TEXT&PHOTO◎貝方士英樹(KAIHOSHI Hideki)
アクロバティックな曲技飛行(展示飛行)を披露する専門飛行隊が航空自衛隊ブルーインパルスだ。空自第4航空団第11飛行隊が正式名称で、宮城県の松島基地を本拠地としている。インパルスは空自の航空祭や国民的な大きな行事などでフライトすることを目的とした飛行隊だ。広報・PR活動を主任務とし、年間30回ほどの展示飛行を全国で行なっている。しかし現在、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため空自航空祭や大型イベント等は中止、飛行隊の予定も本年12月末までキャンセルされたままだ。
2020年5月29日、インパルスは東京都心上空を飛行し、コロナ対応の最前線にいる医療従事者に感謝とエールを送った。目撃された方も多いだろう。当日、晴天の首都上空に白いスモークを引いて飛ぶ6機のインパルス機に、病院の屋上から手を振る医療者たちの姿を映したニュース映像などで報道された。
この飛行に関しては賛否両論あった。感謝や士気が上がるなど好意的な受け止めの一方、税金の無駄遣い、騒音への指摘など批判的な意見もあった。筆者自身が賛否の割合を調査したわけではないから度合いは不明なのだが、好ましく感じたという意見は多かったように思う。好評価が多いのなら、航空自衛隊のサイトでインパルスの紹介ページにある『「創造への挑戦」を合言葉に、より多くの人に「夢・感動」を感じていただける展示飛行を求め続けていきます』という展示飛行専門飛行隊の目的や目標、あり方と合致した飛行だと思う。
ブルーインパルスの歴史を少し振り返る。インパルスは1960年8月、当時の浜松基地第1航空団第2飛行隊内に「空中機動研究班」として誕生した。当時はアメリカから供与された戦闘機F-86Fセイバーを使っており、これが初代機になる。1964年の東京オリンピック開会式では、五輪を5色のカラースモークで描き、1970年の大阪万博開会式では「EXPO'70」の文字を空に描いた。
2代目インパルスは1982年1月、松島基地第4航空団第21飛行隊内に「戦技研究班」として発足、使用機体は国産のT-2超音速高等練習機だった。
そして現行のインパルスは1995年、「展示飛行専門の独立飛行隊」創設の機運が持ち上がっていた80年代後半からの動きのなかで、先述の第21飛行隊内「戦技研究班」を解散、同時に第11飛行隊を制式飛行隊として発足させた。使用機体は国産の中等練習機T-4。スモーク発生装置や、バードストライク対策で通常のT-4より分厚いキャノピーを使用するなど専用化が図られている。
曲技・演技は課目と呼ばれ、50種類を超えるという。そのなかでもスモークで模様や意匠を描く課目が得意だ。たとえば、ハートを矢で射抜いた様を描く「キューピッド」や、花びらを6輪で表現した「サクラ」などだ。
そのインパルスの日常訓練を松島基地へ見に行った。先述したように大型催事などへ参加する年間予定は白紙になっているが、日常的な飛行訓練は変わらず行なわれている。この日も3機や4機編隊で空へ上がり、基地上空や沿岸部上空で見事な課目を訓練。空を見上げ、飛ぶヒコーキを見ることが趣味の筆者は幸せな時間を過ごした。
松島基地周辺の用水路の土手などには平日にもかかわらず多くのファンが間隔を開けて飛行を見つめていた。望遠レンズを付けたカメラで連写している女性ファンも多い。近隣の公園、矢本海浜緑地の芝生広場や遊具広場では家族連れが空を見上げて楽しんでいる。東松島市内のアンテナショップや土産店などではインパルス関連グッズが多数用意され、マニアックな専門ショップも開店している。地元の支持は相変わらず大きい。
インパルスは地元松島の空で日々粛々と飛行訓練を重ねていた。5月の東京上空飛行のあと、他の地域での飛行も検討されたようだが実現していない。来年、延期された東京五輪が開ける状況を迎えられるならば、インパルスは当初予定通り、東京の空に五輪を描くに違いない。それを見たいと思う。