量産初の並列4気筒車という称号はホンダCB750フォアに譲ったものの、カワサキが1967年から本格的な開発に着手し、1973年に発売を開始したZ1/2は、世界中で爆発的なヒットモデルになった。もっとも、当時のカワサキは2ストを得意とするメーカーで、4ストに関する実績はほとんどなかったのだが、同社が初めて開発した4スト並列4気筒車は、当時の大排気量車の基準を大幅に上回る、圧倒的な動力性能を備えていたのだ。




REPORT●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)


PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)


取材協力●リアライズ ☎042-686-2504 http://mytec-realize.com/

 日本での知名度はさておき、現在の東南アジアやヨーロッパには、2輪の生産を開始してまだ10年に満たない、小排気量が主軸の新興メーカーが数多く存在する。もしそういったメーカーが“世界最速のバイクを作る”と宣言したら、たとえ巨大企業の一部門で資金が潤沢にあったとしても、真に受ける人はいないだろう。“その前に、まずはミドルを作れば?”、“レースでの実績がないのに、何を夢みたいなことを”などと言う人がいるかもしれない。でも今から半世紀前のカワサキは、2輪に本腰を入れ始めてまだ数年で、レースでの実績はほとんどなく、自社開発車の最大排気量は350ccだったにも関わらず、ホンダ、ヤマハ、スズキの3社と、欧米の古豪を凌駕する、世界最速車を世に送り出したのである。

ブラックにペイントされた撮影車のZ2は、リアライズの手で当時風+αと言うべきカスタムが施されている。ただし外装や4本出しマフラーはSTDで、鉄リムのスポークホイールのサイズは純正と同じF:1.85×19/R:2.15×18。フロントブレーキも純正と同じシングルディスクだが、キャリパーはトキコ→APロッキードCP2696に変更。

 1970年前後の2輪の世界では、来るべき高速化時代を見据えた、革新的なビッグバイクが続々と登場していた。具体的な車名を挙げるなら、1968年:BSA/トライアンフ・ロケットⅢ/トライデント、1969年:BMW R75/5、ホンダCB750フォア、ヤマハXS-1、1970年:MVアグスタ750S、1971年:ドゥカティ750GT、1972年:スズキGT750、モトグッツィV7スポルトなどが、当時の各社の代表作である。そしてこれらと同様の姿勢で、カワサキは2スト並列3気筒の500SSを生み出し、1969年に発売。他社より少ない排気量でありながら、CB750フォアと並んで、世界最速の称号を初めて獲得したのだ。




 もっとも、本当に驚くべきはその後だった。新時代のビッグバイク発売後は、一息ついた感があった他メーカーとは異なり、カワサキは1972年に500SSの排気量拡大版となる750SS、1973年には4スト並列4気筒のZ1/2を発売し、いずれのモデルも世界最速車、あるいは国内最速車として、爆発的な人気を獲得。言ってみれば同社は、一の矢だけではなく、二の矢と三の矢を準備していたわけである。中でも三の矢となるZ1/2は、他メーカーにとっては驚きを通り越して、唖然や愕然だったに違いない。何と言ってもそれまでのカワサキは、ヤマハやスズキと同様に2ストを得意とするメーカーで、1964年に傘下に収めたメグロから継承したW1シリーズとSG系を除けば、自社開発の4ストは無かったのだから。

Z1/2と言ったら誰もが真っ先に思いうかべるのは、このカラーリングではないだろうか。カワサキの正式名称はキャンディトーンブラウンだが、マニアの間では、火の玉カラー、ファイヤボールなどと呼ばれている。

 もちろん、カワサキが初めてゼロから手がけた4ストに対して、デビュー時には疑念を抱いた人もいただろう。ただしZ1/2が搭載するエンジンは、量産初の並列4気筒として話題を呼んだCB750フォアを、見方によっては凌駕していたのだ。と言うのも、1960年代の世界GPで数々の栄冠を獲得したRCシリーズで、4スト多気筒車のノウハウを手中にしたホンダは、量産車に並列4気筒を搭載するにあたって、乗りやすさや静粛性、生産性などを考慮して、あえてSOHCヘッド、あえてプレーンメタル支持の一体鍛造クランク、あえてチェーン式の1次減速を採用した。でも動力性能と耐久性を徹底追求したZ1/2は、コストや生産性などを度外視して、DOHCヘッド、ボール/ニードルベアリング支持の組み立て式クランク、ギア式の1次減速を導入したのである。誤解を恐れずに言うなら、Z1/2のエンジンの構造は、ホンダのRCシリーズによく似ていたのだ。

