大切な家族が突如、荒唐無稽な陰謀論にのめり込んでしまったら――。
そんな信じ難い悪夢が現実に世界中の家庭で起きています。
ニュージーランドのワイカト大学(UoW)で行われた研究によって、陰謀論を信じた家族によって関係が壊れ、深刻な葛藤や不安に苦しむ人々が存在することが明らかになりました。
研究ではQアノンと呼ばれるアメリカでメジャーな陰謀論の影響が調査されており、家族を「カルト」に奪われたような喪失感、安全への不安、そして残された家族による必死の対処法――そうした生々しい実態をリアルに読み取ることができます。
暴走する信念が引き起こす悲嘆・恐怖・そしてわずかな希望までを映し出したこのデータは、私たちが「もし家族が陰謀論に染まったら」という最悪の想定にどう向き合うべきかを示してくれるかもしれません。
研究内容の詳細は2025年3月21日に『Journal of Social and Personal Relationships』にて発表されました。
目次
- 陰謀論が「家族」に影響を与えている
- その“目覚め”は家族崩壊の合図だった
- 陰謀論は“個人の趣味”で済まない――家族崩壊の連鎖をどう止める?
陰謀論が「家族」に影響を与えている

Qアノンとは2017年に米国のインターネット上で生まれた陰謀論運動で、機密情報「Qクリアランス」にアクセスできるとする匿名人物「Q」が、悪魔崇拝の小児性愛集団に関する隠された「真実」を暴露しているというものです。
支持者たちはドナルド・トランプ氏が秘密裏にその闇の組織と戦っていると信じており、荒唐無稽な内容にもかかわらずこの陰謀論は瞬く間に拡散しました。
Qアノンは他の陰謀論に比べて「冗談レベルの噂」思う人が存在しますが、その勢いと信者たちの妄信ぶりはシャレで済まされない「本物」です。
Qアノンを信じる人々は本気でアメリカは悪魔崇拝者の支配を受けており、トランプ氏がそれに対抗する「光の戦士」であると思い込んでいるのです。
Qアノンとトランプ氏の関係をちょっと詳しく
Qアノンの世界観では、ドナルド・トランプ氏は「闇の勢力」とされる悪魔崇拝の小児性愛ネットワークや腐敗した政府高官、巨大メディアなどとたった一人で戦う“光の戦士”として描かれています。支持者たちは、トランプ氏が大統領時代から極秘に「ディープステート」を一掃する作戦を進めており、匿名投稿者 “Q” が投下する暗号めいたメッセージは、その戦いの進捗を示す合図だと信じています。彼らにとって、議会や司法の動きがどれほどトランプ氏に不利に見えても、それは光が闇を暴くために必要な布石であり、やがて来る「嵐」――大量逮捕と闇勢力の壊滅――の前兆にすぎません。この物語構造の中でトランプ氏は、聖書の救世主やファンタジーの勇者のような役割を与えられ、失敗やスキャンダルさえも「大いなる覚醒(Great Awakening)」へ導く試練と再解釈されるため、彼を疑うこと自体が“闇側”への加担とみなされるほど強固な信仰の対象になっているのです。
2022年までにアメリカ人の約3分の2がQアノンの存在を知り、5人に1人は身近に信奉者がいると答えるまでになったのです。
Qアノンの広がりとともに、多くの家庭が分断に苦しみました。
日本で言えば家族の誰かが特定の首相を「光の戦士」として信奉し、その思想に従って活動している状況に近いと言えるでしょう。
陰謀論を巡る家庭内対立はメディアでも度々取り上げられましたが、それを科学的に分析した研究はまだ少ないのが実情です。
陰謀論が個人に与える影響については多くの研究がありますが、親しい人間関係に与える影響は十分に解明されていませんでした。
そこで注目されたのが、前述のレディット(reddit)と呼ばれるアメリカの匿名掲示板の「Qアノンの犠牲者たち」というテーマのスレッドたちです。
レディットとは?
