損傷の激しい部位を切断する「四肢切断」と、その部位を補う「義肢」は、現代では世界中で一般的に行われている医療行為です。
しかし改めて考えると、そのような手術や対処法は、誰もが躊躇するものです。
では、四肢切断と義肢というアイデアは、歴史の中でいつ頃から実施され、どのように広まったのでしょうか。
アメリカのオーバーン大学(Auburn University)歴史学科に所属するハイディ・ハウス氏は、特に「切断手術」と「義手」に焦点を当て、その歴史を解説しています。
目次
- 四肢切断の転換点は近世初期のヨーロッパにあり
- ノコギリと木槌とノミを使う切断手術、そして「鉄の義手」の登場
四肢切断の転換点は近世初期のヨーロッパにあり
医療の現場では、患者の命を救うために四肢を切断することがあります。
例えば、交通事故に遭い、辛うじて手や足が残っていたとしても、その部位の損傷が激しく、細胞組織の壊死に至る場合があります。
壊死した部位は血液が通わなくなり、酸素や栄養が届かないため、再生することができません。その結果、壊死した組織は腐敗し感染源となったり有毒物質を出し、それが血液に乗って全身へ広がります。
そのため壊死を放置することは非常に危険で命を脅かすものとなるため、四肢切断が必要となるのです。
また壊死は糖尿病や動脈硬化などで起きることもあるため、近年では、これらの疾患に対処するために四肢切断が行われることも増えているようです。
しかし、四肢切断という外科手術が定着するまでには、いくつかの転換点がありました。
ハウス氏によると、その大きな変化は、16世紀と17世紀のヨーロッパで生じたようです。
彼女によると、1500年代のヨーロッパ人は切断手術をためらい、義肢を装着するという選択肢もほとんどなかったようです。
しかし、1700年代までには、裕福な人々の間で様々な切断手術が広まり、複雑な鉄の義手が使われるようになっていました。
ではこの間に、どんな出来事が四肢切断と義手を広めたのでしょうか。
その1つは銃や大砲の普及です。
皮肉なことですが、人を救うための四肢切断は、人を殺すための道具の広まりによって発展しました。
銃や大砲がより簡単に、より広範に使用されていくにつれ、その犠牲者も増えました。
それらの兵器は、手足をズタズタにし、組織を押しつぶし、血流を妨げました。
また、木片や金属片を体の奥深くまで食い込むようにし、感染や壊疽(壊死に至った組織が腐敗菌感染などでさらに悪化したもの)を引き起こしやすい傷を生じさせました。
そのため外科医は、「即座に四肢切断するか」「患者を死なせるか」の2択を迫られます。
銃や大砲によって頻繁に手足の壊死が生じるようになった状況が、外科医に「四肢切断のためらい」を強引に捨てさせたのです。
さらに、印刷機の発展により、切断手術を行う外科医たちは、戦場を越えて、自分たちの発見や技術を広める手段を得ました。
これにより、医師たちの論文が出回ることになり、切断手術の方法が洗練されていきました。
では、当時の四肢切断とはどのようなものだったのでしょうか。
ノコギリと木槌とノミを使う切断手術、そして「鉄の義手」の登場
当時の外科医たちの論文には、現代では考えられないほど恐ろしい手術の方法が載せられています。
麻酔や抗生物質などを使うことなく切断手術を行っていたのです。
例えば、17世紀の論文では、切断予定の腕にノコギリで切り込みを入れた後、木槌とノミで一気に叩き切るよう指示されています。
これにより、素早く切断することができたのです。
その後、切断面の組織を焼灼(しょうしゃく:病組織を焼いて破壊する外科的治療法)することで、患者が失血死するのを防げました。
それでもハウス氏によると、当時の資料には、四肢切断から生き延びた人々の体験談がほとんど残されておらず、「生存率は25%程度だっただろう」と述べています。
一方で、この時から、切断後の部位に義肢を装着しやすいように、切断面を整えることを勧める外科医も出てきました。
それまでの外科医は、とにかく患部を切り落とすことだけに着目していましたが、義肢の装着を想定するなら本来切断する必要のない場所まで切ってしまった方が良い場合もあります。
しかし現代とは異なり、当時の外科医は、義肢の使用は特に想定しておらず、現代の外科医が行うような、手術の担当医師が義肢装具士のために情報を書き記す「義肢のための処方箋」のようなものもありませんでした。また医師が、義肢の設計や製造、装着に携わることもありませんでした。
もちろん、義肢装具士という専門職も存在しません。
そのため体の一部を失った患者は、自分たちで義肢を製作したり、誰かに製作を依頼したりしました。
こうした背景にあって誕生したのが、「鉄の義手」です。
当時の義手は、欠損部を隠すための「外見を重視したもの」でした。
しかし、実用性が無かったわけでもありません。
例えば16世紀の「鉄の義手」は指が可動式であり、装着者は生身の方の手を使って、鉄の指を押して所定の位置で固定することができました。
また義手の手首の上部にあるボタンを押すことで、固定された指を解除することもできたようです。
とはいえ、これら鉄の義手を作るための材料は高価なものが多く、着用者の多くは裕福な人でした。
ちなみに、鉄の義手の装着者として有名なのが、ドイツの騎士「ゴットフリード・フォン・ベルリヒンゲン(1480〜1562)」です。
彼もまた戦争で片腕を無くしましたが、鉄の義手をつけて戦い続け、「鉄腕ゲッツ」の異名で知られるようになりました。
このように、16世紀と17世紀のヨーロッパでは、技術の発展が複雑に絡み合い、また鉄腕ゲッツのようなエピソードが後押しして、切断手術と義手に関して大きな変化が見られました。
そしてその後も、やはり戦争が義肢産業を発展させていったようです。
アメリカの南北戦争(1861-1865)の最中、「外科医は約6万件の切断手術を行い、その手術は1肢あたり3分しかかからなかった」とさえ言われています。
この戦争により、切断手術の方法と義肢デザインには、さらなる変化が生じていき、現代へと繋がっていきます。
現代の切断手術へ繋がる医療は、こうした多くの犠牲と、外科医たちの戦いのもとに発展してきたのです。
参考文献
Modern surgery began with saws and iron hands – how amputation transformed the body in the Renaissance
https://theconversation.com/modern-surgery-began-with-saws-and-iron-hands-how-amputation-transformed-the-body-in-the-renaissance-222864
ライター
大倉康弘: 得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。
編集者
ナゾロジー 編集部