カルロ・アバルトは、オーストリア・ウイーンに生まれる。子供の頃から非凡な才能を発揮。メカニズムに興味を持ち、錠前の分解・組み立てから電気製品のチューンナップまでやっていた。
自転車に興味を持ち始めると、競技で勝つことに熱中し始める。そして、自転車競技で優勝の味を体験。その後、自転車からモーターサイクルへ興味は移り、15歳で初めてエンジン付き二輪車を体験したことを機に、エンジニアリングとスピードの世界に魅了されていくこととなる。
エンジニアリングだけではなく、トップライダーとしても頭角を現すも、何度か見舞われたアクシデントによりライダーを引退。技術の世界に身を置くことを決心する。そして、第二次世界大戦後の49年、自らの名前を冠した小さな工場を構える。
ABARTH&C.は、10人ほどでスタート。だが、カルロ・アバルトの仕事ぶりと人柄に惚れ込んだ仲間たちが多数集り、その中には歴史に名を残す一流のレーシングドライバーもたくさんいた。レース活動では、アバルトの名を冠したマシンが勝ち星を並べていき、ヨーロッパの強豪チームの一員へとなっていく。
莫大な予算が必要となるレース活動のため、ABARTH&C.は、エンジンの吸気システムやエキゾーストシステム、シフトレバー改造キットといった一般車向けチューニングパーツを次々と開発・販売。さらに、自社製パーツを組み込んだクルマでレースに出場し勝利を収めることで、クルマ好きたちを刺激していった。
また、フィアット600やフィアット500をチューニングしたコンプリートカーを販売。格上のスポーツカーと堂々と張り合えるパフォーマンスもさることながら、ドライバーにスピードとスポーツドライビングの楽しさを提供。50年代終わりには、“チューンナップ”というカテゴリーを完全に確立する。
79年、カルロ・アバルトが逝去。その後、ABARTH&C.はフィアットに統合され、アバルトの名称は表にでることはなくなる。だが、カルロ・アバルトの薫酔を受けたスタッフたちは、強力なマシンを開発し続けていく。
80年代、世界ラリー選手権でランチアによる計7回のシリーズ制覇などは、アバルトならではの、スピードへの情熱と確固たるテクノロジーがあればこそ成し遂げられたものだった。
そして、2007年。カルロ・アバルトのスピードの情熱を伝えるためにか、アバルトは表舞台に戻ってくる。
五感に訴えかける極上の楽しみをもたらしてくれるチューンナップ
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