TEXT&PHOTO◎貝方士英樹(KAIHOSHI Hideki)
203㎜自走榴弾砲は陸上自衛隊最大の自走式火砲だ。以前にご紹介した155mm榴弾砲FH-70よりも大型の榴弾砲になる。
最大射程は通常弾で約24kmも飛ぶ。噴進弾(ロケットブースターを付けた砲弾)の場合、射程は約30kmまで延伸させられるという。もっとも、この射程距離はFH-70も同様のスペックになっている。
しかし砲弾の破壊力は桁違いだ。203mm自走榴弾砲の砲弾は、目標地点(着弾地点)を中心に半径数十メートルの範囲を一発で沈黙させられるという。射撃後の着弾地を間近で見たことはないが、陸自広報の解説や富士総合火力演習で遠望する着弾の様子からは相当強力な破壊力なのだと想像できる。
203mm自走榴弾砲は部隊内では「20榴(にじゅうりゅう)」と略して呼ばれることが多い。ちなみに愛称は「サンダーボルト」。陸自の特科(火砲やミサイルの職種)部隊に配備する目的で、師団など方面隊の直轄部隊への配備が計画され、約90両が置かれたという。現在は北部方面隊(北海道)の部隊と教育等の機関である富士学校(静岡県)にのみ置かれている。
陸自の大型榴弾砲は大戦後に米国から供与された203mm榴弾砲M2だった。長年使った1983年、米軍の203mm自走榴弾砲M110A2をライセンス生産で造ることにした。それまでの牽引式火砲に代わって、諸外国軍では野戦重砲の自走化を実現し始めており、この潮流に乗る目的で米軍装備車両のM110A2をライセンス導入することにしたわけだ。
砲身は米国からのFMS(Foreign Military Sales)という対外有償軍事援助で手に入れ、砲架(砲部、砲身を載せる台)を日本製鋼所が、車体を小松製作所が造った。これが陸自の20榴だ。
20榴の外観は独特だ。クルマのジャンルでいうとオープンカーだろうか。装軌(キャタピラ)車体の上に極太の砲身がほぼムキ出しで載っている。そして砲を操作する人員も乗車時はオープンエアドライブになる。巨大な野戦重砲を搭載したオープン車体の上に迷彩服の人員が大勢乗って走ってくるという大迫力の装備だ。ちなみに20榴はコンパクトな車体設計ゆえ、砲の操作に必要な全員が乗車できず、搭載する弾薬もごく少数だという。だから砲側弾薬車という20榴の弾薬や整備資機材などを運ぶ装軌車両が人員も載せて20榴に随伴する。巨大砲には弾薬・人員運搬車がセットで活動するのが特徴だ。
この戦うオープンカーは意外とスピーディだ。平坦な不整地の場合、その最高速度は約54km/hにもなる。極太で長大な砲身を載せた大きな装軌車両がオフロードを約50km/hで走るのだ。実際、富士総合火力演習では射撃位置への進入と撤収時に高速での「走り」を見ることができた。巨大な物体が不整地を波打つように走るさまは、乗用車で体感する時速50kmという速度感以上のものだった。
榴弾砲の自走化による機動力の向上は火砲運用の重要点だ。火砲は射撃すると自位置が相手にバレる。相手の目から逃れるため、火砲は射撃後に移動するのがセオリーとなる。そこで自力で移動できるのは利点だ。それもできるだけ速く、走破性も高い方がいい。
総火演で見ていてわかるのは、FH-70は20榴よりもはるかに軽快にみえるが牽引砲であり、自走も可能だが最高速度は約16km/hと遅い。射撃陣地間の移動や展開、撤収などは20榴の方が素早く行なえる。兵器開発、時代の流れとともに、自走榴弾砲が世界的な装備となったのは当然だと理解できる。
しかし20榴はもう役目を終えていて、退役が進むものと思われる。陸自は火砲定数を減らしており、加えて20榴の重要度も低下したと防衛省は判断、米軍でもすでに退役していることも関係しているはずだ。20榴は北海道などで残存しているものが最後で、後継機も計画されていないという。