可愛いかもしれません。
スペインのスペインの進化生物学研究所(IBE)で行われた研究により、シロアリの巣の中で暮らしているクロバエの幼虫が、奇妙な顔のような模様を持っていることが示されました。
シロアリの社会は、厳重な警戒態勢が特徴で、ほんの少しでも異物があると兵隊シロアリがすぐに排除してしまうと言われています。
しかしこの幼虫は、自分のお尻にシロアリの頭そっくりの「偽の顔」をまとい、さらに所属するコロニーごとに異なる独特の匂いまで完全にコピーして、シロアリたちに仲間として受け入れられています。
発見者である研究チームのメンバーは、「雨が多くて蝶が飛んでいなかったので、石の下を探していたらシロアリの巣を見つけ、そこで見慣れないハエの幼虫が3匹もいたので驚いた」と話しています。
詳しく調べた結果、この幼虫は自分で食料を運ぶわけではないのに、シロアリから攻撃されることなく、むしろ世話を受けるような行動が観察されたのです。
いったい、この幼虫はどのようにして、なぜシロアリ社会に「潜入」できたのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年2月10日に『Current Biology』に掲載されました。
目次
- “鉄壁の巣”が狙われる理由
- “尻に顔”を持つ幼虫の正体
- なぜ尻に“顔”が必要?
“鉄壁の巣”が狙われる理由
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シロアリはアリやハチと同様に高度な社会性をもつ昆虫で、巣の内部では女王・兵隊・働きシロアリなどの階級が明確に分かれ、互いに役割分担をしながら生活しています。
社会性昆虫の巣は温度や湿度が安定し、豊富な食料と仲間がそろう“恵まれた住処”ですが、その一方で外敵や異物を排除するための厳重な防御態勢が整っています。
兵隊シロアリは微妙な匂いや触覚の感触を頼りに仲間以外を即座に排除するため、外部の生物が巣の内部に深く入り込むことは通常困難と考えられてきました。
しかし、昆虫界には社会性昆虫の巣へ巧みに寄生・共生する例がいくつも存在します。
アリの巣では、コオロギやカブトムシがアリの運ぶ食料を盗んだり、寄生バエが産卵して幼虫を育てたりするケースが知られています。
シロアリの巣に限っても、フトヒゲブユ科(Phoridae)のハエが働きシロアリに擬態して潜り込む事例が報告されていますが、クロバエ科(Calliphoridae)が同じようにシロアリ社会へ高度に統合しているという報告は極めて珍しく、今回の研究は非常に貴重な発見となりました。
今回注目されたのはシロアリの一種「Anacanthotermes ochraceus」という種類です。
夜間や薄暮に地上へ出て植物の種子や草などを集めるため、機能的な目を持つという点が多くのシロアリと異なります。
加えて、コロニー内部では視覚だけでなく化学物質(匂い)でも仲間同士を識別するため、視覚と嗅覚を併用した強力な防衛システムを備えていると考えられてきました。
にもかかわらず、シロアリの巣に紛れ込み、しかもシロアリに世話までされるようなクロバエ幼虫の存在は、私たちの常識を覆す現象として大きな注目を集めています。
“尻に顔”を持つ幼虫の正体
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研究チームがこのクロバエの幼虫を初めて発見したのは、モロッコ南部のアンティアトラス山脈で蝶やアリを調査していた際の偶然でした。
雨が多く、蝶が飛ばないために石をめくってアリを探していたところ、シロアリの巣が見つかり、その内部で奇妙な姿をしたハエの幼虫を3匹だけ発見したのです。
その後、同じ地域を再調査(合計3回の遠征)しても追加で見つかったのはわずか2匹だけで、しかも別のシロアリ塚にいたという稀少さから、研究者たちはより詳しい分析を行うことにしました。
この幼虫を綿密に観察すると、その“尻”にはシロアリの頭部そっくりの構造があり、目のように見える部分は実は呼吸孔(気門)であることが分かりました。
さらに体には多数の触手状の突起があり、走査型電子顕微鏡による観察でシロアリの触角に非常に似た形状を持つことが明らかになったのです。
巣の内部では視覚よりも匂いによる認識が重視されますが、この幼虫を分析すると、コロニーのシロアリとほぼ同一の化学成分をまとっているばかりか、同じシロアリ塚内で微妙に異なる匂いの違いすら“コピー”していることが判明しました。
実際に巣の餌室で観察すると、幼虫はシロアリに囲まれて“口移し”で餌をもらっているような行動や、グルーミング(体の清掃行為)を受けている姿が確認され、まるで仲間として扱われているように見えました。
ただし、この関係をより詳しく探ろうと巣ごと研究室に移動してみても、幼虫は成虫になる前に死んでしまい、生態の多くは依然として不明のままです。
その後の遺伝子解析によって、この幼虫がクロバエ科(Calliphoridae)のRhyncomya属(亜科Rhiniinae)に属することがわかりました。
かつては「Prosthetosomatinae」という亜科として扱われた可能性があるグループですが、今回の解析ではRhiniinaeに再分類されることが示唆されています。
これまでシロアリの巣に深く入り込むハエとしてはフトヒゲブユ科(Phoridae)がよく知られていましたが、クロバエ科のグループが同様にシロアリ社会へ“潜入”する例は極めて珍しいのです。
しかも、両者はおよそ1億5千万年以上前に分岐した全く別の系統であり、社会性昆虫との関係をそれぞれ独立に進化させた可能性が高いと考えられます。
このように、シロアリ社会の頑強な防衛網をかいくぐり、しかも巣の一員として受け入れられるというユニークな進化は、社会性昆虫の多彩な生態を改めて浮き彫りにする興味深い事例となっています。
なぜ尻に“顔”が必要?