1973年型Z2の新車価格は、一般的な日本車では初の40万円台となる41万8000円。同年のライバル勢の価格は、ホンダCB750フォア:38万5000円、スズキGT750:39万5000円、カワサキ750SS:36万5000円で、この差額をどう感じるかは人それぞれだが、当時の大卒初任給が6万円前後だったことを考えると、決して小さくはなかったはずだ。

 カワサキマニアにとっては周知の事実だが、Z1/2の本格的な開発が始まったのは1967年で、1968年春には試作エンジンが完成。そんな同社にとって、1968年秋の東京モーターショーでホンダが公開したCB750フォアは、寝耳に水と言うべき存在だったのだが、今になってみると、CB750フォアはZ1/2の性能を高めるアシストをしたのかもしない。本命となる輸出仕様の排気量が750→900ccに拡大され、1200cc前後までの排気量拡大を想定した耐久性が与えられ、車載状態でシリンダーから上の整備ができるようになったのは、CB750フォア(排気量拡大の上限は850cc弱で、車載状態で出来るエンジンの整備はタペット調整くらい)以上の性能を目指した結果だったのだから。なおホンダの名誉のために記しておくと、動力性能で多少劣っていようとも、CB750フォアの人気はZ1/2登場後も大きく衰えることはなく、1969~1977年の9年間で約60万台を生産。この数値は1973~1980年に販売された、Z1/2シリーズのほぼ倍である。

当企画では一般的な呼称のZ2=ゼッツーで統一しているけれど、この車両の正式な車名は“750RS”で、Z2は型式。ちなみにZ1=ゼットワンあるいはジーワンも型式で、こちらの正式車名は“900スーパー4”だった。

 日本人の視点で考えた場合、Z1/2の生い立ちを語るうえで欠かせないのは、1973年に日本自動車工業会二輪車部会が発表した、“国内で販売する二輪車の排気量上限は750ccまで”という自主規制だろう。この規制の背景には、当時の急激な交通事故の増加と暴走族の過激化があったのだが、900ccのZ1を販売しようとしていたカワサキにとっては、シャレにならない事態である。すぐさま同社は、日本での販売を諦めるか、排気量縮小版を製作するかという議論を開始し、結果的に後者を選択。こうした経緯で生まれたZ2は、ボア×ストロークやキャブレターなどを専用設計することで、兄貴分とは一線を画する、750ccならではの魅力を追求していたのだが……。




 現在の年齢が65歳以上で、当時をリアルタイムで体感したライダーにZ2の話を聞いてみると、“ツインカムは魅力的だったけど、CB750フォアほどの衝撃は感じなかった”、“加速や峠道での速さなら750SSのほうが上”などという意見が出て来ることが少なくない。各車の最高出力と乾燥重量、Z2:69ps/230kg、CB750フォア:67ps/218kg、750SS:74p/192kgという数値を考えれば、それはまあ当然のことだろう。もちろん、82ps/230kgのZ1が販売されていたら、日本でのカワサキZに対する評価はさらに高くなったはずだが、主要市場のアメリカだけではなく、ヨーロッパでもZ1が大人気を獲得したことを考えれば、当時のカワサキにとって日本での評価は、そんなに重要ではなかったのかもしれない。

 昨今ではクラシックバイク業界の大人気機種として、世界中で認知されているZ1/2。ただし生産終了後の数年を振り返ってみると、Z1/2は時代遅れの中古車に過ぎず、日本でも海外でも、10~30万円台前後の個体がゴロゴロしていた。とはいえ1980年代後半の日本では、海外からの逆輸入という手法が一般的になり、さらには当時のレーサーレプリカブームに対する反動もあったようで、Z1の人気は当初はジワジワ、1990年代に入ると急速に上昇。近年になってその上昇は落ち着いたようだけれど、オリジナル度の高い極上車なら300万円~、要整備車でも100万円以上という価格は、かつてのZ1の中古車相場を知る人にとっては隔世の感があるだろう。




 ちなみに日本仕様のZ2は、Z1から10年ほど遅れて人気が上昇。少なくとも1990年代中盤までのZ2は、排気量拡大を前提としたカスタムのベースと考えられることが多かったものの、生産台数がZ1より少なかったことや、ショートストローク指向のエンジンが評価の対象になったのだろうか、近年のZ2はオリジナル度が高い車両なら、兄貴分を上回る価格で取り引きされているようだ。
1981年以降のZ1000J系やGPZを含めると、これまでに数十台のカワサキZシリーズを体験している、2輪雑誌業界24年目のフリーランス。人生初の旧車は22歳のときに購入した1979年型Z1000MkⅡで、ここ最近は1974年型モトグッツィV850GTや1976年型ノートンコマンド850などを愛用。

情報提供元: MotorFan
記事名:「 世界中のメーカーとライダーのドギモを抜いたZ1/2は、カワサキ初の4ストだった。