が、現状では、道路交通法のどこを見ても、「あおり運転罪」というのは存在していない。取り締まりにおいてもそのほとんどが、「車間距離不保持」や「車線変更違反」等の、いわゆる「あおり運転に通じる」違反を検挙しているだけだ。元々、「あおり運転」は一般的には「車間距離を詰めて異常接近したり、追い回す、幅寄せ、パッシング、警音器使用等によって相手を威嚇したり、嫌がらせをする等の行為」と言われているが、明確な定義があるわけではない。その理由は、もちろん、それを定義する法律がないからだ。
今回の事件でも、被疑者は「あおり運転」はしたものの、それが直接、死傷事故に結びついたわけではない。つまり、危険運転はしたかもしれないが、死傷者が出た時点では、この被疑者はハンドルを握ってはいないし、直接的に死傷事故を起こしたのは、とばっちりをくらったトラックの運転手だ。被疑者の弁護人もそこを主張しているのだ。もちろん、この被疑者のした行為は決して許されることでない。
冷静にその行為を分析してみると、被疑者の犯した罪は、明確に立証されれば「安全運転義務違反」、「車間距離不保持」、さらに高速道路上にクルマを駐めたことによる「駐停車違反」あるいは「高速自動車国道等運転者遵守事項違反」、「本線車道通行者妨害」など、すべてが適用されても免停がいいところ、にすぎない。そんなの甘いと思うだろうが、それが法律であり、そこは検察も十分、理解しているはずだ。
そこで、「危険運転致死傷罪」に加えて持ち出してきたのが「監禁致死傷罪」だ。しかも、なんと、これは裁判所からの要望でもあるという。たぶん、検察も裁判官も「危険運転致死傷罪」の適用は難しいかもしれないという認識を持っているのだろう。しかし、これは明らかに法律の拡大解釈であり、それは今後、国家権力の乱用にもつながる危険性を秘めている。一体、どういう判断がくだされるのか、これは全ドライバーにとって、決して他人事ではない。
いずれにしても、どんな判決が下されようと、今後、にわかに「あおり運転罪」の制定に関する論議がなされるのではないかと、当情報局は考えている。なぜなら、定義のない罪を裁くために今回のような苦し紛れな法律の拡大解釈がなされることは、法治国家としてできるだけ避けたい事実だからだ。ただし、「あおり運転」は、わかりやすい駐車違反や信号無視に比べて、証明のしにくい行為であるというのも事実。さらに、下手な定義がなされると「いいがかり」や「えん罪」が通用することにもなりかねない。思わぬところで前車がブレーキを踏んだので成り行きで車間が詰まったに過ぎないのに前車のドライバーに後方カメラの映像を盾に「後ろのクルマが車間を詰めてきた」と通報されることもありえる。自分の安全を確保するための道具であるドライブレコーダーが相手を陥れる凶器に変る可能性もあるということだ。
果たして今後、「あおり運転罪」の制定はありうるのか、その場合、どう定義されるのかを占う意味でも、今回の裁判は必見の価値、大いにあり。まずはその判決に注目したい。