科学の世界で長年解けていない謎、「重力は量子的現象なのか?」――この難題に挑むため、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究チームがレーザーを使って約1センチ大の「ねじれ振り子(トーションオシレーター)」を室温からわずか0.01ケルビン上(10ミリケルビン)の極低温まで冷却することに成功しました。
ねじれ振り子は古くから重力の実験に使われてきた装置ですが、今回研究者たちは最先端のレーザー技術と組み合わせることで、この振り子を10ミリケルビンという極低温にまで冷やし込むことに世界で初めて成功したのです。
この成果によって、「重力は量子か?」という物理学最大級の疑問に答える実験への道が開けるかもしれない、と注目を集めています。
果たして重力は量子のように粒としての性質を持つのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年04月19日に『Optica』にて発表されました。
目次
- なぜ重力だけが量子として観測できないのか?
- MITの“超極冷”振り子
- 重力だけで量子もつれを起こせるか?
なぜ重力だけが量子として観測できないのか?

重力だけが他の基本的な力と異なり、いまだ量子論で記述することができていません。
電磁気力、弱い力、強い力の3つはすべて量子論でうまく説明されていますが、重力については完全で一貫した量子論(いわゆる「量子重力理論」)が存在せず、重力子(グラビトン)という仮説上の粒子も未発見のままです。
理論物理学者たちは重力が古典的なままの可能性から他の力と同様に量子的である可能性まで、さまざまな仮説を提案してきましたが、実験室で重力の量子的性質を検証する明確な方法が無かったために、議論は決着していません。
MIT機械工学科の博士課程に在籍するドンチョル・研究者たち(研究の筆頭著者)は、「答えを見つける鍵は、重力を感じるほど十分大きな質量を持ちながら、量子の振る舞いを示すほど静かに動く機械系を用意することにあります」と指摘します。
つまり、重力の影響を受ける“大きさ”と量子現象が現れる“繊細さ”という、一見相反する条件を同時に満たす装置が必要なのです。
研究チームが目を付けた装置が「ねじれ振り子(トーションオシレーター)」と呼ばれるものです。
これはシリコンナイトライド製の薄膜リボンを両端で固定し、鏡を載せた部分がねじれるように揺れる振り子で、18世紀に物理学者ヘンリー・キャベンディッシュが重力定数を測定した有名な実験(1798年)以来、重力研究の伝統的手法として用いられてきました。
以来、ねじれ振り子は万有引力の法則の検証や重力による微小な効果の探索に古典的な道具として活躍してきました。
この振り子は質量を載せても機械的な損失が小さく、すなわち品質係数Qが非常に高く、長時間にわたり微弱な力で揺れ続ける特性があります。
研究チームは、この古典的装置を量子の領域へと引き入れることを目指しました。
「重力物理学の伝統的手法と、原子・光物理学のレーザー冷却技術という2つの分野を組み合わせることで、古典と量子の橋渡しをしようとしています」と研究者たちは説明します。
レーザーを用いた冷却技術は1980年代から原子ガスを極低温に冷やすために確立されており、また2010年前後にはナノサイズの機械振動子の直線運動を冷却する試みも行われてきました。
しかしセンチメートル級のねじれ振り子にレーザー冷却技術を適用するのは今回が初めてであり、この新しい「ハイブリッド」実験装置こそが重力を量子論で記述すべきかどうかを検証する全く新しい実験系になると期待されます。
目に見えるセンチメートル級の振り子で重力子が量子であることが示されれば、古典物理と量子力学の理想的な融合となるでしょう。
MITの“超極冷”振り子

