「中国でクルマを自分で運転したい!」となれば、運転免許、すなわちドライバーライセンスを取得しないと! そう思った自動車ジャーナリストの髙橋一平氏が、中国で四苦八苦して運転免許を取るまでの実体験記。中国で免許を取ってみたい人、中国の自動車事情が知りたい人、ぜひぜひ参考にしてみてください! さて、第一回、舞台は大連です。なぜか空母も出てきます。

それは、あるテストドライバー氏から伺った話に始まります。同氏は業界では知る人ぞ知る大ベテラン。近年、中国での自動車開発にも関わっておられて、頻繁に中国へ足を運び、テストドライブを通して“あるもの”の仕上げを担当されております(この“あるもの”が何かを言ってしまうと、名前を伏せている意味がなくなりますので…)。氏によるテストドライブは開発用のクローズドコース内のみ。開発に関わっているのは市販車(もしくは市販を前提とした開発)とのことで、当然市街地での試験も行なうとのことなのですが、この時は現地の(メーカーの)人間に運転で、同氏は助手席に座って評価するというのです。




確かに同氏は助手席であっても的確な評価ができるほどの方ではあります。とはいえ、テストドライバーが助手席とは、なんとも回りくどいではありませんか。そして、どうしてこのようなことになっているのかというところから、今回のテーマにつながります。

そう、「中国で自動車運転免許を取ろう!!」です。

僕がよく訪れているのは中国の大連。かつての満州国の玄関口とも言われた場所です。写真はその顔のひとつである大連駅。基本的に大連の街は日本の統治下で形成されたもので、その中心的存在であった大連駅もご覧の通り上野駅にそっくりの造り。本家の上野駅では廃止された二階につける車寄せなどもそのままです。中国の他の都市と同様に、再開発も活発に進められている大連ですが、一方でこうした古くからの建物も大事に使われ続けています。満州国の時代には大連駅からベルリン駅行きの切符が買えたといいます。スケールの大きい話です。

大連市街地の大渋滞。年々クルマの数が増えているうえ、北京や上海などのような第一線級の大都市で行なわれている、都市中心部に乗り入れることできる車両をナンバープレート末尾の数字で制限するような制度がまだ導入されていないということもあって、こうした状況は慢性的なものとなっています。

さて、前述のテストドライバー氏が助手席に甘んじていた理由ですが、それは中国の免許制度にあります。そして、


もっと正確にいうのであれば、話は運転免許証に関わるジュネーブ条約という国際条約に行き着きます。




テストドライバー氏のくだりで「なんで? 国際免許は?」と疑問が浮かんだ方もおられると思います。その疑問の答えこそがここにあります。 実は、中華人民共和国はこのジュネーブ条約に参加しておらず、日本の国際免許が通用しないのです。




ちなみに、ジュネーブ条約と聞いて「赤十字?」とアカデミック(?)な方向に思考回路が一瞬シフトした方は、きっと学生時代真面目に勉強されていた人でしょう。




確かにジュネーブ条約といえば世界史の教科書にも出てきます。1864年、かつての国際連盟(現在の国際連合とは異なる)の赤十字条約とも呼ばれるものに始まる、戦争犠牲者の保護や捕虜の待遇などに関わるそれが、一般的にはジュネーブ条約として有名ですが、ここで言うジュネーブ条約は道路交通に関するもので、1949年その名の通りジュネーブで行なわれた国際会議で採択されたもの(1952年より発効)。日本は1964年からこれに参加、これ以降日本で発行された国際免許が条約加盟国において使えるようになっています。

こちらが大連の運転免許試験場。とにかくその巨大さに圧倒されます。その内部の様子は次回にて。手前右側の見慣れないSUVは長城汽車という中国メーカーが手がける「HAVAL」というプレミアムブランドの「哈弗H9」と呼ばれるモデル。実はシルベスター・スタローン主演のアクション映画「エクスペンダブルズ2」にも登場していたりします。

前置きが長くなりましたが、このような事情があって、我々日本人が中国の公道上で自動車を運転するには、中国の運転免許証を取得する以外に方法がないのです。




僕は家庭環境の関係から「義理の(…in law)」という前置詞のつく親戚が中国に大勢おります。それゆえに中国には頻繁に渡っているもので、日本の国際免許が通用しないことなどは冒頭のテストドライバー氏にお話を伺う以前から知ってはおりました。もちろん、普段からこうして自動車関係の文章書きを仕事としていますので、中国での運転にまったく興味がなかったわけでもありません。




