「己れが何ものにも変えがたく愛しいと同じように、他人もまた己れを世の中でもっとも愛しい。だから、己れの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならない」
というのも、有馬はMR2のデザインを探る中で、アメリカと日本における自己表現の考え方がかなり食い違っており、そのどちらも満足させることで悩んでいた。この教えをきっかけに「思い切り自己主張を貫くことのできるクルマとすることで、他人を思いやるゆとりが生まれる。それが次世代のMR2に必要なものだ」と至ったという。
難航していたデザインはエキサイティングとディスティンクティブを条件に、ルネッサンス以後の彫刻から得たヒントにデッサンを描いた。使い勝手が少しくらい悪くてもデザイン的な価値を尊重したかったという。最終的には、オリンピックの中継テレビに映る女性ランナーの姿態をモチーフに洗練されていった。
走りについては、ダブルウイッシュボーンの採用を検討していた。しかし、寸法を工面した試作車では狙った性能が出なかった。しかも、エンジンのパワーが大きくなっているから限界域での挙動が非常に難しい。オーバーステアになりやすい傾向を処理するために、サスペンションとボディを結合するブッシュの内部を、前向きの力に対してはソフトに、後ろ向きの力にはハードに作用するように剛性をチューニングした。多くのノウハウがあるFFやFRとは違って、設計者の勘の働かせどころが定まらないことに苦労したという。
初代のMR2は安価にミッドシップの持っている操縦性の良さを味わってもらうことを狙っていた。2代目では贅沢なものは、ある程度贅沢にしないと価値のバランスが取れないことに気づけたと振り返った。