その内容は日産が惜しみなく自分の技術を注ぎ込んだもので、特筆すべきは自動車専用道路での半自動運転となるプロパイロットを採用したこと。全車速対応の前車追従クルーズコントロールですら軽自動車初というのに、それに車線維持機能まで加わり、一気に登録車でも有数の機能を備えた事になる。室内の使い勝手や高い質感と合わせ、まさに日産渾身の一台に仕上がった。パオから較べると、30年の間のコンパクトカーの技術の進歩に驚かされる。
では令和最初の日産車は? ジュークやエクストレイル、ノートなども噂されるが、他のメーカーのように先行発表されたものは何もなく、まったくの不透明。日本市場よりも海外市場優先と言った感もあり、パオの頃のような元気の良い日産が戻ってきて欲しいと思う人も多いハズだが……。
マツダの平成最初のクルマは、平成元年2月にデビューした七代目ファミリア。当時のマツダ基幹車種であり、トヨタ・カローラ、日産サニー、ホンダ・シビックと並ぶコンパクトカーの代表的モデルであった。ボディは3ドアハッチバックと4ドアセダンの2種類で、後にリトラクタブルライトの5ドアハッチバック、アスティナが加わった。この3タイプは同じ「ファミリア」のファミリーとは思えないほどそれぞれ顔つきがまったく違っていた。
エンジンは1.3L、1.5L、1.6L、それに1.8Lターボというラインナップ。トップグレードは1.8Lターボ+フルタイム4WDのGT-Xで、当時参戦していたWRCのベースモデルでもあった。この年は優れたハンドリングを武器にWRCで2勝を挙げたが(クルマは先代モデル)、折しもセリカGT-FOURやギャランVR-4、レガシィRSの参戦によって急速にWRCがレベルアップしていた時期でもあり、後にハイパワー版のGT-Rを投入したが1992年をもってWRCから撤退する事となる。
まさか30年後にファミリアがOEM供給の商用バンになるなんて、当時は予想できないことだったハズ…。
マツダの平成最後のクルマは、平成29年12月14日発売のCX-8だ。北米で販売されている3列大型SUVのCX-9をベースに、日本市場に適したサイズにリファイン。ミニバンを無くしたマツダの3列車需要に対する回答である。3列SUVの中では最も広い部類となる3列目席を持ち、さらに2列目席は固定式の大型アームレストを備えたタイプも用意するなど、マツダの新しいフラッグシップ車という意味合いも持たされている。
エンジンは2.2Lディーゼルターボに加え、2.5L自然吸気と2.5Lターボの2種類のガソリンエンジンも追加され、3種類から選べるようになった。
これはおそらくマツダ3で決まりだろう。すでに国内でもお披露目が行われ、あとはカウントダウンを待つのみといった状態。
今は乗用車販売から撤退してしまったいすゞだが、平成初期はまだ自社開発の乗用車も販売していた。平成最初のクルマは元年4月デビューのSUV、ミュー。ショートホイールベース&ワイドトレッドのスタイリッシュなフォルムを持ち、ラインナップはFRPのトノカバーを装備した2人乗りと、折り畳み可能なソフトトップを備えた2/4人乗り。実用性は二の次のRVスペシャリティカーであった。
エンジンは2.6Lでトランスミッションは5速MTのみ。後に4人乗りのメタルトップモデルとディーゼルターボエンジン、4速ATモデルも追加され、他にない個性的なSUVとして人気を集めた。
平成最後のいすゞ車は、同時にいすゞ最後の国内向け独自開発乗用車でもある。それは、平成10年5月の登場した二代目ウィザードだ(ビークロスは前年の平成9年デビュー)。初代のウィザードは、先述のミューの5ドアモデルとして登場したミューウィザード。これが二代目になり独立してウィザードとなった。先代とは一変して逞しさを増したボディは、大人5人がゆったり寛げる広い室内と、最大で2273lという広大なラゲッジルームを備えていた。エンジンは3.2lV6ガソリンと、3.0L直4ディーゼルターボの2種類。ビッグホーン以来の、ラダーフレーム構造を堅持した中見は骨太のSUVだった。