世界が新たな感染症の脅威にさらされた記憶は、まだ色濃く残っています。
そんななか、アメリカのワシントン大学で行われた研究によって、致死性の高い鳥インフルエンザウイルス(H5N1)を、わずか5分以内に検出できる小型装置が開発されました。
複雑な検査手順や長い待ち時間を要しない「キャパシタ型バイオセンサー」と呼ばれる技術を活用することで、現場で素早くウイルスの存在を察知できるといいます。
もしこの技術が普及すれば、ウイルスの拡散を食い止める切り札になるかもしれません。
この装置は本当に、私たちを次のパンデミックから守ってくれるのでしょうか?
研究内容の詳細は『ACS Sensors』にて発表されました。
目次
- 鳥インフルエンザH5N1の脅威──なぜ“空気中のウイルス”に注目するのか
- 5分で空気中の鳥インフルエンザの存在を判定する仕組み
- 空気中のウイルスを5分で検知できるようになると何が変わるか?
鳥インフルエンザH5N1の脅威──なぜ“空気中のウイルス”に注目するのか

高病原性の鳥インフルエンザH5N1は、「鳥インフルエンザ」という名前からもわかるとおり、もともとはニワトリやカモなどの家禽・野鳥の間で大流行を繰り返してきたウイルスです。
しかし、これがもしヒトに広がったらどうなるでしょうか。
過去には、養鶏場で集団発生したH5N1がヒトに感染し、重症化や死亡例が報告されたこともあります。
その数自体は多くはないのですが、問題はウイルスが変異しやすい性質をもっていること。
いったんヒト同士で容易にうつる“呼吸器経路”を獲得すると、新型コロナウイルスのような世界的なパンデミックを引き起こすリスクが一気に高まります。
人類が免疫を十分に持たない未知のウイルスが蔓延するとどうなるか──これはすでに私たちがここ数年で身をもって体験してきたことでもあります。
そこで「空気中にどれだけH5N1が漂っているのか」を素早く測れる技術があれば、感染爆発の芽をいち早く摘むことができるかもしれません。
これまでにもPCR検査のように、遺伝子を増幅してウイルスを高感度で検出する方法は存在しました。
しかし、PCRには時間と手間、そして専門設備が必要です。
近年では、30分ほどで結果を得られる簡易PCR装置も一部で開発されていますが、依然として従来型は大がかりな機器と作業工程を要します。
現場で何十、何百というサンプルを素早く調べることは、大がかりな出張ラボや熟練技術者のサポートなしには難しい状況でした。
一方で抗体を利用した「イムノアッセイ」などの検査方法も開発されていますが、比較的早いとはいえ最短でも数十分以上かかったり、ターゲットとなる病原体に合わせて反応試薬を用意する必要があったりするのが現状です。
そこで今回研究者たちは、もっと簡単かつ短時間で、空気中のウイルスを直接検出できる方法を開発することにしました。
5分で空気中の鳥インフルエンザの存在を判定する仕組み

新たに開発されたセンサーは大きく分けて「空気からウイルスを集める工程」と「ウイルスを検知するセンサーの工程」の二段構えになっています。
まず、空気中にあるごく微量のウイルスを液体内へ取り込みます。
ただ空気中のウイルスは非常に小さいため、そのままセンサーに吹きかけても正確に検出するのは難しいところです。
そこで研究チームは、ウェットサイクロン式サンプラーという装置を用いました。
これは、外部から空気を勢いよく吸い込み、内部で渦を巻く液体と空気を接触させることで、空気中のウイルスを液体へ巻き込み、最後にその液体を回収するという仕組みです。
こうしてウイルスが含まれるかもしれない液体サンプルが得られたら、次はいよいよ新開発のバイオセンサーの登場です。

