基本設計を変えぬまま、1967年から1985年まで足かけ19年にわたってF1に出走し、通算155勝を記録。F1以外のレースでも使用され、結果的に30年近くにわたって第一線を張り続けた驚異のレーシング・エンジン。空前絶後の成功を収め「名機」と謳われるコスワースDFVを見つめ直す。



TEXT:今井清和(IMAI Kiyokazu) PHOTO:MPS(AUTOSPORT 1972年)

タイトル写真は、1972年の富士グランチャンピオン(GC)シリーズに出場した高原敬武選手の車両に搭載されたDFV。ここに掲載した写真はすべて、同年9月のレースにおける優勝の後のオーバーホール時に撮影された、36年以上前のものであることをお断りしておく。また、いずれにせよ40年以上も前に設計されたエンジンのものであるとの認識のもとご覧いただきたい。




なお高原車のDFVは、当時メンテナンスを手掛けた松浦賢氏によれば「ほぼF1仕様だった」という。

教科書通りの4バルブのペントルーフ型燃焼室。だが、これを定番化させたエンジンこそDFVと言える。バルブ挟み角は32度で、圧縮比は当初11だったが、最終的には12程度に。ちなみにこのヘッドは左右のバンクで入れ替えても使えた。

オイル攪拌抵抗も最小限に抑えた滑らかなクランクケース内面。ごく初期は、クランクシャフトの5つすべてのメインベアリングのキャップがケース側に設けられたが、ケース内の空気の流動抵抗を抑えるため、ほどなく2番と4番のキャップはブロック側にマウントしてケース側は3キャップにした形に落ち着いた。

オイルサンプと一体のクランクケースを裏返して底部を見た状態。写真では左側のフランジでモノコックのリヤバルクヘッドと結合する。DFVはエンジンを車体の構造体として使うストレスマウントを前提にした設計としても先駆的であり、オイルラインを兼ねた梯子状のフレームで高い剛性を確保している。

絶えず改良が続けられた部品のひとつであるクランクシャフト。ジャーナル径は60.3mmで、クランクピン径は49.2mm。排気干渉を受けないシングルプレーンを採用したことで横方向の二次振動が若干残り、初期のDFVにおける不安材料のひとつとなったが、素材や熱処理の改良で克服していった。1970年代後半には、ジャーナルのオイル孔の改良で、以前より格段に低い油圧でも十分な潤滑を確保できるクランクが登場している。

DFVのカムシャフト駆動はギヤトレーンで、計14枚のギヤで構成。クランクギヤと噛み合いつつ1/2倍速で回るタイミングギヤの歯が折損するトラブルが初期段階では続いた。原因はやはり180度位相クランクによる二次振動だったが、タイミングギヤのシャフトを12本の中空のニードルで囲って衝撃を吸収する構造として対策された。

シリンダーブロックはアルミ合金製のハーフスカート型でウェットライナー式。シリンダーライナーは試行錯誤を経ながらも長く鋳鉄製が使われ続け、1970年代末になってニカジルメッキ処理のアルミ合金製が登場。オイル消費やメンテナンスの面で劇的な改善があった。

このギヤトレーンのホルダーでもあるフロントカバーの内側。

写真の左にあるのが、クランクケース右脇に配置されたウォーターポンプ(左側)とオイルのスカベンジポンプ/遠心分離器で、間にクラッチが入る。写真の右は、クランクケース左脇に置かれたもうひとつのウォーターポンプ(上側)とオイルのプレッシャーポンプ。

Vバンクの間に配置されたトランジスター式点火コイル/ディストリビューター(右側)と燃料のメータリングユニット。基準点火時期は上死点前35°。点火系は1970年代後半にはCDI式に。燃料ポンプは電磁式(始動時~2000rpm)と機械式(2000rpm以上)のツイン。

初期のコスワース純正カムシャフトは鋳鉄製で、鋳造時にカム面になる部分を急速冷却して硬度を高めるチル化処理を施して作られた。チューニングを進めていくなかでコスワースや各エンジンチューナーが様々なプロフィールのものを試していったのは当然だが、バルブサージングの問題が常につきまとった。

今日的な目からすれば、かなりロングデッキのピストンと短いコンロッド。ピストンはアルミ鍛造で、F1用DFVは最後まで3本リングだった。コンロッドは鋳鋼製で、大端部ベアリングはクランクと同じく、鉄のベースに鉛とインヂウムの被膜を生成したもの。コンロッド長とクランクウェブ長の比率は4.1:1。

情報提供元: MotorFan
記事名:「 内燃機関超基礎講座 | 名機コスワースDFVの各部を詳細に眺めてみる