語り:津田洋介/TDF、まとめ:宮崎正行
【津田】とうとう来たね、愛機ホンダ・ビート。スクーター初の水冷2サイクル50㏄エンジン搭載だぜ。
編集部マルコ(以下、編) まあ、最初で最後ですけど(笑)
──誌面への登場がちょっと遅すぎたくらいですね。強すぎるアクを避けていたわけじゃないんですけど。カタログ表紙のノリは、2年後発売のDJ・1のパイロット版みたい。
【津田】エイティーズ・ライダーの記憶に強く刻まれた、オリジナリティの塊みたいなバイクだよ。「新しいことをやるぞ!」という気概に満ちていたけど……セールス的にはちょっとキビしかったな〜。
──先端すぎるルックスのせい?
【津田】車体の高額さと実用性のなさもあったと思うよ。
【編】めまぐるしかった当時のモデルチェンジサイクルにあって、83年から86年まで4年間もカタログに掲載されているのは……もしかして不良在庫?
【津田】80年代前半はスクーターレース黎明期。とくにスポーツ仕様って感じじゃなかったヤマハのジョグとかでミニサーキットを攻めるライダーがだんだん増え始めていたときに、ホンダにはそのニーズに応えられるモデルがほとんどなかった。まあ、イブとかで出ている人もいたけどね(笑)。「このままじゃイカン! 作るぞ俺たちのスポスク!」と思ったのか、鼻息荒くして新開発したのがビートだったというわけ。
──普通のスクーターじゃダメだったんですか?
【津田】サーキットで速く走ろうと思うと、そこそこのパワーと軽い車体がマスト。だからジョグはレース派に人気だったんだよ。
【編】ホンダ車は重いってこと?
【津田】それまでのホンダのスクーターは車体回りがしっかりしていたぶん、車重があった。それも災いしてレース派にはいまいちウケず。
──中身はものすごーくストイックですもんね。
【津田】そうなんだよ! 世界初のメカニズムがいろいろ載っかっているんだ。まず有名な可変トルク増幅排気システムのV‐TACSは、簡単に言うと2段階トルク切り替えデバイス。
低回転域ではサブチャンバーとメインチャンバーの両方を作動させ、高回転域ではステップボードのペダルを踏み込むことで、サブチャンバーの排気経路をクローズし、メインチャンバーのみをオープンさせることでハイパワーを得る仕組み。これが自動化されると……。
──ホンダは真面目にビートをスポーツモデルとして開発した?
【津田】うん。かなりマジでスポスク新機軸に挑んだ。自主規制めいっぱいの7.2馬力にこだわったし、車体デザインだってイタリアン・スーパーカーの凝ったディテールを引用!
【編】でも世間一般にはたいして理解されず、キワモノ的なポジションを確立してしまった。
【編】翌84年発売のNS250F/Rで採用された「ATAC」!
【津田】スクーターレースでは、この高出力エンジンをさらにチューンした人がたくさんいた。これでメカを学んだ人も多かったしね。
──なるほど。他には?
【津田】デュアルヘッドライト、MF密閉型バッテリー。このふたつは世界初だし、スタビライザー付テレスコピックフォークや、(ドラムだけど)冷却用インテーク付フロントブレーキ、透過光式照明4連メーター……。「オレらが本気を出すとここまでやっちゃうよ!」って前のめりさが、いかにもホンダらしいよ。
──理想主義的だったんだなあ。
【津田】水冷化にあたってメカに無理矢理なところはあったけど、でもパイオニアとしての理想は高かった!
──話を総合するとビートは、才能あふれるイケメン俳優じゃなくて、一発ギャグで正面突破しようとしたお笑い芸人ってところ?
【津田】ホンダは真剣にイケメンを開発したつもりだったと思うよ。
【編】でも結果は「オッパッピー!」だったという……。
──いやいや、小島よしおは子供たちにめちゃくちゃ有名なんだぞ!
【編】ビートもスーパーカー世代にはかなり有名だけど(笑)。
【津田】MFバッテリーの高性能アピールなのか、始動はセルのみ。でもこれが災いしてのちに不動車を増やしてしまったという悲しき高額装備。
【編】バッテリーを上げてしまったら最期(笑)。
──令和のいま、ゲキ熱水冷ビートを再販したら爆売れだろうなあ!
【津田/編】そんなわけない。