TEXT:三浦祥兒(MIURA Shoji)
我が国には「AT限定免許」という摩訶不思議な制度があります。役所に喧嘩を売るわけではありませんが、「AT限定つったってMTも乗れるぜ」と言ったら、警察の方はどう思われるでしょう?
だって、乗れるんです。例えば日本で売っている中・小型のVW/アウディ車。それらは皆「MT」なのに、AT免許でレンタカー屋で借りられるんですから。up!にはAMT、ゴルフにはDSGという変速機が付いていますが、いずれも機構的にはマニュアルトランスミッションです。ただクラッチ操作と変速を機械がやるか、人間がやるか、という違いがあるだけです。屁理屈を重ねるなら、真性ATであるステップAT(遊星歯車式)だって「マニュアルモード」などという機能が付いていて、わざわざ手動でギヤを上げ下げできるようになっています。
技術的に現存の変速機を類別すれば以下の4種になります。
①平歯車系を使ったもの ②遊星歯車を使ったもの ③可変プーリーを使った無段型 ④ハイブリッド用の特殊型――現状の変速機を分類するなら以上の4つです。クラッチの有無・形式については「スターティングデバイス」の項がありますので、そちらをご覧ください。
これが世間で言うところのマニュアルトランスミッションの機構を代表するものです。
平歯車(その派生であるヘリカル=はすば歯車)1対の組み合わせを数種備え、それらを切り替えて変速します。原初はふたつの歯車を直接噛み合わせたり離したりしていましたが、相互の回転数が一致していないとギヤが噛まず、無理に入れると壊れてしまうため、現在では入力(エンジン側)軸の歯車と出力(タイヤ側)軸の歯車は常に噛み合っていて、歯車の内側にあるスプライン(切り欠き)に爪を押し込む方式になりました。故にこれを「平行軸常時噛合式」と呼びます。
すべての歯車が常時噛み合っているため、歯車と軸が固定されていると異なったギヤ列が干渉して動きません。当然ニュートラル状態を作れません。ですのでニュートラル時には一方の軸(大体入力側)の歯車は軸とは固定されておらずベアリング上で自由に回転します。発進にあたってギヤを1速に入れる操作をすると、シフトフォークというレバーが歯車と同軸上にあって軸と常時連れ回る「スリーブ」なる部品を1速のギヤ列の方向へスライドさせます。スリーブにはチャンファーという「爪」が付いていて、歯車内側のスリーブに差し込まれるような構造になっています。
停止時はよいのですが、動きながら変速しようとするとギヤ列によって回転速度が異なるのでスリーブとの回転差で爪が上手くスプラインに嵌まりません。そのためにシンクロナイザーコーン(シンクロ)という一種の多板クラッチがスリーブには付いていて、爪が嵌まる前にギヤ歯側面に押しつけて回転差を吸収するようにします。これが「同期」です。同期されるとスリーブとギヤ歯の回転数がほぼ同じになるので、爪はスプラインにすんなり収まるという仕組みです。
シンクロはレーシングカー用の変速機には付いていません。同期には幾許かの時間がかかるので、コンマ1秒を争うレースでは変速のたびにタイムを失ってしまうからです。ドライバーはアップシフトではクラッチすら踏まず、一瞬スロットルを閉じてエンジン回転が落ちた瞬間にギヤを入れ、ダウンシフトではヒール&トーでスロットルを煽って回転を合わせます。現在ではほとんどがセミATなので、機械が勝手に回転を合わせてくれます(アップ時は全開のまま点火カット)。
よくMTのシフトフィール云々と言われますが、シフトフィールの半分はシフトゲートの切り方とストローク量(シフトレバーの位置と長さ)、半分はシンクロが担っています。シンクロの素材は真鍮が多いのですが、カーボン製のものもあり、数の1枚から3枚くらいまで様々。形状も含めて同期のための摩擦力が微妙に違い、それが掌に伝わるのです。また、シンクロはギヤオイルにも影響を受けます。潤滑性を重視して極圧剤という摩擦軽減成分が多いものは、シンクロの摩擦をも軽減してしまうため、ギヤが入りにくくなったりします。シンクロを変えるのはハードルが高いですが、ギヤオイルなら簡単に変えられるので、シフトフィールに不満の方は複数のギヤオイルを試してみると良いかもしれません。ただし耐久性とはトレードオフになる可能性もあるので、自己責任ということで。
