲得するというよりも、すでに集団内に存在している多様な遺伝子の中で、有利なものが急速に広まっていくことを指します。一つひとつの遺伝子変異の変化量は極めて小さくても、それらが数千という多数の遺伝子座で同時に起きたため、トネリコの集団はわずか一世代という短期間で、環境変化に適応できる強力な進化を遂げることができたのです。

今回のトネリコの例は、こうした多数の遺伝子による小さな変化が集団レベルで積み重なり、短期間で適応が成立するという現象を、自然環境で初めて実証した貴重な事例となりました。

また、この研究は森林保全の観点からも大きな希望を与えています。

トネリコは、同じヨーロッパで数十年前に流行したオランダ立枯病で壊滅的な被害を受けたニレ(Elm)とは異なる運命を辿る可能性が出てきました。

ニレは外来の病気に耐えることができず、ヨーロッパ中で次々と枯れていきました。

しかし、トネリコはニレとは異なり、毎年大量の種をつけて若い苗木がたくさん生まれます。

そのため病気に弱い苗木は淘汰されやすく、逆に耐性を持つ苗木が生き残って次の世代を作っていくことができます。

今回の結果は、トネリコがこの病気による危機を自力で乗り越えつつあることを示しています。

とはいえ、楽観視ばかりはできません。

自然選択による進化はすぐに完璧な耐性を作り出すわけではなく、一部の重要な遺伝子変異はまだ森の中に不足している可能性があるからです。

このため、自然の進化だけに任せておくと、進化のスピードが病気の広がるスピードに追いつけず、トネリコがさらに激減する恐れも残っています。

こうした状況を踏まえ、研究者たちは人間による支援の重要性を強調しています。

例えば、病気に強いトネリコを人工的に選抜して交配させたり、東アジア原産で病気に強いトネリコの近縁種と交配して遺伝子を導入したりする方法が提案されています。

さらに将来的にはゲノム編集技術を使って耐性遺伝子を強化する方法も検討されています。

また森林の管理方法も重要で、病気が見つかったトネリコを即座に大量伐採するのではなく、できるだけ耐性のありそうな個体を選び、生き残らせるよう配慮する必要があります。

病気がゆっくりと広がる間に生き残った木が次の世代の種を作れば、より病気に強い新たな世代の森が育っていく可能性があるのです。

研究者の一人、ケアリー・メザリンダム博士は、「自然選択だけで十分な耐性が得られるかはまだ分からない。人間が積極的に介入することで進化の速度を高める必要がある」と述べています。

病気という大きな危機にさらされながらも、トネリコは次世代に命をつなぎ、自らの遺伝子を使って進化という道を歩みはじめています。

この研究が示したのは、生命が持つ驚くべき適応力であり、人間がそれを理解し、適切に支援することが大切だということです。

私たちは、自然の力と人間の英知が融合することで、トネリコの森がこの危機を乗り越えることができるのか、今後も注意深く見守っていく必要があるでしょう。

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元論文

Rapid polygenic adaptation in a wild population of ash trees under a novel fungal epidemic
https://doi.org/10.1126/science.adp2990

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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