血縁者同士で子供をなす「近親交配」は、ほとんどの社会でタブー視されています。
しかし一部の人々、特に王族たちはかつて、自らの高貴な血筋を守るために近親婚を積極的に行っていました。
その代償は大きく、一族の遺伝的多様性が乏しくなって、体が脆弱であったり、病気にかかりやすくなったのです。
このように近親交配は人・動物を問わず、”種の存続”にとって不利に働くものと考えられています。
ところがノルウェー科学技術大学(NTNU)の研究により、近親交配を高度に進めることで逆に種を繁栄させたトナカイがノルウェーの孤島に存在することが判明しました。
遺伝的多様性は乏しくなるはずなのに、彼らはどうして繁栄できたのでしょう?
研究の詳細は、2023年9月1日付で科学雑誌『iScience』に掲載されています。
目次
- 近親交配にはプラスの面がある?
- 7000年間、孤島で近親交配を続けたトナカイの一族
近親交配にはプラスの面がある?
あらゆる生物は皆「自分の遺伝子を多く残したい」という本能を備えています。
実はこの点に関して言えば、近親交配は理にかなっているのです。
その理由を見てみましょう。
まず、父親と母親が交配する際、それぞれが自分のDNAを半分ずつ渡して1セットとし、子供に伝えます。
このとき、父親の遺伝子型をAA、血縁関係にない母親の遺伝子型をBBとすると、生まれた子供は両親から半分ずつ遺伝子を受け継ぐので、遺伝子型はABとなります。
そうなると、子供の遺伝子の半分(50%)は両親と同じになるわけです。
では、父親のパートナーが彼の姉妹だったらどうでしょう?
姉妹であれば、親が同じなのでDNAの半分は元から父親と同じです。
そこで姉妹の遺伝子型をACとすると、生まれた子は父親からA、母親(父親の姉妹)からAかCのいずれかを受け継ぎます。
つまり、子供の遺伝子型はAAかACです。
AAなら父親と子供の遺伝子は100%一致し、ACなら50%一致するので、平均すると子供の遺伝子の75%が父親と同じになるわけです。
よって、単純に自分の遺伝子を多く伝えると考えた場合なら、近親交配は理にかなっていると言えるでしょう。
近親交配の最大のデメリットとは
しかし、ほとんどの生物種が近親交配を採用していないことから、大きなデメリットがあることは明らかです。
中でも最大の問題は、遺伝的多様性が乏しくなることでしょう。
遺伝子の中には、生存に不利に働く有害なものがあります。
こうした遺伝子は通常、表には現れない潜性(劣性)遺伝子として隠れています。
ところが両親が血縁者同士だと、この有害な遺伝子を父親と母親の両方から受け継ぐ可能性が高まり、それが顕性(優性)遺伝子として子供の体に現れやすくなるのです。
そうなると生まれたときから病弱であったり、感染症への耐性が低くなってしまいます。
その不幸を身に受けた最たる実例が、ハプスブルク家の国王だったカルロス2世(1661〜1700)です。
ハプスブルク家は16〜18世紀にヨーロッパ(主にスペイン)で絶大な権力を誇った一族であり、近親婚を過度に推し進めたことで知られます。
そのせいで遺伝的多様性に乏しくなり、病弱な王が増えていきました。特に最も不幸だったのがカルロス2世です。
彼は4歳で王位に就きますが、先天性の病気をいくつも抱えており、体がとても病弱でした。
幼少期から水痘(すいとう)や天然痘などの感染症にかかり、骨の弱さから8歳になるまで歩くことができず、常に下痢や嘔吐に悩まされていました。
また、過度な近親交配は身体の異形化にも繋がっていくと考えられています。実際ハプスブルク一族の多くが大きなしゃくれアゴをしていたことで有名です。
カルロス2世もアゴが大きすぎて咀嚼がうまくできず、いつも涎を垂らしていて、まともに話すことすら困難だったといいます。
さらに30歳になる頃にはすでに老人のように衰え、35歳までに髪がすべて抜け落ちたという。
結局、カルロス2世はハプスブルク家最後のスペイン国王となり、一族も徐々に衰退していくことになります。
このように近親交配は、種を存続させる上では明らかに得策ではありません。
しかし、近親交配でも種の繁栄は可能であることを証明するトナカイがノルウェーにいたのです。
7000年間、孤島で近親交配を続けたトナカイの一族
舞台は北極圏にあるノルウェー領の群島として知られるスヴァールバル諸島です。
この極寒の地には、島の固有種として「スヴァールバルトナカイ」というトナカイの一種が生息しています。