研究チームは長さ1センチメートルほどのシリコンナイトライド製薄膜リボンを両端で固定したトーションオシレーター(ねじれ振り子)を製作し、この振り子のわずかな回転運動をレーザー光で計測すると同時に制御することで冷却しました。
具体的には振り子に小さな鏡を取り付け、そこにレーザー光を当てて振り子の角度の変化を捉えます。
「オプティカルレバー」と呼ばれるこの手法では、鏡がほんの僅かに傾くだけで反射したレーザー光の位置が大きくずれるため、振り子の微小な角度変位を拡大して検出できます。
しかしレーザー計測には課題もありました。
研究者たちは「レーザー光そのものが空気の揺らぎや振動、光学系のわずかな乱れによって微妙にブレてしまうことがあります。これがあたかも鏡(振り子)が動いたかのような誤信号として現れてしまい、真の物理信号の測定を妨げるのです」と説明しています。
つまり装置の感度を上げるほど、レーザーの揺らぎによる偽の振動信号(ノイズ)が無視できなくなる問題に直面したのです。
研究チームはこの課題を解決するために「ミラー付きオプティカルレバー方式」を導入しました。
同一レーザーをビームスプリッターで二分し、一方のビームを振り子の鏡に当てて振動を計測しつつ、もう一方をコーナーキューブ反射器で逆向きに戻してレーザー固有の揺らぎだけをキャンセルする仕組みです。
2本のビームを検出器上で重ね合わせると、振り子の本当の信号だけが残り、不要な揺らぎ成分は打ち消し合って消えます。
この巧妙な手法により角度ノイズのパワースペクトルが約60 dB(振幅でおよそ1/30)低減され、振り子の運動を極めて高い精度で捉えることが可能になりました。
圧倒的な低ノイズ化により、研究チームは振り子の微小運動を量子論が規定する「ゼロ点ゆらぎ」よりも約10倍も小さいノイズで検出できるようになりました。
この高感度を活かし、研究チームはレーザーの光圧によるフィードバック制御で振り子から熱エネルギーを奪い、室温(約300 K)から10ミリケルビン(0.01 K)という極低温まで冷却することに成功しました。
10ミリケルビンとは絶対零度のわずか0.01度上の温度で、人類が達成した中でも指折りの低温です。
研究者たちは「この感度があったおかげで、レーザー光を使って振り子の温度をわずか10ミリケルビンまで下げることができました」と述べています。
重力だけで量子もつれを起こせるか?

今回の成果について、研究者たちは「これは始まりに過ぎません」と述べています。
現在の段階で、振り子の運動は量子ゆらぎに迫るほど小さく制御できましたが、それでもなお完全に「量子の最低エネルギー状態(量子基底状態)」に達したわけではありません。
言い換えれば、振り子の持つエネルギーを絶対零度に対応する最小限まで取り去りきった状態(ゼロ点振動だけの状態)には、もう一歩及んでいないのです。
研究チームは今後、この真の量子基底状態を実現することを目標に掲げています。
そのためには光学的な相互作用をさらに強める工夫が必要で、例えば光学キャビティ(光の共振器)によって振り子の微小な角度変化を増幅したり、レーザーの力で直接振り子を宙に浮かせるような新たな手法(光学トラップ)を検討したりしているとのことです。
これらの改良により、振り子の冷却はついに量子基底状態に到達し、単一光子スケールの力を直接観測するような実験も視野に入ります。
では、なぜ研究チームはそこまで振り子を冷却し、量子の静けさを追い求めるのでしょうか。
その答えこそ、「重力が量子である証拠をつかむ」ための実験計画にあります。
研究者たちたちは将来的に今回のような冷却振り子を2つ用意し、互いに重力だけで影響し合う状況を作り出すことを構想しています。
極限まで熱揺らぎを抑え量子状態に近づけた2つの振り子を真空中に置き、機械的・電磁的なつながりは一切持たせずにただお互いの重力だけを感じさせるのです。
もし重力が他の力と同様に量子的な現象であるなら、この2つの振り子の間にごく微かな量子もつれ(量子力学的な相関関係)が生じる可能性があります。
量子もつれとは、離れた物体同士の状態が互いに絡み合い、一方を観測すると他方の状態も連動して決まるという不思議な現象です。
重力以外に接点を持たない2つの物体が量子もつれを示したならば、それは重力自体が量子的な相互作用を媒介しているという決定的な証拠になるでしょう。
研究者たちは「こうした改良によって、2つの振り子が重力のみで相互作用する実験への扉が開かれます。それによって重力が量子的かどうかを直接確かめられるようになるでしょう」と未来への展望を語っています。
今回の研究は、古典物理学から量子物理学への架け橋となる全く新しい実験基盤を提供しました。
その達成には、相対性理論や量子力学といった物理の深い理解のみならず、実験装置の設計・微細加工・光学制御・電子制御など幅広い工学的技能が求められました。
機械工学をバックグラウンドに持つ研究者たちは、「幅広い知識と技術を総動員することで、この科学で最も基本的な疑問の一つに挑めることに大きなやりがいを感じています」と語っています。
重力は果たして量子なのでしょうか――この壮大な問いに実験で答える日が、少しずつ近づいているのかもしれません。
元論文
Active laser cooling of a centimeter-scale torsional oscillator
https://doi.org/10.1364/OPTICA.548098
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部