TEXT●渡辺陽一郎(WATANABE Yoichiro)
最初と2台目の愛車が30万円で購入した国産の中古車だったので、「3台目は新車にしようか」と思っていた矢先、「30万円で新車を買わないか」という話が舞い込んだ。こういう時は運命だから逆らわない方がいい。1991年のことだ。
車種を尋ねると1983年式初代ゴルフGTDだという。アロイホイールなどGTIと同様のパーツを装着したボディに、1.6Lディーゼルターボを搭載する。初代ゴルフGTIは正規輸入されなかったが、GTDは2代目にフルモデルチェンジする直前に少数が輸入された。
話を聞いた時「いろいろと新しい経験ができる!」と頭の中で閃いた。最初と2台目の愛車は国産だから、ゴルフGTDを購入すれば、初めての輸入車で左ハンドルのことも良く分かる。またそれまでの愛車は、ガソリンの自然吸気エンジンを搭載する後輪駆動車だったが、ゴルフGTDはディーゼルのターボで前輪駆動車だ。未知の経験に溢れている。
そして購入話が舞い込んだのは1991年だから、3年間所有すれば1994年で、初代ゴルフの生誕20周年に当たる。ファミリアなど日本のクルマ造りと価値観に多大な影響を与えた初代ゴルフに対して、20年後の日本において、どのような評価を下せるのか。その結論を出そうと考えた。
初代ゴルフGTDは華奢で、速度を少し高めてスリップアングルを拡大させながら曲がると、タイロッドが歪んでしまう。運転に気を使ったが、実用回転域の駆動力は高く、車両重量は900kg以下だから走りは軽快だ。しかも乗り心地に重厚感が伴う。
1990年代前半の軽油価格は1L当たり80円弱で、ゴルフGTDは14km前後を走ったから、1kmの走行コストは約6円だ。20km走っても120円だから、高速道路を使わなければ、1名乗車で移動しても当時のJRを利用するより安かった。
初代ゴルフは全長が約3.8mのボディで視界も優れ(ただしCピラーは太かった)、抜群に運転しやすい。後席を含めて着座姿勢が適度で、後席の膝先空間は狭かったが窮屈には感じない。さまざまな機能の優れた商品だった。
惚れ込んだ私は、ターボのタービンが壊れて修理する時、試しにショックアブソーバーとタイヤも新品に一新した。ドイツには純正ショックアブソーバーの在庫があり、あえて初代GTI用の「Very Hard」を取り寄せた。メカニックは「純正もビルシュタイン製だ」と言っていた。
大金を投じた修理を終えてGTDを受け取り、最初のカーブを曲がった時のことは、今でも鮮明に記憶している。これは新車か!?と思うほど、走りが洗練されていたからだ。当時「ドイツ車はボディ剛性が高く疲労しにくいから、足まわりを交換すれば、走行安定性と乗り心地が大幅に蘇る」と言われていた。「大げさではないのか?」と疑っていたが、まさにその通りで驚いた。
初代ゴルフの結論は「今でも最高のゴルフ」だ。おそらく今後日本で発売される8代目も、初代を抜けないだろう。初代を知っていると、なかなか新しいゴルフを褒める気分になれない。読者諸兄の中にも、同じ感慨をお持ちの方が少なくないと思う。
ゴルフGTDは手間の掛かるクルマだった。1993年頃、ターボのタービンが壊れて修理する時、なかなか直ってこない。「今年中に仕上げます」という言葉を信じて待っていたが連絡はなく、新年にヤナセ併設の修理工場に出かけると「担当メカニックが新婚旅行に出かけて、暫く修理できません」。毎年恒例のJAIA(日本自動車輸入組合)主催の報道試乗会が迫っている。もうダメだ。「代車を貸せ」と怒ると「分かりました。契約されている駐車場に入れておきます」。
「どうせ古い日本車だろう」と思っていたが、深夜帰宅途中に駐車場を見ると、当時新車で売られていた新しいメルセデス・ベンツEクラス(W124)が停まっている。嬉しい半面「困ったなぁ、欲しくなったらどうしよう」と近付くと、明るい緑色のボディに「230E」の文字が見えた。「一番安くて非力な4気筒の230Eなら、欲しくなる心配もないな」と安心して帰宅した。
そして翌朝、230Eを発進させると...、駐車場から車道に出る手前のカーブをゆっくりと曲がった瞬間、恋に落ちた。重厚なシャシーと、前軸荷重の軽さによる絶妙な曲がり具合が、上質でしかも楽しい。
今のメルセデスベンツは、ターボの過給圧をむやみに高めた仕様にも手を染めるが、W124の時代は、動力性能が控え目で足まわりの勝る安全なクルマが多かった。その代表がW124の230Eだったと思う。わずか1日のドライブだったが、忘れられない時間を過ごせた。
今でも稀にW124を見かけると、トランクフードのエンブレムに目が向いてしまう。かつての面影を追い求める気持ちは、冗談みたいだが、確かに恋に似ている。それにしても最近のメルセデス、どれも軽薄で安っぽく感じるのは、私の老化によるものだろうか。
「これが欧州車の本当の姿だ!」と興奮したのが、取材で借りたプジョー205XSだ。1987年のことだった。205ではGTIが有名だが、記憶に深く残るのは、1.4Lノーマルエンジンと5速MTを搭載する低価格のXSだ。隙間だらけのクルマで、灰皿もちゃんと閉まらない。
それなのにシートの座り心地は、チープな見栄えとは裏腹に上質で、操舵感は軽快だ。カーブを曲がる時に、わざとアクセルペダルを戻すと、後輪の横滑りを誘発できてコントロールしやすい。1.4Lエンジンは性能的には平凡だが、吹き上がりは活発で、パワーを出し切る醍醐味もあった。
当時の日本の低価格車は、単に安いだけだったが、プジョー205XSには高価格車とは違う独自の楽しさを感じた。それこそがブランドの主張だろう。低価格車は、高価格車と違って欲張りはできず、付加価値が剥ぎ取られていく。その結果「これだけは譲れない」という要素だけが残り、プジョー205XSでは、高価格車とは違う走りの良さなのだ。
「この価値は、ベンツのSクラスを転がす連中には分からないだろうなぁ」と思わせる、低価格車の心意気が宿るクルマ造り。それが日本車とは違う、ベーシックな輸入車の魅力なのだと教えられた。