ヒトはいつから1人で生きることをやめたのでしょうか?
科学者たちは霊長類(サルの仲間)の社会を調べることで、私たち人間社会の起源を探ってきました。
霊長類の社会について、これまで有力視されていた学説は「霊長類の祖先種は単独生活をしており、そこから時間が経つにつれて群れで生活をする種が出現した」というものです。
元々は独りで生きていた生物が、仲間と協力し合う利点を見つけ、群れ生活へと変化していったというのは理解しやすい考え方です。
ところが、フランスのストラスブール大学(University of Strasbourg)のオリバー氏(CA Olivier)を筆頭とする研究チームが、霊長類215種のデータを解析し霊長類の祖先種の生活形態を調べたところ「霊長類の祖先種は、単独生活をしておらず、1頭のオスと1頭のメスから成るペア型の生活(群れ)であった」ことが明らかになったのです。
これは現在単独生活を送るような種は、以前群れ生活をしていたがそれをやめて単独生活に戻った、という流れを示しており、従来の学説をひっくり返す驚きの発見です。
社会を離れて1人で暮らしたいというのは、個人の願望だけでなく、進化の流れの中でも起きていたことなのかもしれません。
本研究成果は2023年12月28日付に科学誌「PNAS」に掲載されました。
目次
- サルの社会から、人間の社会を知る
- 定説がひっくり返る!霊長類の祖先種はペア型の生活だった!
サルの社会から、人間の社会を知る
古代ギリシャのアポロン神殿には「汝自身を知れ」と記されています。
この言葉は「私たちは、人間についてよく知らなければならない」という意味であり、私たち人類は人間を知ろうと遥か昔から探究を続けてきました。
では、どのようにしたら、私たちは人間をよく知ることができるのでしょうか?
その答えを求めて教会へと足を運ぶ人もいるでしょう。また、文化や歴史を調べることで答えを探す人もいるでしょう。なかには、芸術を通じて答えをみいだす人もいるでしょう。
そしてまた、「人間は、ヒトという生物である」という前提を出発点として、人間の生物学的側面から答えを探す人もいることでしょう。
最後の立場に立ち、人間の進化の隣人である霊長類(=サルの仲間)を調べることで、人間の起源や進化史を明らかにする試みは日本や欧米で盛んに行われてきました。
長い歴史のなかで、一部の学者たちは、「言葉をもつ人間だけが社会を形成することができる。そのため、人間と動物を区別する明確な境界線は言葉にある」と考えてきました。
一方、生物系の学者たちは「言葉よりも先に社会を形成する力が進化したはずであり、社会を形成できるのはヒトだけではない」という考えのもと、ヒト以前の社会のすがたの解明を目指して霊長類の研究を進めてきました。
ヒトに加えて、チンパンジーやゴリラなどの類人猿、ニホンザルやメガネザルなどのいわゆるサルを含むグループである霊長類は、ある共通の祖先からだんだんと分岐していったと考えられています。
そのため、この霊長類の祖先が、どのような社会をしていたのかを特定することが、ヒト以前の社会を知るうえで重要なヒントになるはずです。
長年にわたり、科学者たちは「霊長類の祖先は単独生活をしており、そこから時間が経つにつれて群れで生活をする種が出現した」と考えてきました。
このアイデアがうまれた理由の一つは、現存する霊長類のうち、比較的古くに分岐したサルたち(上の図では原猿)の社会が、比較的新しくに分岐したサルたちと比べて、単純であるという点にあります。
このような、単純なものから複雑なものが生じるという流れは、誰もが簡単にイメージできるでしょう。
例えば、単細胞生物を祖先として多細胞生物が出現したり、一つの受精卵から複雑な体が出来あがったりと、だんだんと組織や構造が複雑化していくことは、生物学において順当な考え方です。
しかし、今回、ストラスブール大学のオリバー氏(CA Olivier)を中心とする研究チームは、従来の学説をひっくり返す発見をしました。
定説がひっくり返る!霊長類の祖先種はペア型の生活だった!