最初のトナカイは約7000〜8000年前にロシアの島々を経由して、スヴァールバル諸島に入ってきました。
それ以来、他種のトナカイとは完全に隔離された状態にあり、7000年以上の期間を近親交配を繰り返しながら島で生き続けています。
研究主任でノルウェー科学技術大学のニコラス・ダセックス(Nicolas Dussex)氏は「すべてのトナカイの種の中で、スヴァールバルトナカイは最も近親交配が進んでおり、遺伝的多様性が最も低いことが分かっている」と話します。
にもかかわらず、本種の個体数はここ数十年で急速に増え続けており、現在では約2万2000頭を突破するまでになっているのです。
さらに、寒さの厳しいスヴァールバル諸島への適応にも成功しています。
例えば、他種のトナカイに比べて短足になっているのですが、これは体熱が逃げるのを抑える効果があると考えられます。
またトナカイの主食である地衣類の他に、さまざまな植物を消化する能力があったり、同島の極端は季節変化に合わせて体内時計を調節する能力も身につけています。
近親交配が深刻化しているのに、彼らはどうしてこんなに絶好調なのでしょうか?
有害な遺伝子を一掃する「浄化」が起こっていた!
研究チームはその秘密を探るべく、特に近親交配の進んでいるスヴァールバルトナカイの群れ91頭を対象に、遺伝子調査を行いました。
その結果、これらのトナカイは過去に、有害な遺伝子をコロニーから一掃させる「遺伝子の浄化(Genetic Purging)」を起こしていたことが分かったのです。
これは一体どういうことでしょうか?
近親交配が高度に進んだコロニーでは、両親から有害な遺伝子を受け継ぐ可能性が高まり、それが顕性遺伝子として表に現れやすくなるのでした。
こうした有害な遺伝子は、先天性疾患や健康状態の悪化として発現します。まさにカルロス2世のように。
すると、これらの個体は遺伝的な適応度が低下するせいで、繁殖の機会を得る前に死亡するか、繁殖しても子孫の数が少なくなるのです。
何とか生まれた子孫も同じように遺伝的適応度が低いため、繁殖する前にどんどん数が減っていきます。
一見すると個体数が減っているようですが、実はこのおかげで有害な遺伝子が子孫に受け継がれる確率も減少するのです。
これを「遺伝子の浄化(Genetic Purging)」と呼びます。
浄化が起こる前は個体数の激減が見られますが、表面的には種のピンチに見えて、本当は危険な遺伝子を取り除いている過程でもあるのです。
スヴァールバルトナカイも19C後半〜20C初めに一度、絶滅寸前に追い込まれていますが、その後に急速に数を増やしました。
同じ現象はニュージーランドに生息する「カカポ(学名:Strigops habroptilus)」でも確認されています。
カカポは1万年もの間、島に隔離された状態で近親交配を進めており、1995年には60羽まで激減。
しかし現在は200羽を超えるほど回復しています。
研究主任のダセックス氏は「近親交配は長期にわたって高度に推し進められると、種の繁栄にとって有益に働く可能性がある」と述べました。
トナカイもカカポも近親交配で訪れる一番の峠を越えたと言えるのかもしれません。
参考文献
These reindeer survived, isolated, for 7,000 years, but will they survive climate change? https://phys.org/news/2023-09-reindeer-survived-isolated-years-survive.html Inbreeding can be beneficial in the long run https://www.eurekalert.org/news-releases/1002722 近親交配はよいこと?進化の法則をめぐるジレンマ https://gendai.media/articles/-/86681元論文
Adaptation to the High-Arctic island environment despite long-term reduced genetic variation in Svalbard reindeer https://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(23)01888-6