S500からホンダに息づくスポーツカーやレーシングマシンへの挑戦の結集としてアピールする狙いがあったという。
その担当となったのが上原 繁LPLだった。
実験車でミッドシップの特性をチェックしていく中で、どのようなサイズのスポーツカーにするかの検討も進められ、MR2よりは大きく、テスタロッサやコルベットほど大きくないサイズの試作車として「プロトⅠ」を製作。この頃からネーミングは、ニュースポーツカー、未知への挑戦という意味を込めて「NS-X」と言われるようになっていたという。さらに、軽量化のためにボディをアルミ製とすることが決まったという。
当時のことを上原は以下のように振り返る。
「かなり難しいことを注文してきましたが、誰もクレームらしいことを言ってこなかった。スタッフから提案されたのが、徹底的にアルミ合金を使って軽量化したいという意見でした。ただ、市販車のボディやシャシーをアルミ主体でつくるとなると普通のプロジェクトなら批判が飛び出すのが当然ですよ。ところが、NSXではそんな批判は全くありませんでした。」
NSXはモノコックボディをアルミ製とし、全体の約30%をアルミが占め、鉄を50%以内まで抑え込んでいるのだが、鉄と比べてアルミはプレス加工が難しく、鉄と同じ型を使用するとシワが出たり、強度が落ちたり、思った形状にならなかった。そのため、プレスの型を変えたり、押す回数を増やしたり、はたまた材質を調整したりなど、常温では柔らかくて熱を加えると硬化するアルミ合金を見つけるまで多大な時間とコストが掛かったという。さらに、塗装が金属に上手くのらなかったり、ミミズ状の膨れが起きたりもした。
このプロトⅡについて上原は「従来の高性能スポーツカーは、性能のためには乗り心地や利便性を割り切っていいという概念がありましたが、NSXではそれらを割り切らずにビークルダイナミクスと快適性そしてヒューマンフィッティング、天候や道路環境への適応性、衝突時の安全確保も狙いました」と語る。
そうして1989年2月にシカゴでお披露目された。開発期間は6年半に及び、当時のホンダの新車開発のペースとしてはかなり異質だった。というのも、開発に携わる人数が400人を超えるほど多く、拙速にことを進めずに熟成期間を長く採って完全な性能と古びないスタイリングで勝負すべきだと上原が考えていたからだった。その判断の正しさは、NSXがいまもファンの胸を打つ存在であることが証明しているのではないだろうか?