しかし、後継モデルの発売を想定していた90年代には、260〜280psのパワーが求められるだろうと予想していた。また、駆動方式についても検討を重ねる必要があったという。
「実はミッドシップも検討しました。試作の段階まで進んだのですが、乗員は2名に限定されてしまう。スタリオンがラリーでグループBとして国際レースに出場していたこともあって、4人乗りでなくてはならないとしてミッドシップ案は消えました。」
また、実験部隊から4WDの運転特性の良さについての報告も上がっており、1986年には新しいスポーツカーは4WDで進めるという方針に固まった。鈴木は「全天候スポーツカー」というスローガンを掲げ、腕に自信のある少数のドライバーだけのものではなく、路面や天候に関わらず安心して走れることがこれからのスポーツカーだと考えており、そのためには4WDが必要だったのだ。
ただし、4WDの本格的なスポーツカーとなると小型車の幅(1700mm)では足りない。その点について、エンジニアリング部門と開発部門では文句がなかったが、商品化するとなると各部署から賛否両論が出て、その調整が大変だったという。