TEXT●近田 茂(CHIKATA Shigeru) PHOTO●瀬谷正弘(SEYA Masahiro)
今でもハッキリ覚えているが、1968年のとある夏の日曜日に、中学生だった筆者はいつにない興奮を覚えながら、自転車を漕いで隣町にあるマツダディーラーを訪れた。そこではファミリアロータリークーペの発表試乗会が開催されていたからだ。
運転免許を持たない子供がうろついているわけだから、相手にされなくても不思議はなかったのだが恐る恐る試乗したい旨を申し出ると、営業マンは笑顔で快く応じて助手席に同乗させてくれ、帰りにはカタログとエンジンの構造が理解できる模型まで持たせてくれたのだ。
子供心にとても感激し嬉しかった。その時からマツダが好きになったことは言うまでもない。それ以上にそれまで経験したことのない強烈な加速感。身体がシートバックに押しつけられ、身動きができない。そんな感覚を初めて味わい、その高性能ぶりに驚き、興奮させられた。
それがマツダのロータリーエンジン10A型(10A/0801)だ。1967年に登場のコスモスポーツでは、当初110ps /7000rpmの最高出力と13.3㎏m/3500rpmの最大トルクを発揮。4MTを介して185㎞/hの最高速度を誇った。翌年128psにパワーアップしたL10B型に進化。一方ファミリアロータリーには100ps仕様(10A/8020)が搭載されていた。
そのエンジンルームを覗き込むと、それまで目にしていたレシプロエンジンのどれよりも小さい。そんなコンパクトなエンジンのどこからあのハイパワーが発揮されるのか不思議でならなかった。
親切に応対してくれた営業マンの説明によれば、普通のエンジンはピストンの往復運動をクランクとコンロッドで回転運動に変えている。ロータリーはおむすび型のローターが中で回転するから、直接回転運動が取り出せる。単純に出来ている上、1回まわる間に3回も爆発しているから、小さくてもパワーが凄いんだと教えてくれた。子供だましでない応対のひとつひとつにも感激させられたのである。
ご存じの通り、そんなロータリーエンジンを量産化し現在に結実させたのはマツダだけである。世界中が注目する夢のエンジンを披露してくれたのは、1961年のこと。コスモスポーツという2シーターに搭載されたそれは、夢のまた夢の存在。それをグンと親しみやすい存在に近づけてくれたのが冒頭に記したロータリークーペだった。
始まりは1961年マツダ(当時の東洋工業)がドイツ(当時は西ドイツ)のNSU 社と技術提携を結んだことにある。最初に同社が開発したKKM400型(400ccシングル)ロータリーエンジンの研究を開始し、量産化への第一歩を踏み出すことになる。当時、エンジン開発を手がける世界のライバルは100社を超えると言われていたが、自動車用エンジンとしてそれを開花させたのはマツダだけである。
KKM400型エンジンは、水冷トロコイドハウジングと油冷ローターを備えていた。熱膨張によるブロック歪みへの対応など苦心の跡が伺えたわけだが、マツダは1963年に、山本健一部長を筆頭に47名の技術者から成る研究部を設置。試作1号機こそシングルローターであったが、量産へ向けた研究開発は早くからマルチ化が進められ、すでに1960年代前半には2〜4ローターまでの試作エンジンを完成させた。
ドイツの技術者フェリクス・ヴァンケルが発明した、ピストンのかわりにローターを用いるオットーサイクルエンジンがロータリーエンジンだ。2サイクル的な単純な構造、燃料を選ばない経済性、同クラスのレシプロエンジンより小型軽量ハイパワー。いまだかつてない形式だったが、1967年に市販にまでこぎつけたのがマツダの10A型である。ハウジング類はすべてアルミ合金製。サイド吸気ポートと2ステージ4バレルキャブレターの組み合わせで低速から高速まで安定した混合気を形成、各ローターあたり2本のスパークプラグにより効率的な燃焼を実現して高出力を発揮した。コスモスポーツに搭載された初期モデルが10A/0801、後にサバンナRX-3などに搭載された改良版が10A/8020だ。
型式:10A/0810
種類:水冷直列2ローター
総排気量(cc):491×2
b値(ボア相当)×K値(ストローク相当)(mm):60×7
圧縮比:9.4
最高出力(kw/rpm):69/7000
最大トルク(Nm/rpm):111/3500