水銀は常温で唯一液体の金属として知られていますが、実はその「原子核の割れ方」にも驚きの秘密が隠れていました。
日本の東京工業大学(東工大)で行われた研究により、水銀原子核が「大小2つの破片」に分裂する謎が、世界初の5次元Langevinシミュレーションで解き明かされました。
この手法により水銀の核には、高エネルギーでも頑固に残り続ける「殻構造」と呼ばれる特別な内部構造があり、それが核をまるで「割れにくいクルミのように」させていたとのこと。
頑固な殻構造とはいったいどんな存在なのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年5月20日に『Physical Review C』にて発表されました。
目次
- 水銀の核分裂をめぐる奇妙な発見
- 「液体金属」水銀、その核には誰も知らなかった謎があった
- 水銀原子核が「頑固」な理由とは?核分裂研究の未来
水銀の核分裂をめぐる奇妙な発見

私たちがふだん目にする「水銀」は、体温計や温度計に使われるように、常温で唯一液体の金属として知られています。
しかし、その「原子核」がどんなふうに割れるのかということは、あまり知られていません。
そもそも「核分裂」という現象は、原子核が2つ以上に分かれることで、通常はウランやプルトニウムなどの重い元素でよく研究されています。
これらの重い元素は、内部にある「殻構造」と呼ばれる特殊な配置が原因で、大きさの違う2つの破片に不均等に割れる「非対称分裂」を起こし、質量分布が山のように2つに分かれます。
一方、水銀のような比較的軽い元素では、核の内部構造よりも、液体がちょうど真ん中で均等に分かれるように、ほぼ同じ大きさで分裂すると考えられてきました。
実際、これまでの理論では水銀もまた、均等な質量分布(一山型)を示すはずだったのです。
なぜ核分裂に不均等と均等があるのか?
核分裂は、原子核がいくつかの小さな破片に分かれる現象です。実はこの「分かれ方」には、大きく分けて2つのパターンがあります。それが「均等分裂」と「不均等分裂」です。ウランやプルトニウムのような重い元素の場合、よく知られているのは「不均等分裂」です。つまり、できる破片の大きさがだいぶ偏っていて、一方が大きく、もう一方は小さいというタイプの分裂をします。これはなぜでしょうか?
実は、原子核の中では陽子や中性子がある「特別に安定な配置」を好んでいて、これを殻構造と呼んでいます。核の内部は、ピーナッツの殻のようにいくつかの殻が重なり合っていて、特定の数(魔法数)の陽子や中性子を含むとき、核は非常に安定してエネルギーが低くなるのです。ウランなどの重い原子核が分裂するときは、「魔法数」を含む安定な中くらいの大きさの破片ができやすいため、自然ともう片方が小さくなり、バランスが崩れて不均等な分裂が起こります。
一方、水銀のような比較的軽い元素の場合は、一般的に「均等分裂」が予想されています。これは、核がそこまで大きくないため、殻構造の影響よりも液滴のような性質(液体が引っ張られてちょうど真ん中で割れるイメージ)が勝つからです。このため左右ほぼ同じ大きさに均等に割れるはず、というのがこれまでの常識でした。
ところが2000年代に行われた実験で、水銀の中でも特に珍しい「水銀180」というタイプが、まるで重元素のように「大小の破片に偏って」割れるという予想外の結果が得られました。
この「二峰性」と呼ばれる特殊な分裂パターンは、従来のモデルではまったく説明がつかず、核物理学者たちを困惑させ、長年にわたる謎となっていました。
水銀180とは?
「水銀180(¹⁸⁰Hg)」という名前を聞いても、ピンと来ない人がほとんどかもしれません。実は、水銀にはいくつかの種類(同位体)が存在し、そのうちの一つが水銀180なのです。水銀は通常、室温で液体の金属としてよく知られています。普通に私たちが目にするのは「水銀202(¹⁰²Hg)」や「水銀200(²⁰⁰Hg)」などの安定な同位体ですが、水銀180は自然界にはほとんど存在しません。実験室などで人工的に作られ、寿命も短いため、普段の生活ではまず見ることはない珍しい存在です。
そもそも軽いはずの水銀が、なぜ重元素のような奇妙な分裂パターンを見せるのでしょうか?
