オーガズムを迎えた瞬間、目の前にカラフルな光が弾けたり、まるで万華鏡の中に飛び込んだかのような幻想的な映像が広がる――そんな特別な脳の現象『性的共感覚』が、カナダのケベック大学モントリオール校(Université du Québec à Montréal, UQAM)で行われた研究によって初めて体系的に確認されました。
研究チームは、性的共感覚を持つ人々が実際に存在することを突き止めると同時に、この不思議な現象は単なる脳の「配線ミス」ではなく、感情や深いリラックス状態と密接に関係している可能性を明らかにしました。
性的共感覚者の脳では、快感や感情を司る領域が通常より敏感である可能性が高く、オーガズム時の感情が極限まで高まったときに、感覚の境界線が曖昧になって色や映像が現れるというのです。
この現象は、脳が感情を最大限に高めたときに初めて現れる『究極の感覚融合』と言えるでしょう。
しかしなぜ一部の人だけがオーガズムの絶頂で「色」を見ることができるのでしょうか?
研究内容の詳細は『SSRN』にて発表されました。
目次
- 「音に色、文字に味」――不思議な共感覚が性的快感にも
- オーガズムで色を見るための「条件」とは?
- 脳はなぜ「快感」を「色」に変えるのか――性的共感覚の謎を追う
「音に色、文字に味」――不思議な共感覚が性的快感にも

音楽を聴いているとき、ふとその曲に「色」を感じたり、「風景」が浮かんだりするような経験をしたことはないでしょうか?
あるいは、特定の言葉や人の名前を聞いたときに、なぜか「味」を感じたりする人もいるそうです。
こうした、ある感覚が別の感覚と結びついてしまう不思議な現象は『共感覚(シナスタジア)』と呼ばれています。
共感覚を持つ人たちの多くは、幼少期のころから自然にこうした体験をしており、いったん身についた感覚の結びつきは生涯を通じてほぼ変わらないと言われています。
実際、こうした先天的な共感覚は、人口の約4%もの人が持っていると推定されています。
しかし、すべての共感覚がずっと持続的に起こり続けるわけではありません。
中には、特定の状況や精神状態に応じて一時的に起こる『状態依存型の共感覚』という現象も知られています。
例えば深い瞑想状態に入ったとき、音楽に没頭しているとき、または薬物を使用したときにのみ共感覚が引き起こされるケースがあり、普段は共感覚を持たない人でも体験することがあります。
さらに、ごく一部の人たちは、性的な興奮が高まった瞬間やオーガズムの最中に限って、鮮やかな色や光が視界いっぱいに広がるという特別な共感覚を体験していると言われています。
この現象は『性的共感覚』と呼ばれ、古くからごく一部の体験談として語られてきました。
例えば「絶頂を迎えると万華鏡のような映像が広がった」「まぶしい光や虹色の波が見えた」という証言が、わずかながら残されています。
とはいえ、こうした性的共感覚は、これまで本格的な科学研究の対象とはされず、医学文献においてもごく少数の個別例やエピソードが語られる程度で、謎に包まれた現象でした。
そこで最近になって、ある研究チームが初めて、この性的共感覚について本格的な科学的調査を行いました。
この研究の目的は、「オーガズムの瞬間に色や映像が見える」という体験が本当に存在するのかどうかを確認し、それが起こる状況や条件を探ることです。
また、一般的な共感覚とはどのような違いがあり、人の感情や意識状態とどのように関わっているかについても調べました。
果たして、性的共感覚は単なる脳内の神経配線が偶然絡み合っただけの現象なのでしょうか、それとももっと深い心や感情の働きが関わっているのでしょうか?
オーガズムで色を見るための「条件」とは?