なにしろ、どこかで(日本で)見たことがあるようで、でもどこかが微妙に異なるデザインで、でもボンネットを開けると高確率で三菱系のエンジンがあらわれるという、中国メーカーのクルマ、日本車でありながら日本国内では未発売の中国・アジア向け仕様車の数々、果てはバイクのような単気筒サウンドを響かせながら走る怪しげな三輪自動車など、中国の路上は興味深いもので溢れています。他にもダイハツのシャレードや、フォルクスワーゲンのサンタナ(こちらは主にタクシー仕様)などといった、日本では今や懐かしい部類のクルマが数多く現役で活躍していると思えば、ベンツ、BMW、アウディの最新世代モデルの数も数割には及ぶでしょうし、さらにはそこに少数ながらもフェラーリやランボルギーニまでも加わるという、例えるならば日本の1980年代から現代に至るまでの時間軸がごちゃ混ぜになったかのような、まるでSFのパラレルワールドのような面白さがそこにはあります。




ところがです、皆さんもニュースなどで伝え聞いていると思いますが、その道路事情は劣悪。道路の舗装がガタガタで、穴があいていることも珍しくないということもちろんなのですが、それ以上に深刻なのがクルマの数と、運転マナーの悪さです。その秩序なき圧倒的な数が生み出すのは、まさに“カオス”。もはや“戦場”と呼んでもいいくらい。日本でもかつて“交通戦争”と形容された時代もありましたが、中国のそれは比喩というにはあまりにガチ。職業柄、クルマの運転に関してであれば多少の困難は許容できるつもりですが、その僕をもってしても“引く”レベルです。




もちろん、広大な中国ですから地方差も少なからずあるわけで、僕がここでお話しするのは前述の事情から頻繁に行っている中国東北部の都市、大連の事情が中心となるのですが、舗装の状態以外のカオスな状況は、それなりの都市でほぼ共通となっているものです。なお、北京や上海などではすでに一度このカオスが“臨界”を迎え、都市部への車両流入制限(ナンバー末尾の数字の指定など)が行なわれるようになっていますが、大連のような地方都市ではまだそういった規制は入っていません(2017年10月現在)。

夕方の帰宅ラッシュ時の渋滞。写真はビジネス街ということもあって、視野に映るクルマのほとんどは日本車かドイツ車で、純粋な中国の国産車の姿は見えません。

ともあれ、中国語もロクに話せないのに、あのカオスの中に飛び込んで事故などに巻き込まれた日には……と少し想像を巡らせるだけでモチベーションは下がるばかり。そんなわけで、中国で運転免許を取得しようとする気になかなか繋がらなかったのですが、冒頭のテストドライバー氏のひとことを聞いて、中国での運転についてみなさん(特に僕と同業にあたるメディア関係の方々)どのようにしているのか調べてみると、やはりみなさん試乗はテストコースで、公道は助手席に同乗というかたちで、中国で運転免許を取得してという方はほとんどおられない様子。近年では一般企業にお勤めの方々も中国駐在の機会が増えているようですが、こちらも免許取得はごく少数、前述のような交通事情を背景に、なかには会社から運転禁止の指示が出ているところもあるようです。




そんななか、インターネット検索でヒットした数少ない、中国での運転免許取得の前例として目を引いたのが、モータージャーナリストとして有名な中谷明彦さんの体験記。同業(というのはおこがましいのですが)ではこの方をおいて他にはお目にかかることができなかったわけですが、この体験記によれば、中国では道路交通法規に対する考え方や姿勢が日本とは若干異なるうえ、日本人が受験することになる日本語版の試験において意味不明な訳が多く、日本人が中国で運転免許の取得する道は平坦とは言い難いとのこと。




「普段から中国語ナイズされた日本語(?)にさらされている僕ならばこれはイケるのでは?」



デパートなどが立ち並ぶ西安路と呼ばれる大通りのひとコマ。なんと路上でクルマの板金修理らしき作業が行なわれている様子。手前には業者(といっても作業着ではなく普段着)と顧客とおぼしきオバさんの姿が。時には観光バスですらこのように路上で修理していたりする光景も(しかもエンジン載せ替えのような重整備まで!!)。