なぜ「尻に顔」を作るほどの進化が起こったのでしょうか。
シロアリの防御態勢はとても厳重ですが、今回のクロバエの幼虫はそんな社会に受け入れられていました。
シロアリの巣は、温度や湿度が安定していて、食料も豊富なとても快適な環境です。
その一方で、いったん侵入者とみなされると、兵隊シロアリの攻撃を受けて命を落としかねません。
この大きなリスクに対処するため、幼虫は姿や匂い、さらには行動面までシロアリそっくりに合わせる“究極の擬態”を進化させてきたのだと考えられます。
しかも、このタイプのシロアリは機能的な目をもっているため、化学擬態だけでなく見た目の擬態にも気を配らなければなりません。
そこで“お尻にシロアリの頭そっくりの偽の顔”を作ることで、視覚や触覚の両面で敵対的な反応を回避できるようになったのでしょう。
こうしてシロアリのコロニーからすると、幼虫はまるで仲間のように見えるうえ、コロニーの匂いさえ完璧にコピーしているので、不自然な存在だと気づきにくくなっているのです。
とはいえ、この関係が本当にただの「社会寄生」なのか、それとも何かしらのメリットをシロアリ側に与えているかは、まだわかっていません。
シロアリは幼虫に餌を分け与えているように見えますが、幼虫がシロアリにとって有益な存在である可能性を示す証拠は見つかっていないのです。
とはいえ、排泄物など幼虫が出す何らかの物質がシロアリに良い影響を与えている可能性もあり、その点は今後の研究課題となっています。
さらに、今回の発見によって、シロアリの巣で暮らすハエがフトヒゲブユ科(Phoridae)だけでないことも明らかになりました。
クロバエ科というまったく別の系統が、独自にシロアリ社会へ“潜入”する進化を遂げていたのです。
しかも、両者の系統は約1億5千万年以上前に分岐したとされ、社会性昆虫との共生や寄生が異なるグループで繰り返し起こってきたことを示唆しています。
こうした事例は、進化の不思議と奥深さを強く感じさせてくれます。
今回の研究は、たまたま見つかった数匹の幼虫を詳しく調べたところから始まりましたが、それでも謎はたくさん残されています。
幼虫がシロアリにうまく擬態しているのはわかったものの、実際に何を食べているのか、どんなタイミングで成虫になるのか、成虫になったあとはどう行動するのかなど、わからないことだらけなのです。
実験室での飼育は難しく、成虫になる前に死んでしまうことも多いそうです。
それでも研究者たちは、シロアリとの深い絆をどのように保っているのかを明らかにしようと、これからも調査を続けていくといいます。
また、同じような現象がほかの地域や別のシロアリの種類でも起きているのかどうかも、大きな関心事です。
実際に調査を進めていけば、自然界がいかに多様で、まったく予測がつかない進化の物語を秘めているかを、さらに実感できるかもしれません。
そして、私たちの知らない不思議な昆虫の暮らしが、まだまだあちこちに潜んでいるのだと思うと、わくわくしてきますね。
元論文
Blow fly larvae socially integrate termite nests through morphological and chemical mimicry
https://doi.org/10.1016/j.cub.2025.01.007
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部