人間はギヤが入りにくい(回転が合っていないとシンクロ付きでも入りにくい)と、シフトを手加減しますが、AMTやDCTといった自動変速MTは速度優先でギヤを入れようとするので、シンクロには大変厳しい機構だと某サプライヤーから伺ったことがあります。
先ほど歯車が取り付く軸は入力と出力の2軸と書きました。後輪駆動用は100%2軸式ですが、エンジン横置きの前輪駆動では、エンジンの前後長とエンジンコンパートメント幅の間で制約を受けるため、変速機はなるべく短く作る必要があります。ですので、FF用では3軸にしてその分長さを縮めたものも存在します。
自動変速のMTのうち、AMTと呼ばれる方式は常時噛合式変速機のクラッチとシフトフォークを単に機械作動に置き換えたものですが、DCT(ツインクラッチ式)はちょっと構造が異なります。
DCTでは6段変速の場合、1・3・5という奇数段と、2・3・6という偶数段は中空軸を使った別軸配置になっており、それぞれにクラッチが付いています。例えば1速走行時には偶数段のクラッチは切られていて、予め次に使われるはずの2速の歯車は嵌合されています。変速の信号(操作)が出るとギヤを切り替えるのではなくクラッチを奇数段から偶数段に切り替えて変速を完了します。ですからアップシフトについてはシンクロの有無を問わずタイムラグがほとんどありません。ダウンシフトでは実際のギヤ切替が指令後に行われるのでロスは出ますが、エンジンをブリッピングして回転を合わせるためドライバーがロスを感じることはまずありません。この変速スピードの速さこそがDCTのメリットでありますが、その元祖であるVWのDSGは、その目的で生まれたものではないのです。
日本や北米と違って、欧州ではATの需要が少なく、特に小型車用のATは製造メーカーが限られます。一時ZF社が4HPシリーズという小型FF用のATを製造していましたが、ZFはその製造設備ごとPSAとルノーに売ってしまい、ドイツ車はFFに使えるATがなくなってしまいました。困ったのはFF車ばかりのVWです。自社ではATを作るノウハウがないし、横置きAT大手のアイシンから全量買っていては利益が減る。けれど今後輸出用にAT需要はますます増えるし、燃費規制が厳しくなるとドライバーの技量に左右されるMTは不利になる。自社のMT生産設備を使ってなんとかATができないものか――という考えの下に、一種の身内であるポルシェが過去にレース用として開発したPDKというシステムを乗用車用に改良を重ねて実用化した、というわけです。
これは想像の域を出ませんが、VWが遊星歯車式のステップATを選ばなかったのは、効率の問題もあると思われます。平歯車の噛合ではふたつのギヤ間だけに摺動抵抗と滑りが発生し、他のギヤはフリーになっています。対して遊星ギヤは最低でも5つの歯車が常に噛み合っている上、わずかですがクラッチ&ブレーキによる引き摺り抵抗もあります。ですから平歯車式の伝達効率が97~98%くらいなのに対し、遊星歯車式は最良でも95%以下と言われています。21世紀初頭に既にCO2排出量規制の厳格化とそれに付随するペナルティが規定されていた欧州メーカーがこの僅かな効率差を見逃すとは思えません。
DCTは変速機よりクラッチにその技術的焦点があるので、ボルグワーナーやシェフラーといったクラッチメーカーがパテントを押さえています。ですから他メーカーやサプライヤーはおいそれと手が出せませんし、買うとなっても当然高価です。歯車機構も普通のMTそのままというわけにはいきません。そこでフランスやイタリアといった小型車に特化した国のメーカーは、AMTにシフトするようになりました。日本人はAMTをいろいろ揶揄しますが、彼の地ではクルマはあくまで道具なのでツベコベ言わないのでしょう。また、ランボルギーニでは親会社のVW・アウディがDSGを持っているのにもかかわらず、AMTに固執しています。ショックさえ気にしなければAMTの方が変速を速くできて信頼性も保てるからだと想像します。
調査会社のリポートを読むと、今後も世界全体でのMT車比率は50%台で推移し、増える可能性さえあるとあります。中国のみならず自動車の需要が増えるのは新興国ですが、そうした国では高価で信頼性に疑問符のあるATは受け入れられにくいのかもしれません。EVの普及と合わせて確実なことは分かりませんが、平行軸常時噛合式はクラッチペダルと一緒にしばらく生き残りそうな様子です。