当時の日本は、コカコーラが発売されたり、長嶋茂雄の巨人軍への入団が決定したのだが、人々の生活とクルマが結び付くのはまだまだ珍しく、自転車やオートバイが輸送手段として活用されていた。そこでダイハツは、そういった企業や事業主でも買えるクルマの開発に着手。自社一貫生産による大量生産によって実現した低価格、全国のディーラーによるサービス網の構築、月賦購入によって多くの人の手に渡るようになった。
そんな「ミゼット」は、登場当初は乗車定員が1名、エンジンは249ccの単気筒(8ps)、最高速度は60km/h、最大積載量は300kgだったが、経済や暮らしが発展するとともに“より高性能”であることへの要望が高まっていった。そして1960年、「ミゼット」よりも“高性能”である意味を込めて「ハイゼット」の名前が初めて世に出た。
全長は約3mへ伸び、エンジンは世界初のオイル・マチック機構が採用され最高出力は17psを誇った。ボディタイプはトラックとライトバンの2種類が用意された。
前回の東京オリンピック/パラリンピックが開催された1964年には、荷台をフルに使いたいという要望を受けて初めてキャブオーバーを採用した二代目がデビュー。1968年には三代目、1971年には四代目へと着実に進化を果たした。
二度目の軽規格見直しへの対応
初代から十代目まで振り返ってみたが、「ハイゼット」は常に「使う人に寄り添う」という考えのもとで進化してきたことが分かる。電気自動車や自動運転技術、コネクテッドなど自動車の技術や機能は絶えず発展しているが、それらをスピーディに実装して商品性をアピールする乗用車とは違って、使う人にとって本当に必要か否かを見極めていく着実かつ堅実な姿勢が「ハイゼット」が60年もの間愛されてきた理由なのだろう。