その謎を解くために、国際的な研究チームは、これまでにない新しいシミュレーション手法を用いて、水銀の核が割れる仕組みを探ることに挑みました。
彼らが目指したのは、水銀180が対称的ではなく、「二山型」の不均等な質量分布で分裂するその根本的な原因を理論的に解き明かすことでした。
果たして、その謎はどのような実験とシミュレーションによって解明されたのでしょうか?
「液体金属」水銀、その核には誰も知らなかった謎があった

なぜ水銀の核は、軽い元素なのに重元素のような奇妙な割れ方をするのでしょうか?
この謎を解き明かすため、研究者たちはまず、水銀の核が実際に割れる様子を正確に再現できる、まったく新しいシミュレーション手法の開発に挑戦しました。
彼らが使ったのは「5次元Langevinモデル」と呼ばれる最新の計算手法です。
従来のモデルは、核が割れる直前の静止した状態だけを考えるため、水銀のように刻々と変化する軽い核の動きをうまく再現できませんでした。
そこで今回のモデルでは、核が安定した状態から徐々に伸びたりくびれたりして、ついには破片に割れるまでの一連の過程を細かく計算し、その動きを追いかけられるようにしたのです。
この新しいモデルによって、核の内部構造(殻構造)がエネルギーによってどのように影響を受けるのかもリアルに再現できるようになりました。
研究チームはまず、この5次元Langevinモデルを用いて、水銀180の核分裂をシミュレーションしました。
水銀180の核を人工的に作り出すため、アルゴン36(36Ar)をサマリウム144(144Sm)という物質に衝突させる反応を再現しました。
また比較のため、別のタイプの水銀(190Hg)についても同様にシミュレーションを行いました。
すると驚くべきことに、このモデルは、水銀180が実際の実験で示した「二山型の不均等な分裂パターン」を見事に再現して見せたのです。
つまり、シミュレーションの中でも、水銀180の核は均等ではなく、大小2つの偏った破片に分裂しました。
この結果は実験データと非常に良く一致しており、これまで誰も解けなかった水銀の謎に初めて明確な説明を与えました。
一方、水銀190では、エネルギーの高い状態では従来の予想どおり均等な一山型に分裂することも確認されました。
この結果は新しいモデルは、軽い原子核が示すさまざまな分裂の仕方をまとめて説明できる有力なツールであることが示されたのです。
さらに、この研究の面白い発見はまだあります。
研究チームはシミュレーションを詳しく解析したところ、水銀180という原子核は、かなり高いエネルギー(30〜50 メガ電子ボルト:MeV)を持った状態になっても、核の内部にある「殻構造」が非常に強く残っているということです。
核の中身には、陽子や中性子がまるで玉ねぎやピーナッツの殻のように、いくつかの「殻」をつくって安定した構造を持っています。
普通は、核が高いエネルギーを持つようになると、これらの殻の影響はだんだん弱まっていき、まるで水滴が引き伸ばされてちょうど真ん中で2つに割れるように、ほぼ同じ大きさの破片に分裂しやすくなると考えられていました。
ところが水銀180の場合、予想とは全く逆のことが起きていたのです。
エネルギーをかなり高く与えられたにもかかわらず、核の中の「殻構造」が頑固に消えずにずっと影響を及ぼしていました。
この殻構造が核の分裂を均等ではなく、「一方が大きく、もう一方が小さい」ようなアンバランスな破片に分ける原因になっていたのです。
この結果は、これまでの核分裂の「常識」を覆すものでした。
また研究チームは、核が分裂する直前に中性子を放出する現象(多段階分裂)が、この結果にどのような影響を与えるかも検証しました。
中性子が出ることで核のエネルギーは変化しますが、この影響がどこまで重要なのかはあまり知られていませんでした。
解析の結果、核が割れる際の破片の大きさの比率には多段階分裂はほぼ影響しませんでしたが、破片が飛び出すときの運動エネルギーには大きな影響を与えることがわかりました。
