サイのマスコットをプリントしたタイヤカバーは大ヒット。特に海外で人気になり、当時ヨーロッパのどこかの国(たぶん、イギリスだった、とのこと)のジムニー・クラブが、その「サイ」のマークをクラブのマークにしたり、クラブ誌の表紙にしたりと、世界でひとり歩きを始めたのだ。現在では、世界中で、ジムニーのファンクラブが「リノ(RHINO)クラブ」と呼ばれるなど、ジムニーのマスコットとして愛されるようになったのだ。
難波治氏は、スズキの社内デザインを経て独立。独立後は、国内外の自動車メーカーのデザイン開発研究&コンサルタント業務を行ってきた。2008年に富士重工業(現・スバル)のデザイン部長に就任。13年にCED(Chief Executive Designer)就任。現在は、首都大学東京トランスポーテーションデザイン教授を務めている。
難波治著『スバルをデザインするということ』
難波さんが、スバルデザイン部長時代に、どうデザインを考えたか。デザインとブランドをどう構築していったかをまとめた著書。