PHOTO◎MAZDA
MXの2文字は、クルマの種類に関係なく、またそれまでの慣習に囚われることなく、新しい価値の創造と提供に挑戦するモデルに与えられる、とマツダは言う。
代表的なモデルは、いうまでもなく1989年デビューのMX-5(ユーノス・ロードスター)である。
ほかにもMX-3、MX-6といったモデルが市販車として世界の街を走り回った。
では、「MX」の名前を最初に名乗ったのはどんなモデルかご存知だろうか?
MXのモデル名を最初に用いたのは、MX-81アリアコンセプトである。作ったのはイタリアのベルトーネ。マツダ323(ファミリア)のランニングギアを使ったモデルで、未来的なウェッジシェイプのハッチバック。埋め込み式の四角いステアリングホイール、テレビ画面のコックピット、サイドスイングのフロントシートなど、なかなか過激なインテリアだった。
このMX-81はベルトーネとの将来に関係につながり、ハイマウントテールライトやポップアップヘッドライプなどは、80年代後半のマツダ量販車に反映された。
大きな窓、空力的なリヤホイールカバー、ドアミラーの張り出した大きなフラットサイドの5ドアハッチバックだった。後輪ステア(4WS)とフロントガラスのヘッドアップディスプレイも装備していた。
MX-03コンセプトは3ローターのロータリーエンジン (315ps)を搭載したスポーツカーコンセプトだった。4WD、4WS、Cd値0.25という未来的なコンセプトだった。
1987年の東京モーターショーでお披露目されたMX-04コンセプトは、取り外し可能なグラスファイバーパネルを備えたフロントエンジン、リヤドライブのスポーツカーシャシーだった。
シャシーの被せるカウルは、2種類の異なるセットがあり、ガラスルーフとビーチバギースタイルのオープンサイドロードスターがあった。ロータリーエンジンを搭載したこのバーミーシェイプシフトのスポーツカーは、生産に真剣に取り組むつもりはなかったが、このとき、マツダがすでにMX-5を開発していて、わずか2年後にMX-5がデビューすることになる。
マツダMX-3は、1992年から1993年にかけて販売された4人乗りのクーペハッチバックで、世界最小のV6エンジンを搭載していた。1.8ℓのV6(K8-ZE型)は最高出力145ps最大トルク159Nmだった。日本での名前はユーノス・プレッソ。
787Bが1991年にル・マン24時間で優勝した後、FIAはロータリーエンジンを禁止した。マツダが1992年の世界スポーツカー選手権(WSC)用に準備したのが、このMXR-01である。ロス・ブラウン設計のジャガーXJR-14をベースに、ジャッドV10にマツダバッジをつけたエンジンを載せたマシンだった。
2001年のMX-Sport Tourer Conceptは、過激なMPVコンセプトで、MPVが箱型でなくてもいいというコンセプトを打ち立てた。
2004年のマツダMX-Flexaは、スライド式後部ドアを共有する、革新的なMazda5の量産車にさらに近いコンセプトだった。
マツダを他のブランドと一線を画する別のサクセスストーリーへの道を切り開いたMXコンセプトは、2005 MX-クロスポートだ。RX-8に触発されたMX-クロスポートは、彫刻的なホイールアーチ、細いヘッドランプ、大胆なショルダーラインを備えたスポーティな外観のSUVコンセプトで、後にマツダCX-7として結実した。
マツダがスタイリッシュでスポーティなSUVを構築できるという事実を確立した重要なモデルである。今日のCX-5とCX-30につながる、SUVの系統を確立したモデル– MXクロスポートは、SUVサクセスストーリーのスタートだった。