右サイドパネル内に収められるエンジンの強制空冷部分をクローズアップ。写真中央のスリットから外気を取り込み、内部のファンによりエンジンのヘッド周りへと送り込まれる仕組みだ。 天才設計技師として名高いコラディーノ・ダスカニオ。彼がプロトモデルであるMP6を完成させたことで、プロジェクトが一気に加速したのは間違いない。実際、MP6の完成からわずか半年後の1946年4月には市販車第一号の”98”がお披露目されている。見るからに実用的でコンパクトな乗り物は、MP6から格段に完成度を高めた市販化が前提の新型車だった。
この時、ローマのゴルフクラブで行われた発表会にはこの98がなんと15台が並べられたとされる。ただ、ここで少しばかりの疑問も生まれる。それはプロトモデルのMP6の完成からわずか半年たらずで、15台もの新型車を用意するという異例とも言えるスピードに対してだ。この辺りを正確に記した資料を見つけられずにいるため、あくまで想像の域を出ないものとなるが、15台のすべてが新型モデルだったワケではなかっただろうと思えてならない。プロトモデルの手直し程度のものまで含めて、どうにかこうにか15台を揃えることができたというのなら合点がいく。たとえばプロトモデルの完成以前から市販前提モデルのプレス型が用意されていたというなら間に合うだろうが、それではプロトモデルの発表時期が不自然なものになってしまう。その辺りは正確に詳細を記した資料が見つけられたら、その時にまた掘り下げて記事化してみたいところだ。
さて、実際にお披露目された市販が前提の新型車に目をやると、プロトモデルからの移行段階でいさまざまな調整箇所があったと推測できる。フォルム的なもの、耐久性や性能面、結果として大きくデザイン変更された98がその場に並べられたということだろう。
具体的な手直しだが、その最たるものがMP6に備わっていなかった冷却ファンだと言える。もともとMP6には冷却効率を高めるためと思われるスリットがサイドパネルに備わるが、98ではこれが廃止されている。おそらく実走試験により、もっと効果的かつ効率のいい冷却方式を採用する必要に迫られたのではないだろうか。
そしてその結果、強制空冷+シュラウド(冷却風をエンジンに導くガイドのようなもの)の採用へと改良されたことが想像できる。それでもエンジンまわりや外装へのわずかな手直しに止められるなど、実用性を持たせるための大きな設計変更は無用であった。こうした事実がMP6の高い完成度を物語っているし、だからこそMP6の改良版とも言える98が、お披露目時ほぼそのままで市販されたと言えるだろう。
なお、当初98は4輪で有名なランチアのディーラーネットワークで販売され、1946年中に2484台のセールスを記録したとされ、47年まで仕様変更されながら生産された。