『バラの聖母』は1517年頃にイタリアの巨匠・ラファエロが描いた名画として伝わっています。
しかし、英ノッティンガム大学(University of Nottingham)、ブラッドフォード大学(University of Bradford)の研究により、絵画の左奥に佇む「聖ヨセフ」は別人の手によって描かれていたことが判明しました。
研究チームは今回、ラファエロの真作を98%の精度で認識できるAIアルゴリズムを開発。
それを用いて判定したところ、『バラの聖母』の中の聖ヨセフはラファエロの筆致ではないことが特定されたという。
では誰が聖ヨセフを描き足したのか、ラファエロの残した名画のミステリーに迫ってみましょう。
研究の詳細は、2023年12月21日付で科学雑誌『Heritage Science』に掲載されています。
目次
- 『バラの聖母』の聖ヨセフは別人が描いた?
- 聖ヨセフは別人の作と判定!誰が描いたのか?
『バラの聖母』の聖ヨセフは別人が描いた?
ラファエロ・サンティ(1483〜1520)はイタリアを代表する画家であり、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチと共に盛期ルネサンスの三大巨匠の一人に数えられます。
彼の最も有名な作品は、バチカン宮殿の通称・ラファエロの間に描かれたフレスコ画である『アテナイの学堂』(1509〜1510年)でしょう。
教科書の図説にも掲載されており、皆さんも一度は目にしたことがあるかもしれません。
そんな彼が残した傑作の一つが1517年頃に制作された『バラの聖母』です。
絵のテーマは聖家族で、中心には聖母マリアと彼女の腕に抱かれる幼いイエス・キリストが描かれており、左下には幼児の洗礼者・聖ヨハネがラテン語で「神の子羊」と記された紙片をイエスに手渡しています。
そして左奥の暗がりに、マリアの夫でイエスの養父である聖ヨセフが俯くように佇んでいます。
『バラの聖母』は礼拝堂の祭壇画として制作されましたが、制作の経緯や発注者については不明です。
またブラッドフォード大学で分子分光学を専門とするハウエル・エドワーズ(Howell Edwards)氏は、この絵が長年の論争の的になっていることを指摘します。
氏によると、鑑定家や美術史家の間では、聖母マリアや聖ヨハネは構図や絵画技術の点で極めて優れているのに対し、聖ヨセフの方は洗練さに欠けており、「一種の思いつきで後から工房で付け加えられたように見える」という。
確かに『バラの聖母』を見ると、聖ヨセフだけ色調や雰囲気が異なる感じがしますね。
こうした疑いは1800年代半ばから浮上しており、これまで多くの識者が「聖ヨセフは別の人物が描いたのではないか」と疑問を投げかけていました。
しかし、絵の中の聖ヨセフが贋作かどうかを人間の目で特定するには限界がきています。
そこで研究チームは、人間の目では捉えきれない細部まで認識できるAI(人工知能)を用いた調査を行いました。
聖ヨセフは別人の作と判定!誰が描いたのか?
チームは今回、ラファエロの真作と断定されている様々な絵画の画像を使って、その筆使いや色調、配色、陰影など4000以上の特徴を分析して、AIに学習させました。
研究主任の一人でコンピューター科学者のハッサン・ウゲイル(Hassan Ugail)氏は「コンピューターは人間の目よりもはるかに深く、微細なレベルまで見ることができる」と話します。
その結果、ラファエロの真作を98%の精度で識別できるAIが完成しました。
このAIは絵画全体を見て本物かどうかを識別できますが、一方で絵画の中の部分ごと(人物の顔など)に真贋を判定することもできます。
そしてチームはAIに問題の『バラの聖母』を鑑定させました。
まず全体の画像を見せたところ、ラファエロの真作の可能性が高いと判断されましたが、ラファエロの要素に該当しない部分も多くあると鑑定されています。
ここまでは予想通りです。
そこで次に『バラの聖母』を以下のA〜Eの部分ごとに鑑定させました。
その結果、聖母マリアやイエス・キリストを含むB〜Eはラファエロの真作と判断されたのに対し、Aの聖ヨセフだけは別人の筆致である可能性が高いと認識されたのです。
以上の結果から、長年の推測通り、『バラの聖母』の中の聖ヨセフはラファエロとは別の人物によって描き足されたものと結論されました。
では一体、誰が聖ヨセフを描き足したのでしょうか?
その正確な答えは定かでありませんが、研究者らはラファエロの弟子の一人であるジュリオ・ロマーノ(1499?〜1546)の可能性が高いと考えています。
ロマーノはラファエロのもとで修行を積み、1513年にはラファエロの工房内において最も優秀で重要な人物となりました。
ロマーノは師のラファエロと共にバチカン宮殿の壁画を描き、ラファエロが急逝した後に壁画を完成させて名声を上げます。
加えて、これまでの研究で、ラファエロ最晩年の名画とされている『樫の木の下の聖家族』は現在、ラファエロではなくロマーノの手によるものであることが定説となっています。
『樫の木の下の聖家族』の主題も『バラの聖母』と同じで、聖母マリア、イエス・キリスト、幼い聖ヨハネ、聖ヨセフが描かれています。
これ以上確かなことは言えませんが、もしかしたらロマーノは師匠が『バラの聖母』の中に聖ヨハネを忘れたと考えて、後から描き足したのかもしれません。
研究者らは今回のAI技術が美術品の真贋を鑑定する際に専門家の助けとなることを期待しています。
チームは次のステップとして、ラファエロ以外の画家の作品の真贋も判定できるAIを開発していくとのことです。
参考文献
AI study shows Raphael painting was not entirely the Master’s work
https://www.nottingham.ac.uk/news/madonna-della-rosa
AI Detects Unusual Signal Hidden in a Famous Raphael Masterpiece
https://www.sciencealert.com/ai-detects-unusual-signal-hidden-in-a-famous-raphael-masterpiece
元論文
Deep transfer learning for visual analysis and attribution of paintings by Raphael
https://heritagesciencejournal.springeropen.com/articles/10.1186/s40494-023-01094-0
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。