つまり、水銀核が割れる直前に中性子を出すかどうかは、「どのような速さで破片が飛び出すのか」という点に大きく関係していることが明らかになったのです。
これは実験で実際に測定できる指標であり、多段階分裂を調べる新たな手がかりとして注目されています。
水銀原子核が「頑固」な理由とは?核分裂研究の未来
今回の研究によって、「水銀の核が不均等に分裂する理由」が初めて明らかになりました。
その原因となったのは、核の中にある「殻構造」と呼ばれる特別な安定性が、高いエネルギー状態でも頑固に消えずに残るためでした。
一般的に核分裂では、エネルギーが高まるにつれて核の内部構造の影響は薄れ、均等に割れやすくなるはずです。
しかし水銀の場合は、まるで「割れにくい頑丈なクルミ」のように、その殻構造が最後まで強く主張し続け、大きさの異なる2つの破片に割れることになります。
つまり、水銀は軽くても原子核の中身が非常に頑固だったのです。
さらにこの研究では、これまであまり注目されていなかった「多段階分裂」も、核分裂にとって非常に重要であることが明らかになりました。
多段階分裂とは、核が割れる直前に中性子を放出し、エネルギーを一度失ってから改めて割れる現象ですが、この過程が特に破片が飛び出す際の運動エネルギーに大きな影響を与えることが分かりました。
これは、「破片がどれくらいの速さで飛び散るかを調べれば、核が中性子を放出したかどうかが分かる」という、新しい分析方法につながる可能性があります。
また、この研究から意外な新発見として、「スーパー・ロングモード」と呼ばれる特殊な核分裂の形態が、水銀180には全く見られないことも分かりました。
スーパー・ロングモードとは、核が細長く伸びきったあとで均等に割れる特殊なパターンで、ウランのような重い元素ではよく知られていました。
しかし、水銀180ではこのモードが完全に消えており、不均等に割れる経路しか存在しないことが明らかになったのです。
この意外な結果は、「水銀180には均等に割れようとしても、絶対に割れられない理由がある」ということを示しています。
その背景には、核が分裂する際の「分裂しやすさ」を決めるエネルギー障壁の違いが関係していると考えられており、今後さらに詳しい研究が期待されます。
(※実は自然界にもよくある水銀202や200など安定同位体が均等分裂することも実はまだ証明されていません。これらの同位体は自然界では非常に安定で、自発的に分裂することはなく、人工的に核分裂を誘発する実験もほとんど行われていません。あくまでも「理論的に予測されているだけ」という段階にあります。これらの予測を確かめるには、将来的な実験研究が必要というのが実情です。)
今回の成果は、核分裂という現象を理解するための重要な一歩になりました。
これまではウランやプルトニウムなどの重い元素が主な研究対象でしたが、今回の新しいモデルによって、軽い元素である水銀の核分裂も同じ枠組みで説明できることが示されたのです。
研究チームは、この5次元Langevinモデルが、さまざまな元素の核分裂現象を高い精度で予測できる非常に有力なツールになることを確認しています。
この発見は、「核分裂についての私たちの常識」を塗り替えるものであり、まだ知られていない他の元素や核分裂のパターンを解き明かすための重要な手がかりとなるでしょう。
水銀の核に秘められたこの驚くべき性質は、核物理学の長い歴史の中でも特に興味深い新事実として記憶され、私たちが核を理解する新しい扉を開くきっかけになるに違いありません。
元論文
Shell effects and multichance fission in the sub-lead region
https://doi.org/10.1103/PhysRevC.111.054620
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部