Reddit(レディット)は、世界中のユーザーが集まる巨大なWeb掲示板で、ざっくり言えば「英語圏版の2ちゃんねる/5ちゃんねる」をテーマ別に細かく区切ったものだと想像してください。2ちゃんねるではスレッドごとに話題が分かれますが、Redditでは「サブレディット」と呼ばれる“板”が無数にあり、ゲームやニュースから学術研究、ペットの写真まで好きな話題を選んで投稿やコメントができます。そして各投稿やコメントには賛否を示す投票ボタンがあり、2ちゃんねるの「レス番号順」ではなく、支持の多いものが上位に浮かび上がる仕組みになっている点が大きな違いです。つまり、2ちゃんねるの自由闊達な議論文化に「人気投票で表示順位が変わる機能」と「テーマごとに独立したコミュニティ」を足して、世界規模に拡張したものがRedditだと考えるとイメージしやすいでしょう。
ニュージーランドのワイカト大学に所属するジャスティン・B・フィリップス氏(法学・政治学・哲学のシニア講師)は、この掲示板に書き込まれた数万件のエピソードを機械学習(AI)で分析し、家族関係への影響を明らかにする研究を行いました。
氏は以前から授業で陰謀論の対人関係への影響を議論し、その中でこのコミュニティを家族への悪影響の実例として学生に紹介していたといいます。
「それならいっそこのテーマで論文を書こう」と思い立ったのが今回の研究の発端でした。
その“目覚め”は家族崩壊の合図だった

フィリップス氏は、2019年半ばから2023年末までの約4年半にわたり 「Qアノンの犠牲者たち」に投稿された「family(家族)」という単語を含む全投稿・コメントを収集しました。
その結果、6,000件以上の投稿と53,000件以上のコメントからなるデータベースが構築され、そこから「家族」に関連する約7万5千の文が得られました。
これほど膨大なテキストを分析するため、フィリップス氏は BERTopic と呼ばれる機械学習手法を用いて投稿内容を自動的に分類しました。
BERTopic は文章の意味に基づいてテーマをグループ化できる AI アルゴリズムであり、この分析により掲示板上の議論が58トピックに分類されたのです。
その中でも特に出現数が多かったのは「深い悲嘆・喪失感」「恐怖・不安」「家族行事での衝突」「パンデミック関連の対立」などで、最多トピックだけで全体の 12%弱を占めており、多くの投稿に共通していたのは深い心の傷でした。
悲嘆や絶望、不安、恐怖といったテーマが頻出し、投稿者たちは自分がまるで家族を「カルト」に奪われ、生きながらにして死別したかのようだと感じていることが伝わってきます。
データにもそれが現れており 「誰が QAnon を信じているのか/信じていないのか」についての話題ではfamily(家族)、mom(お母さん)、dad(お父さん)、mother(母親)、father(父親)、brother(兄・弟)、sister(姉・妹)、husband(夫)、wife(妻)、kids(子どもたち)などの近親者の単語が最も多くみられました。
またそれらに連動してgrief(深い悲しみ)、worried(心配している)、scared(怖がっている)、afraid(恐れている)、upset(動揺している)という「悲嘆」「不安」「恐怖」を表す単語が多く出現していました。
これらは近親者が陰謀論に捕らわれたことについて多くの人々が嘆きをあげていることを示しています。
たとえばある投稿者は「私は打ちのめされています。家族を失いました。生きている人を、まるで死別したかのように嘆き悲しんでいます」と綴り、家族を陰謀論に奪われた喪失感を訴えました。
実際、一部の投稿では、銃や食料を買い込んだり、マイノリティやLGBTQ+への敵意が強まったという証言もありました。
しかし、すべてが絶望的な内容だったわけではありません。
投稿全体の一部ではありますが、希望や和解、問題への対処法に関する話題も見られました。
家族とどう向き合うかについてユーザー同士が助言を交換し、たとえば陰謀論の話題を避けながら家族行事を何とか無事に過ごす工夫や、COVID-19 や政治の話をする際の注意点、精神的な距離感の保ち方などが議論されました。
実際に Qアノン を脱した家族と関係を修復できたという成功談も共有され、同じ境遇の人々への励ましとなっていました。
特に注目すべきは、現実的な問題への対処に関するトピックが人気を集めていたことです。
投稿の中でも高い支持を得ていたのは、パンデミック下での家族間対立――例えばワクチン接種やマスク着用、ソーシャルディスタンスを巡る意見の食い違い――への対処法や、陰謀論を信じる家族と過ごす年末年始のイベントの切り抜け方といった実践的な相談でした。
また、愛する家族と対話する方法を求める投稿も広く共感を集めており、多くの人が可能であれば関係を修復したいと願っていることがうかがえます。