中谷氏の体験記を読んだ僕は、こう思うと同時にチャレンジへの野心(?)が湧き、次の瞬間これまでの“負の”モチベーションが吹き飛んでいました。これからは、中国でニューモデルのワールドプレミアという機会も加速的に増えるはず、自動車メディアに関わる者として中国の運転免許は必須ぅ!! 乗り遅れちゃイカン!!(?) とばかりに、さっそく中国の身内に「中国で運転免許を取るにはどうしたらいい?」と相談してみると、「30日のビザがあれば良いらしいよ」との返事。即、中国大使館に申請して30日のビザを取得しました。2016年夏のことです。(※現在、中国のビザ申請はビザセンターで受け付けられるようになっています)




そう、実は日本人が中国で運転免許を取得するためには、一定期間以上のビザが必要となるため、現実的には会社で長期間赴任する方か、親族が中国におられる方に限られます。これが、中国での運転免許取得において最初のハードルとなる部分で、前例の数が限られているのはこれによるところが大きいと思います。




しかし、30日のビザを片手に「いざ行かん!!」とばかりに中国は大連の地を踏んだ僕でしたが、いざ現地で受験の手続きを進めようとしたところ、そこには手痛い洗礼が待っていました。

「30日じゃダメだって!90日以上じゃないと…」

さきほどの板金修理が行なわれていた西安路。ご覧のようにマイカルなどの外資系デパートなどが立ち並ぶ立派な街並みです。

日産自動車と中国の東風汽車(“汽車(チーチャ)”は中国語で自動車のこと)の合弁会社で製造されているラニア。中国専用ゆえに日本では目にすることのできないモデルだが、ご覧のようになかなかスタイリッシュ。中国語で“藍鳥”と書くこのモデル名の意味は“青い鳥”つまり、日産往年の名車ブルーバードの名そのもの。トランスミッションはCVTで、バルブボディには日本電産製のリニアソレノイドが組み込まれるが、精密部品であるこのリニアソレノイドも同社の中国工場で生産されています。

「30日じゃダメだって!90日以上じゃないと…」




さすがです、このユルさ、身内であっても容赦ありません(笑)… 基本的に「ほう・れん・そう(報告、連絡、相談)」が今ひとつな雰囲気は、もはや彼らのお家芸ともいえるものですから。結局、2016年夏の訪中はこうして楽しい観光旅行(?)になってしまったわけで、さすがに即出直しというわけにもいかず。一年の時を経て再チャレンジ。今度は90日以上のビザ(具体的には親族訪問で90日間のシングルビザ)を取得、ようやくスタートラインに立つことができました。ところがやはり、その先には驚きの、というか、なかなか興味深くも味わい深い(?)世界が広がっていたのです。


(その2へ続く)

大連港で艤装作業が進められている中国の純国産空母。中国の空母といえば旧ウクライナから買い取った「ワリャーグ」を復元改装した「遼寧」が有名ですが、この建造中の新空母はこれに続くもの。艦首のスロープから、カタパルト技術の導入には至っていないことが窺えます。造船業も盛んな大連港は、かつて“不凍港”を求めるロシアにより支配されていた時期もありました。

大連駅前の駐車場。背後には高層ビルが立ち並ぶ。大都市の常ともいえる高層ビル開発ですが、大連は頑丈な岩盤の上に位置するという地震が少ない環境もあって特に盛んです。駐車場は当然ながら満車を通り越して通路にも勝手にクルマが停められている状態。街中はどこへいってもこの調子でクルマが溢れています。

大連中心部の路地裏で見かけたひとコマ。歩道上にクルマが平気で停められています。勝手にやらかした感たっぷりですが、実は管理されていて料金が徴収されていたりします。それが正式なものなのか、いわゆる“モグリ”なのかはわかりませんが… 怪しげなのは確かです。

90日間の滞在ビザ。これでようやく免許取得のスタートラインに立つことができたわけです。日本で運転免許を持っていれば、実技試験は免除され学科試験のみで免許が取得できるという、いわゆる“外国人枠”が用意されているわけですが、色々と調べてみると日本人が運転免許の試験を受けて一発で通るのはなかなか難しいとのこと。気になる顛末は次回にて。

情報提供元: MotorFan
記事名:「 中国で自動車運転免許を取ろう!!「えええっ!30日ビザじゃダメなの?」(その1)