「祖先種は単独生活であった」というアイデアは、現存する種において、比較的古い時代に出現した霊長類に単独生活をする種が多いことから推測されてきました。
しかしオリバー氏らは、「近年、これまで単独生活だと想定されていた種が、じつは群れで生活していた」という報告が増えていることに気が付きました。
なお、群れの生活といっても、その形態はいろいろあります。例えばあるオスとメスが長期にわたり一緒に過ごすペア型の生活や、1頭のオスがたくさんのメスと過ごすハーレム型の生活、たくさんのメスとたくさんのオスが一緒に過ごす複雄複雌(ふくしふくゆう)型の生活など、様々です。
そこで研究チームは、これまでに報告された霊長類の研究データを世界中から集めて、そのデータを網羅的に解析することで祖先の社会の姿を解明することを試みました。
今回の研究では集めたデータを解析する上で、これまでにない非常に洗練された工夫をこらしました。
従来は「Aという種類のサルは単独生活をしており、Bという種類のサルは群れで生活をしている」といったように、ある1つの種は、ある1つの社会のみを形成すると想定して、解析が実施されてきました。
ここで、人間を例として考えみましょう。日本人の社会は、上下関係が非常に厳しく、それは個人の年齢によって規定されているようにみえます。では、日本人の社会=ヒトの社会だといわれて、納得する人はいないでしょう。同じ人間でも、アメリカ人とヨーロッパ人、日本人の社会には大きな差異が認められます。
※私たちは「人種」と言って人を区別したりしますが、生物学的に見れば、どれも同じヒト(ホモ・サピエンス)という種です。どのような人種の組み合わせであっても、ちゃんと子どもを作ることができるからです。
このように、同一の種内にも異なる社会が形成される例というのは、ヒトだけでなく、サルの世界においても頻繁に見られることがすでにわかっています。
そこで、オリバー氏らは、「同一種内においても、違う場所に住む集団では異なる社会が形成されることがあるし、もっというと、同じ場所に住む集団内でも異なる社会が形成されることがある」ということを考慮した、現実世界をきちんと反映した解析を実施しました。
オリバー氏らは、215種、493集団の霊長類についてのデータを解析しました。
解析の結果、「これまで単独生活をしていると考えられてきたサルの祖先は、実は1頭のオスと1頭のメスから成るペア型の生活であること」が明らかとなりました。
具体的には、「祖先種のうちの10~20%ぐらいは単独生活をしていたが、80~90%はペア生活であった」という推定結果を示しました。
この発見は、長きにわたり支持されてきた定説、つまり「祖先種は単独生活をしている」というアイデアをひっくり返す結果となりました。
では、この発見はなにを意味するのでしょうか?
従来の考えでは、単独生活をする種から、群れ生活をする種が出現したと考えられていました。
しかし、オリバー氏らの発見が正しければ、ペアで暮らしていた霊長類の中の一部から、単独生活へと戻っていく種と、より複雑な群れを形成する種が出現していったというシナリオが想像できます。
そうなると、いったいなぜ、群れで生きることをやめて、独りで生きることをはじめた種が出現したのか? 独りで生きることには、群れで生きることに比べてどのような利点があったのか? といった新たな問いが生じてきます。
このような問いは、「単純な社会から複雑な社会が生まれる」というアイデアを出発点としては生まれなかったでしょう。
また、近年はウシの仲間やハリネズミの仲間(真無盲腸目といいます)、ハネジネズミの仲間の祖先も、単独生活ではないという知見が報告されています。
もしかしたら、祖先が単独生活種ではないという傾向は、霊長類だけでなく、哺乳類一般に言えることなのかもしれません。
群れで生活する方が有利だから群れ生活へと移行し、それがどんどん進んで複雑な社会を形成していく。従来はそのように考えられていましたが、実際には群れと単独生活を行き来するような流れが進化の中にはあったようです。
「社会を離れて1人になりたい」。それは社会生活を送る中で、人間が誰しも一度は感じる気持ちでしょう。
しかし、それは個人の気持ちなだけでなく、進化という大きな流れの中にもあったのかもしれません。
実際にどういった要因が群れと単独生活の逆転を起こすのかはまだわかりませんが、常識に囚われていては進化の重要な動きを見落としてしまうのかもしれません。
参考文献
進化と人間行動
https://www.utp.or.jp/book/b600572.html
元論文
Primate social organization evolved from a flexible pair-living ancestor
https://doi.org/10.1073/pnas.2215401120
ライター
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。