分析から、陰謀論に傾倒する人の家族内での立場も実に様々であることが明らかになりました。
投稿では信奉者として「母」「父」「兄弟姉妹」「夫・妻」などあらゆる家族が言及されており、特定の年代や性別に限らず誰もが Qアノン に染まりうる現実が浮かび上がっています。
さらに、この掲示板は当事者同士の支え合いの場ともなっていました。
多くのユーザーは自分と同じ悩みを抱える人々がいることに救われたと語り、コミュニティへの感謝を述べています。
実の家族関係が耐え難いほど悪化した場合は、気の合う仲間と「選択家族」を築こうという声も見られました。
なお、投稿者たちの間では Qアノン は明確に「カルト」として捉えられていました。
掲示板では Qアノン による急進化の過程が、麻薬やアルコールの依存症に陥った家族を支える場合に似ているとの指摘もあり、いわば脱洗脳が必要だというニュアンスで語られる場面もありました。
フィリップス氏は「このフォーラムの投稿者たちは、陰謀論によって家族が受けた悪影響や、求めるサポートネットワーク、そして家族間の摩擦を解消するための様々な戦略について、実に多くを語っている」と指摘します。
具体的には「辛抱強く接し、政治の話題を避ける」という穏健な方法を勧める声から、「もはや離婚や接近禁止命令もやむなし」といった極端な決別を提案する声まで、意見は分かれていました。
皮肉なことに、陰謀論を信じる側の家族も信じない側の家族も、どちらも「家族を救う」という同じ目的で衝突か断絶という相反する手段を取ってしまっている場合が多いとフィリップス氏は述べています。
また、この掲示板上では「陰謀論が家族に及ぼす影響をもっと研究してほしい」という切実な訴えも散見され、フィリップス氏自身、この点に心を動かされたと明かしています。
陰謀論は“個人の趣味”で済まない――家族崩壊の連鎖をどう止める?

今回の研究から、陰謀論は単に信じる本人だけでなく、その周囲にいる家族という社会の最小単位にも深刻な影響を与え得ることが明らかになりました。
家族を亡くしたかのような悲嘆や、関係断絶の危機、そしてそこから生まれる新たな支え合いの必要性など、その影響は極めて深刻です。
Qアノンという一例を通して、陰謀論が家族崩壊を招くリアルな実態が浮き彫りになったと言えるでしょう。
実際、2024年に発表された15名へのインタビュー研究でも、信奉者の性格が一変してしまうこと、家族との感情的・物理的な距離が生じること、激しい口論が増えること、そして様々な和解の試みが行われていること、という四つの共通テーマが報告されています。
Qアノンによって家族関係が悪化する傾向は、こうした少人数の聞き取り調査から今回の大規模なテキスト分析まで、一貫して観察されているのです。
ただし、この研究にはいくつかの限界もあります。
まず、分析対象とした「Qアノンの犠牲者たち(r/QAnonCasualties)」は陰謀論による悪影響に苦しむ人だけが集まる場であり、データはどうしてもネガティブな事例に偏ることになります。
言い換えれば、実際には陰謀論から立ち直って家族関係を修復できたケースや、信奉者本人の視点などはこの分析には含まれていません。
また、投稿者の年齢や性別、政治的傾向や信仰といった属性データがないため、そうした要因による違いを検証できない点も課題です。
フィリップス氏も「フォーラムには陰謀論の悪影響に苦しむ人しか集まっていないため、この研究結果を利用する際にはその偏りに注意すべきだ」と認めています。
ただし氏は、「陰謀論はQアノンに限らず昔から存在し今後も現れ続けるものだから、今回の知見にはQアノン以外にも一般化し得る可能性がある」とも述べています。
陰謀論の社会的弊害というと、デマの拡散や政治的過激化など大局的な問題に注目が集まりがちです。
しかし本研究は、その陰で見過ごされがちな家族単位の痛みに光を当てました。
陰謀論によって心が引き裂かれる家族を支援することも、今後の社会における重要な課題と言えるでしょう。
フィリップス氏自身も、この成果によって陰謀論が人間関係――とりわけ家族――に及ぼす影響への理解が深まることを目指しています。
家族という基盤から社会全体を蝕む陰謀論に、私たちは今後どう向き合うべきなのでしょうか。
今回の研究は、その難題に取り組むための一歩となるかもしれません。
元論文
“I’m so worried about my whole family”: Modeling r/QAnonCasualties to better understand the effects of (QAnon) conspiracy beliefs on families
https://doi.org/10.1177/02654075251328116
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部