性的共感覚とは、本当に脳の神経が絡み合っただけの偶然の産物なのでしょうか、それとも人の感情や意識と深く結びついているのでしょうか?
この謎を解明するため、研究者たちはまず「性的共感覚を持つ人」を探すことからスタートしました。
SNSなどを通じて広く呼びかけを行った結果、「性的共感覚を経験したことがある」と自ら申し出てくれた16名(女性15名、男性1名)が集まりました。
一方、比較対象として、同年代・同性で性的共感覚を持たない11名(女性9名、男性2名)にも協力をお願いしました。
参加者は全員、薬物を使っていないことや神経疾患、トラウマ障害がないことを事前に確認し、共感覚が純粋に脳の自然な現象であることを保証しました。
また、性的共感覚を持つと答えた人には、文字や音などに色を感じるといった一般的な共感覚を元々持っているかどうかも確かめました。
次に研究チームは、参加者ひとりひとりとじっくりインタビューを行いました。
ここでは主に、性的な場面でどんな体験をしているかを詳しく尋ねています。
さらに日常生活の中で、ほかにも不思議な感覚や、現実感が薄れてしまうような解離体験があるかどうかも質問しました。
加えて、性的共感覚を持つ人がセックス以外にどんな場面で共感覚を感じるか(例えば音楽を聞いたときなど)や、セックスにおける満足感や意識の変化がどれくらい大きいかを、専門的な質問紙を使って数値として評価しました。
その結果、性的共感覚を持つと申し出た16人のうち15人が「オーガズム時に鮮やかな色や光、模様、幻想的なイメージが視界いっぱいに広がる」と報告しました。
1人だけは視覚的な映像ではなく、「自分が体から抜け出したような奇妙な感覚」を経験していました。
多くの人が「まるで目を閉じたまま虹を見ているようだ」「カラフルな光がシャワーのように降り注ぐ」「宇宙や海の中に溶け込んでいく感覚」といった驚くべき体験を語っています。
中には、自分の体が巨大化したり、あるいは完全に消えてしまったかのような錯覚、さらには時間が止まったかのように感じることもあったそうです。
ただし、こうした特別な体験は毎回起こるわけではなく、特定の条件が揃ったときだけ訪れる一時的な現象であることがわかりました。
さらに興味深いのは、こうした特殊な体験が起こる条件です。
多くの参加者が「身体的な刺激だけでは色や映像は現れない」と述べており、実際には相手への強い愛情や信頼、深い安心感、そしてリラックスして完全に集中している状態で初めて共感覚が現れるということでした。
逆に、心のつながりが薄いと感じる状況では、ほとんど何も起こらないと答えた人が多かったのです。
また初めて性的な体験をした際には性的共感覚を感じた人もいませんでした。
つまり、性的共感覚は最初の性的経験から直ちに起きる現象ではなく、ある程度の性的経験を経て、感情的な条件が揃った状態で後天的に出現する可能性があったのです。
一方、性的共感覚を持たない人たちでは、このような特殊な視覚的体験や強烈な意識変化を感じることはほぼありませんでした。
ごくまれに幽体離脱のような経験をしたと報告した人が1名だけいましたが、これは不安やストレスが高まった極めて特殊な状況での例外的な体験だったとのことです。
また性的共感覚を持つ人々は、性的な場面以外でも日常的に似たような感覚を味わうことがありました。
たとえば音楽を深く聴き込んだとき、瞑想中、出産のとき、あるいは失恋など強い感情が動いた瞬間にも、色や映像が浮かぶことがあると語りました。
こうした現象は毎日のように起きるわけではありませんが、年に数回から月に数回のペースで訪れる人もいて、その頻度や強さは人それぞれでした。
研究者たちは、これらの体験が薬物や精神疾患の影響を受けていないことを慎重に確認しています。
つまり、ここで見られた共感覚や強い意識変容は、まさに本人の脳が自発的に作り出した『純粋な体験』であることが裏付けられたのです。
そして、性的共感覚を経験する人たちは、ほぼ全員が「これによって性的な快感がとても強く深くなった」と話しています。
彼らにとってこの不思議な感覚体験は、性的な喜びを一層引き立てる『脳が生み出す極上のスパイス』のような存在になっているようです。
脳はなぜ「快感」を「色」に変えるのか――性的共感覚の謎を追う

今回の研究によって、「性的共感覚」は実際に存在する現象であり、単なる脳の配線ミスではなく、心や意識が深く関係している可能性が示されました。
これまで性的共感覚は、ほんの一握りの人だけが経験する特殊な現象だと思われてきましたが、今回初めて科学的に調べてみると、そこには驚くほど繊細で複雑なメカニズムがあることがわかりました。
研究者たちは、なぜオーガズムの瞬間に色やイメージといった視覚的な体験が起こるのか、その理由について2つの重要な仮説を考えています。
1つ目は、脳の中の神経伝達物質(脳内の化学物質)に対する感度が人よりも高いという説です。
私たちの脳では通常、感覚や感情を司るためにセロトニンやオキシトシンなど様々な化学物質が働いていますが、性的共感覚を持つ人たちはこれらの物質に対して敏感で、わずかな刺激でも強い反応を示すのではないか、というのです。
実際、性的共感覚で体験される強烈な幸福感や色鮮やかなヴィジョンは、薬物で誘発される幻覚体験に似ていることもわかっています。
つまり、脳の中の化学物質がちょっとしたきっかけで過剰に作用して、通常ではありえないような「感覚の融合」を引き起こしている可能性があるのです。
2つ目の仮説は、脳の感情を司るエリア(「辺縁系」や「島皮質」)が、通常よりも活発に反応しやすいという説です。
辺縁系は私たちの感情や記憶をコントロールする重要な部分であり、特に島皮質は、身体感覚や感情を統合する役割を担っています。
性的興奮が高まったり、愛情や信頼感が強まったりすると、このエリアが激しく反応します。
そのため、性的共感覚を持つ人々では、この感情を処理する脳の働きが人一倍強力で、感情と視覚などの別々の感覚が混ざり合い、カラフルな光やイメージが現れてしまうのかもしれません。
この説は、「強い愛情やリラックスした状況でないと性的共感覚は起きない」といった参加者の声とも一致しています。
この2つの仮説は互いに対立するものではなく、むしろ両方が同時に起きている可能性も十分に考えられます。
つまり、脳内の化学物質に敏感であることと、感情を司る領域が活発に反応すること、この二つが組み合わさって、初めて「性的共感覚」という不思議な現象が生み出されるのかもしれません。
もちろん、この研究はまだ最初の一歩に過ぎません。
実際に参加してくれたのは16人と人数も限られていて、その体験も本人の主観に基づいているため、結果を誰にでも当てはめられるかどうかは、今後の研究が必要です。
ですが、参加者たちが語った驚くべき体験は非常に共通しており、この現象が決して偶然ではなく、人間の脳が持つ未知の可能性の一端を示しているのは確かです。
性的共感覚の謎がさらに解明されれば、私たちが「快感」や「意識」を感じる仕組みについても新たなヒントが得られるでしょう。
人間の脳にはまだまだ私たちが想像もできないような、不思議な世界が隠されているのかもしれません。
元論文
Altered Consciousness in Sexual Synesthesia
https://dx.doi.org/10.2139/ssrn.4887264
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部