その変貌ぶりは、トヨタのランクル40が70に、日産パトロールがサファリに、三菱ジープJ30系がパジェロ・エステートになったのと同じ印象を受ける。
「トレンド」なんて軽い言葉を使いたくはないが、旧来の四輪駆動車が衣替えを求められた時期だった。
それでもラガーの場合、タフト由来のジャストサイズこそが存在意義であり本分だ。拡大されたトレッドは現行ジムニーに毛が生えた程度の、前1320mm/後1300mmにとどまる。全幅も小型車枠上限まで11cmもの余裕を残した1580mmだったから、骨太な足腰をして険しい小道に突っ込んで行ける美点は残されていた。
そもそもタフトのシャシーはランクル40やジープほど設計が古くない。ラガー用に寸法変更を施したに過ぎず、用いられる部材も同じである。それは年々肥大化の一途を辿った4WD群にあって、悪いことではなかった。
ラガーでは2530mmのホイールベースを持つ中尺車が加わった。タフトの時代には、輸出向けを除いて単一ホイールベースのまま、オーバーハングの長短が選べるのみだった。
ラガーのレジントップ車は全てこのサイズとされ、鉄屋根のバンと幌車はホイールベース2205mmの短尺車だ。なお、姉妹車のブリザードは短尺車のみとされ、レジントップ車は存在しない。
「丸目」とはラガー登場時のスタイルを指す。タフトディーゼルそのままのパワープラントで発売され、4カ月後の昭和59年(1984年)9月にターボ車を追加。これはレジントップ、バン、幌、すべてのタイプで選ぶことができた。
ディーゼルRV四駆の動向を思い返せば、三菱のパジェロは最初からターボで、いすゞのビッグホーンも昭和59年にターボ化。余力のあった6気筒の日産サファリまで同じ時期にターボ化(次期モデルの新エンジンでNAに戻る)。さらに1年少し後、トラックエンジンのトヨタ ランクルBJや大排気量のHJにも直噴化されたターボ車が登場し、ディーゼルターボ百花繚乱の時代となった。
これも時流に乗った「トレンド」であり、要不要にかかわらず「TURBO」の5文字が求められた。メタリックカラーを上下に塗り分けるツートンが流行りだしたのもこの頃だった。
雰囲気の演出、あるいは売り方としての「乗用車化」はラガー登場時から始まっていたが、5ナンバー登録車の追加で名実ともに乗用車となった。昭和60年(1985年)9月のことだ。車体そのものに大きな変化はなく、乗用車の基準に合わせてリヤシートを大型化、あとは安全対策程度。
諸元表を見ると97psから91psにパワーダウンしている。これは乗用カテゴリの場合ネット表示となるためで、乗り味は大差ない。内装の違いで30kgほど重くなっただけだ。
昭和62年(1987))9月、マイナーチェンジが行なわれ、ヘッドライトが「角目」に。装備品に大きな変更はなかった。
エンジンもDL型の続投だが、構造的なグレードダウンが行なわれた。従来は、タイミングギヤで駆動されるカムシャフトがブロック脇に位置し、プッシュロッドでロッカーアームを動かす典型的なOHVだった。高回転まで対応しない代わり、堅実な機構といえる。せいぜい3500rpmが上限の古典的ディーゼルには最適なものだった。
ところが角目のカタログに「OHV・ベルト駆動」と不穏な文言がある。基本構造はOHVのまま、ギヤを短い歯付きベルトに置き換えてしまったのだ。
軽量化や騒音低減には僅かなメリットがあるだろう。なによりコストが安い。それだけのために、タイミングベルト破断時のエンジンブローや高額な定期交換費用をユーザーは負うことになる。OHVとOHCの悪いトコ取りにも思える。
この変更は、当時の四駆雑誌でまったく話題に上がらなかった。多くの四駆たちがブームに浮かれ“質実剛健なヨンク道”を見失い始めた時代。ラガーも徐々におかしなことになってきた。平成元年には「プリオール」のグレード名で、オーバーフェンダー/ワイドタイヤ車を追加している。
翻ってトヨタのブリザードは平成2年に販売を終了。オーバーフェンダー等の加飾は施されず、素の姿のまま幕を下ろした。その後、ビスタ店では、あらたにランドクルーザーワゴン(70系にハイラックスの駆動系を組み合わせたライト系のランクル・LJ71G)を売ることになった。
ラガーの変遷は、実直で不器用な山男が都会のアウトドアショップに転職し、イマドキ客の対応に疲弊して行くかのようだ。少数ながらも揺るがない支持層があった理由を、ダイハツの開発陣は把握できなかったのだろうか。山男は山小屋に居続けて欲しかった。
平成5(1993)年4月のビッグマイナーチェンジで「終わったな」と思ったのは私だけではなく、周囲のオフローダーも同じ反応だったことを憶えている。結果としてラガーは本当に終わってしまった。
