TEXT&PHOTO◎増田 満(MASUDA Mitsuru)
古いクルマが好きなら人なら1度はミーティングや展示イベントに足を運んだことがあるだろう。特に国産旧車を対象としたものは、例年なら春先から始まり、真夏を避けて冬が始まるまでの毎週末ごとに各地で開催されてきた。
ところが今年は新型コロナウイルスの影響により、多くが開催を断念している。今年1月に「日本旧軽車会」という団体が開催した「佐野ニューイヤークラシックカーミーティング」では、実に2020年中26ものイベントを開催予定としていたが、それらの多くが開催を中止してしまった。
その「日本旧軽車会」が協力して毎年開催されてきた北本総合公園での「クラシックカーフェスティバル」が、新型ウイルス感染拡大防止策を徹底することで無事に開催された。平時なら舞台となるヒートベアーズ北本スタジアムに150台規模での開催になるが、今回は車両と車両の間に7メートルの距離を保ち、かつ参加車両を埼玉県内在住者限定とした。
例年なら「北本きくまつり」と併催されることで大勢の来場者があり、車両には各種の賞典が用意されるコンテストも行われていたが、今回はそれもない。また車両以外に販売ブースなどが設けられるが、それも1出店のみ。とはいえ、少なくない来場者が足を運ばれていた。
今回は90台規模の展示車からトヨタ車をクローズアップしてみよう。
まず紹介したいのは、連綿を続く伝統の車名であるクラウンの初代モデルだ。海外のモデルをノックダウン生産することが主流だった1950年代当時、純国産にこだわって開発。1955年に発売されたのが初代トヨペット・クラウン。この日展示されたのは1957年式の1.5リッターモデルだ。
続いては1961年に初代が発売されたトヨタの大衆車であるパブリカ。わずか700ccしかない空冷2気筒水平対向エンジンを新開発して、徹底した低コスト主義により開発。38.9万円という低価格を実現した。このパブリカをベースに、1965年にはトヨタスポーツ800というスポーツカーも誕生している。
パブリカは1966年のマイナーチェンジで、エンジンの排気量を800ccに拡大している。フロントを中心にデザインも刷新され、いわゆる後期型に発展する。写真は後期型のコンバーティブルで、フルオープン4座モデルとして人気だった。
パブリカはその後、パブリカ・スターレットへモデルチェンジして、1978年からは単にスターレットと車名を変更している。そのスターレットは1984年発売モデルから駆動方式をFFへ転換。写真は1989年にモデルチェンジした4代目で、思い切りよく改造されていた。
クラウンとともに現在まで車名が続いているトヨタの看板車種といえばカローラ。1966年発売の初代以降、進化を繰り返すことになるが、2代目からはスポーツグレードのレビンがラインナップされた。小さなカローラのボディにセリカ用1.6リッターDOHCエンジンを載せ、ラリーやレースで大活躍。写真はマイナーチェンジ後の1973年式だ。
一方、カローラ自体は1983年にモデルチェンジした5代目から、駆動方式をFFに転換して話題になった。写真は1985年式のGLサルーンで、現在は2代目オーナー。なんと走行距離は驚愕の7000キロ台!
FFに転換したカローラだが、スポーツモデルのレビンだけはFRが継続された。型式名AE86として有名なモデルで、今も高い人気を維持している。この日はフルオリジナル状態とライトチューンされた2台のAE86が参加していた。
初代カローラ・レビンにはセリカ用1.6リッターDOHCの2T-G型エンジンが搭載された。このエンジンはセリカ用に新開発されたもので、2機のソレックスキャブレターを備えて115psを発生した。その初代セリカは鮮やかなブルーが印象的な写真のモデルだ。
また初代セリカには1973年、2ドアクーペだけだったボディに3ドアファストバックのLB(リフトバック)が加わった。リヤをテールゲートにしただけでなく、フロントもボンネットを延長。さらに2リッターDOHCエンジンが新たに加わった。
トヨタ車の最後を飾るのは、昭和平成とハイソカーの代名詞であったソアラだ。1981年に初代が発売されたソアラは、1986年のモデルチェンジで2代目へ発展。この2代目の目玉は2リッター直列6気筒DOHCエンジンをツインターボ過給する1G-GTEU型エンジンが搭載されたこと。写真は1988年にマイナーチェンジして後期型になったモデルで、2リッター最上級グレードだったGTツインターボLだ。
秋らしい晴天に恵まれたこの日の模様は、また追ってご紹介しよう。
クラシックカーフェスティバル
・開催日:2020年11月14日
・開催場所:埼玉県・北本総合公園内野球場ヒートベアーズ北本スタジアム
・主催:北本市都市公園指定管理者/協力:日本旧軽車会