いすゞ、スバルと続けて紹介した「静岡・三保レトロカーフェスティバル2021&いすゞ+スバルミーティング」。今回からはテーマメーカー以外のモデルたちを紹介していこう。まずトップバッターはテーマメーカーを別にして最多台数が参加したと思われる日産車たちだ。




REPORT&PHOTO●増田満(MASUDA Mitsuru)

いすゞ&スバルが主役のミーティングでも日産車の存在感は大!

ダットサン・フェアレディ2000。

ツインターボにより280ps自主規制を生んだZ32型フェアレディZ。

日産を代表するスポーツカーといえば、新型の発表で話題になっているフェアレディZだろう。その歴史は古く、1952年発売のダットサン・スポーツDC-3まで遡ることができる。ダットサン・スポーツがモデルチェンジを繰り返して生まれたのが、1961年のフェアレディ1500。こちらがモデルチェンジにより排気量を拡大してたどり着いたのが、1967年発売の最終モデル、フェアレディ2000だ。この時代からアメリカでの販売が好調だったことで、オープンモデルからクーペであるフェアレディZへ生まれ変わるのだ。




上写真のフェアレディ2000からはだいぶ間が空いてしまうが、この日は1989年に発売され、3リッターV6をツインターボ化して国内自主規制値である280psを達成したZ32が参加していた。

510型ダットサン・ブルーバード。

フェアレディといったスポーツカーだけでなく、ダットサンは1980年代まで日産のブランド名として世界中に知られていた。そのダットサンから生まれたのがブルーバード。日産の中堅セダンとしてトヨタのコロナと販売合戦を繰り広げたモデルだ。




ブルーバードの歴史のなかで大きな成功を収めたのが1967年に発売された3代目の510型。スーパーソニックラインと呼ばれるシャープなスタイリングと、サファリラリーでの活躍が示す優れた走行性能により大人気になった。写真は1968年に追加された2ドアのクーペだ。

B120型サニートラック。

エアダムバンパーが凛々しいサニトラ。

ブルーバードより小さなダットサンとして1966年に発売されたのが初代サニー。そのサニーをベースにピックアップトラックとしたのが1967年発売の初代サニートラックだ。通称「サニトラ」と呼ばれ親しまれているモデルで、トラックとしての機能だけでなく優れたハンドリングやチューニングパーツの豊富さから現在でも高い人気を誇る。




サニトラは1971年にベースのサニーがモデルチェンジしたことを受け2代目へ発展。この2代目が改良を繰り返して1994年までの長い間、発売された。それゆえ残存台数が多く、かつ初期や中期型のフロントマスクに変更するカスタムも盛んだ。

丸形ヘッドライトに新しい日産エンブレムが新鮮。
後期型は角形ヘッドライトが特徴。
3代目の230系バン。

ダットサンとは別に日産はイギリス・オースチンのノックダウン生産も行っていた。順次部品を国産化した技術により開発した高級車が1960年に発売されたセドリック。2000年代初頭まで続いた日産の高級車ブランドらしく、この日は3代目や6代目、7代目が参加していた。




上写真は1971年発売の3代目230系で、セダンやハードトップではなく5ドアのバン。乗用車のワゴンも存在した。230系からはプリンス自動車を吸収したことで、同社の高級車だったグロリアが兄弟車に組み入れられた。




続いては1983年発売の6代目Y30系で、当時人気を誇った4ドアセダンのほかに、5ドアのワゴンが見られた。

Y30系のハードトップモデル。
Y30系にもバン/ワゴンが存在する。
スポーツ色が強かったY31系。

1987年に発売された8代目ではピラーレスハードトップというスポーティなボディに相応しく、走行性能まで引き上げられたグランツーリスモシリーズが加わったことが特色だ。2リッターV6DOHCターボエンジンは当初185psだったが、マイナーチェンジ時に210psまでパワーアップしたことでスポーツセダンらしい性能だった。

日産旧車といえばハコスカを外せない。

今や国産旧車を代表する存在といえるのが3代目スカイライン、通称「ハコスカ」だろう。プリンス自動車を合併した日産ブランドのモデルとして初めてモデルチェンジしたのが3代目で、1968年に発売されている。この世代が大人気になったのは、1969年に追加されたGT-Rの存在が大きい。プリンスR380を同じ構成の直列6気筒DOHCエンジンを搭載して、ツーリングカーレースで50勝以上を記録した。現在では2リッター6気筒SOHCのL型エンジンを搭載するGT系をカスタムするのが主流。この日も多くのハコスカが集まった。

ローダウンと深リムが印象的なセダン。
初期の3分割グリルを備えるセダン。
1969年からグリルのデザインがこちらに変わる。
1970年からセダンもハードトップと同じ顔になる。
青いエンブレムがGTの特徴だ。

数多くの台数が集まったハコスカだが、なぜか4ドアセダンばかりで2ドアのハードトップは姿を見せなかった。いずれもローダウン+マフラーを変更していた。ちなみにDOHCエンジンのGT-Rには赤いバッジが装着され、L型エンジンのGT系だと青バッジになる。以前は赤バッジにするのが流行したが、現在は青いままのクルマも多いようだ。

4代目、ケンとメリーのスカイライン。

5代目のスカイライン「ジャパン」。

ハコスカほどではないが、その後の世代のスカイラインも会場へ足を運んでいた。上写真は4代目になる1972年発売のC110系でCMコピーにもなった「ケンとメリーのスカイライン」から「ケンメリ」と呼ばれることが多いモデル。上写真は前後オーバーフェンダーを装備してGT-R仕様にされている。




排ガス規制によりモデルチェンジが1977年まで遅れた5代目は、これも広告キャンペーンである「SKYLINE JAPAN」から「ジャパン」と呼ばれることが多い。ジャパンにGT-Rは存在しないが、こちらも前後オーバーフェンダーを装着したローダウン姿が印象的だ。

とてもキレイな2代目マーチ。

日産車の最後はミーティング会場から外れた位置に止まっていた2代目マーチ。なんと福島ナンバーだったので、遠路駆けつけたのだろう。2代目マーチは1992年に発売され、10年後の2002年に3代目へモデルチェンジした息の長いモデル。当時はそれこそ街のいたるところで見られたものだが、今やすっかり見かけることもなくなった。運転席だけ変更していたが抜群の程度だったので、末長く大事に乗って欲しい。




台数の多かった日産車に続いて、次回はその他の国産車たちを紹介する予定だ。

情報提供元: MotorFan
記事名:「 【静岡・三保レトロカーフェスティバル2021&いすゞ+スバルミーティング/日産編】