このバイオセンサーはPB(プルシアンブルー)とGO(グラフェン酸化物)という素材を特殊な方法で同時に電極に塗り込み、ウイルスが電極に付着すると電気容量(キャパシタンス)が変化する仕組みになっています。
(※要は特定のウイルスが付着したときだけ電気的な変化が起こる電極です)
この電極表面にはH5N1ウイルスに結合しやすい抗体やアプタマーが固定化されているので、ウイルスを含む液体サンプルを電極に浸すだけで、ウイルスの有無による電気的変化が短時間で観測できます。
しかもPCRのようにDNAやRNAを増幅する工程を必要としないため、結果が出るまでにかかる時間はおよそ5分以内という短さです。
さらに、この装置ではウイルスがどれくらいの濃度で含まれているかを大まかに推定する工夫も取り入れられています。
具体的には、サンプル液を何段階かに薄めて各段階での陽性・陰性を判定し、“どの段階まで陽性が持続するか”を見比べることでウイルス量の目安をつかむという方法です。
これを「準定量(Quasi-quantification)」と呼び、PCRほど厳密ではないものの、現場で危険度を素早く把握するには十分だと考えられています。
最終的に研究者たちが示したのは、空気をサッと吸い込んで液体に閉じ込めるサンプラーと、ウイルスを電気容量の変化で検知するキャパシタ型センサーを組み合わせれば、複雑な装置や長い検査時間を必要とせず、空気中のH5N1ウイルスを短時間で捉えられるということです。
PCRなどの従来の手法に比べると、現場ですぐに対応できるというアドバンテージが大きく、複数の病原体に対応する改良やさらなる小型化・自動化にも大きな期待が寄せられています。
研究としてはまだ実験室ベースとはいえ、この技術が実用化されれば、インフルエンザや他の呼吸器系病原体の早期発見に大きく貢献するかもしれません。
空気中のウイルスを5分で検知できるようになると何が変わるか?

今回のシステムが示す最大の利点は、空気中のウイルスをほぼリアルタイムで捕捉し、その場で判定できる点にあります。
PCRのように高い精度を持つ既存技術は、十分な設備と時間を要するため、現場対応が難しいという弱点がありました。
一方で、今回のキャパシタ型センサーはPB/GO 電極を用いることで高感度を維持しつつ、わずか5分以内で結果が得られるという“素早さ”を実現しています。
これは即時のリスク評価が求められる畜産施設や医療現場で、大いに役立つ可能性を秘めています。
さらに、今回示された「準定量(Quasi-quantification)」という発想は、病原体の大まかな濃度を知りたい現場には非常に便利です。
詳細な数値化が必要であれば依然としてPCRなどの補助的な検査を行えばよい一方で、日常的なモニタリングでは、「危険レベルに達しているか」「まだ安全と言えるか」を素早く把握できるかどうかが重要になります。
この二段構えの方法論は、感染症対策における“効率性”と“厳密性”をうまく両立させるものでしょう。
もっとも、この技術が今後社会に広く導入されるためには、乗り越えなければならない課題もあります。
センサーの大量生産や小型化は、スクリーン印刷電極という基盤のおかげである程度見通しが立つものの、実際の家禽農場や屋外環境で試験運用する際には、温度や湿度などの環境要因、あるいはほこりや他の微生物の影響をどう軽減するかが問題になるはずです。
システム自体の安定性やメンテナンス性を高める工夫が進めば、持続的に監視できる「リアルタイムモニタリングシステム」として発展し得るでしょう。
一方、今回テストされたのはH5N1ウイルスと大腸菌(E. coli)でしたが、電極表面に異なる抗体やアプタマーを固定化することで、他の病原体にも応用できる可能性があります。
例えばインフルエンザウイルスの別の型や、新たに出現したウイルスなど、狙いたいターゲットを変えるだけで柔軟に対応が可能というのは、大きな強みです。
こうしたマルチプレックス化(複数の病原体を同時検出)に成功すれば、感染症監視の効率が格段に高まることが期待されます。
結局のところ、この研究の意義は「空気中のウイルスを、短時間で直接計測する」というコンセプトを実証した点にあります。
従来の方法よりも短時間・少ない労力で定点観測ができるようになれば、流行の拡大前に早期警戒が可能となり、人獣共通感染症を含むさまざまな感染症対策に役立つでしょう。
今後は実証実験や臨床応用のための改良、そして社会実装へ向けたロードマップの策定など、解決すべき課題もありますが、今回の技術がもたらす“迅速・簡易・高感度”という新しい価値が、ウイルス監視の新たなスタンダードを生み出すかもしれません。
元論文
Capacitive Biosensor for Rapid Detection of Avian (H5N1) Influenza and E. coli in Aerosols
https://pubs.acs.org/action/showCitFormats?doi=10.1021/acssensors.4c03087&ref=pdf
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部