いささか滑稽なルックスにも落胆したが、前ダブルウィッシュボーン、後コイルリジッドの脚周りにも驚いた。いま考えれば充分に本格的なサスペンション形式だとしても、カタログで「譲れない・誇り」としていた形式を、あっけなく捨てるとはポリシー崩壊とも受け取れた。
なにをしたところで、この小柄なボディ、4ドアもオートマもないラインナップでは、三菱パジェロやトヨタ サーフにはなれない。自らのファンを見捨てて世間の流行に迎合した結果、大掛かりな設計変更を行なったF73G/F78Gを最後にラガーの名は消えた。バンと幌を廃止して売り続け、2年半の命だった。
もしこのとき、前足のリジッドアクスルを生かした「前後コイルリジッド式」としたり、極端なワイド化を控えたり、オートマを追加していたら、歴史は変わっていたのではないか。あるいはとんがった方向で、三菱パジェロJ-TOPのようなクロカン志向の機種を出していたなら、ラガーは2代目、3代目と続いたかもしれない。
いすゞビッグホーンのような部門撤退という事情ではなく、ダイハツはその後もRV・SUVに力を入れていただけに、ラガーの存在意義を熟考し、生き長らえさせて欲しかったと思う。
ラガーの乗り味は、タフトの延長上にあり、それを静かにスムーズにした印象だ。ガッシリした剛性感はもとより完成されており、バネ自体がソフトにされたことで突き上げが減り、ホイールベース・トレッドが拡大されたことで路面のうねりに翻弄されなくなった。遮音も行き届いている。
タフトのDG型、そしてDL型はディーゼルノックすら封じ込めるほど肉厚の鋳鉄ヘッドを持ち、騒音より振動として伝わる部分が大きかった。そのあたりのインシュレーションも考えられている。
エンジン特性はモリモリトルクのトラック用にターボで伸びを加えたもの。滑らかさも加わっているから、悪かろうはずがない。
視界良好なことは特筆すべきだ。低い位置から立ち上がるフロントガラスや大きなドアガラスで、開放的でもある。安全性に寄与する要素だから、スズキの現行ジムニーを含め、今の車たちに見習って欲しいところだ。
オフロードコースではタフトより大きいとはいえ、まだコンパクトで長細く、視界の良さもあって乗りやすい。調子に乗ると、2.5mに伸びたホイールベースのおかげで、出っ張り気味の臓物を引っ掛けて亀の子になる。腹下の処理の悪さは、上下方向に大きなトランスファケースと、ピボット類の突起や飛び出したヘルパースプリングのせい。詰めの甘さはタフト譲り(?)だ。
トレッド拡大でサスペンションはよく動くはずだが、実際はあまり変わらない。前足にはハンドリングを重視して、リーフリジッドなのにラテラルロッドなど追加したものだから、足を捻る場面で制限されてしまうのだ。
つまるところ「ラガーらしい走り」とは、持ち前のトルクでアクセルやクラッチに気を使わずドカドカと這い回ること。ここぞというところで踏んでやれば良く、乗り方としては重量級四駆に似ている。もう少しローギヤードであったなら速度も抑えられてなお良かった。
このレジントップ車は自然で好バランスだ。タフトでは過剰な骨組みに重いエンジンを載せ、チープな車体をグイグイ引き廻すような印象があった。
ホイールベースが長く少し重たいF75Vでは、昭和49年(1974年)に作られたフレームは「このためにあった」と思うほど、ちぐはぐ感が払拭されている。
先代との比較のみならず、四輪駆動車を多く乗った方なら、癖がなく心地良い車だと思われることだろう。いつでもスムーズ、かつ頼もしい。かつてタフトに比べて中庸で馴染みやすい性格だったブリザードは、お株を奪われてしまう。
ちょうどディフェンダー90の中古を入手した方が遊びに来られたので、その1割ほどの値札を掲げたF75Vのハンドルを預けてみた。
しばらく運転して口をついて出た「こっちが良かったな……」のつぶやきが、ラガーの乗りやすさ、魅力を知られていない哀しさを示している。これは実話です。
ダイハツ ラガー レジントップEX 1988年
型式 S-F75V
寸法 全長3980mm×全幅1580mm×全高1840mm
ホイールベース 2530mm
トレッド 前/後 1320mm/1300mm
車両重量 1460kg
エンジン DL型 直列4気筒OHVディーゼル
総排気量 2765cc
最高出力 94ps/3400rpm
最大トルク 23.0kg-m/2200rpm
トランスミッション 5速MT 2速副変速機付き
ブレーキ前 ディスク
ブレーキ後 2リーディング
タイヤサイズ H78-15-4PR
※寸法・重量はオプションのPTOウインチなし車の数値