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瀬戸内寂聴さん死去 「煩悩の作家」、出家後も旺盛な活動


写真:ロイター/アフロ

作家として多方面で活躍し、文化勲章も受賞した瀬戸内寂聴(せとうち じゃくちょう=俗名・晴美)さんが死去した。2021年11月11日、各紙が報じた。99歳だった。

【写真】95歳で始めた寂聴さんのインスタグラム

天台宗の尼僧でもあり、ラジオやテレビ、新聞、雑誌にはしばしば登場。法話や人生相談、講演などに引っ張りだこで、自身の人生体験をもとにした本音トークで絶大な人気があった。死刑廃止や脱原発など社会性の強い行動にも積極的に参加していた。

文化勲章受賞、200冊を超える著書

1922年、徳島市生まれ。東京女子大卒。同人誌などで下積み時代を経て57年1月、『女子大生・曲愛玲』で新潮同人雑誌賞を受賞。61年『田村俊子』で田村俊子賞、63年『夏の終り』で女流文学賞を受賞し、作家としての地位を固めた。

その後も92年、一遍上人を描いた『花に問え』で谷崎潤一郎賞、96年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、08年安吾賞、11年『風景』で泉鏡花文学賞受賞を受賞した。

『田村俊子』のほか、作家の岡本かの子を主人公にした『かの子撩乱』、恋と革命に生きた伊藤野枝を扱った『美は乱調にあり』、大逆事件の管野須賀子や朴烈事件の金子文子などの伝記的作品、婦人運動家の平塚らいてうを中心とした『青鞜』など、時代に挑み、信念を持って果敢に人生を駆け抜けた「新しい女」「多情な女」を主人公にした作品群で際立った。06年に文化勲章を受章した時の受章理由では、「近代の自我に目覚めた女性たちの姿を描いた」ことが高く評価された。

1973年、今春聴(作家の今東光)大僧正を師僧として天台宗得度。87年、寂聴に改名した。小説、エッセイ、人生論、仏教関係書など200冊をはるかに超える多数の著書がある。『源氏物語』の現代語訳でも知られている。

「仏が私を、引っぱりよせた」

小学校3年のころ、すでに小説家になろうと思っていた早熟の文学少女。5歳上の姉の文学全集などを乱読していた。父親は徳島市の中心部で神具仏具商を営み、小学校の校区には色街もあった。地唄舞の武原はんさんや、抒情画の中原淳一さんは同じ小学校の先輩にあたる。

成績はいつもトップで、女学校を出て東京女子大へ。卒業直前の1943年、9歳年上の中国研究者と見合い結婚。夫の任地の北京に同行する。それまでは貞淑で「処女と童貞の結婚」(日経新聞「私の履歴書」)だったが、46年に帰国後、4歳年下の夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残して突然家出、京都で暮らし始めた。

相手が文学青年だったこともあり、文学への情熱が呼びさまされる。少女雑誌などの投稿が採用され上京。丹羽文雄さんの門下に入り、ここでまた新たに、芥川賞候補にもなったが売れない作家と不倫関係になって8年続く。その後に、13年前に切れていた夫の教え子と復活し、生活の面倒を見たが、再び別れる――など、40代にかけては「完全なアウトロー」「無頼の徒」として「煩悩地獄」に苦しんだ。

出家したのは、あるとき、「仏が私を、引っぱりよせた」からだという(「私の履歴書」)。やがて離婚した夫も、不倫相手の文学青年も、芥川賞候補作家も先立ったが、後年、それぞれの冥福を独り祈りつつ、「心の底から、出家していてよかった」という境地に達した、と述懐している。

友人の哲学者梅原猛さんは、「煩悩のままに生きている作家は瀬戸内さんだけ」「人生を懺悔する『懺悔の文学』を作った稀有な人」(朝日新聞による)と評していた。

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