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春と秋の年に二回、太陽が真東から昇り真西に沈んで昼と夜の時間がほぼ等しくなる日。宇宙の営みが厳粛に行われていることを感じられる日とも言えましょう。何時の頃からか人々は太陽の沈む真西に極楽浄土があると信じ、この日に亡くなられた方々やご先祖様を思い供養をするようになりました。それは今も変わらず私たちの生活と心の中に生きています。
≪人は灯をかこみて後の彼岸かな≫ 三田きえ子
長くつながる命の不思議さに心がホッと和むときでもあります。この日にいただきたいのはやはりおはぎ。お供えをした後にみんなで頂くのが楽しみだった方も多いのではありませんか?
≪飲食てふはづかしきもの秋彼岸≫ 宮田カイ子
もち米がたっぷり混ぜてあるごはんを炊くときに立ちのぼる甘い匂いは、おはぎを作る日の思い出の匂いになっています。炊きたての熱いうちに軽くついて丸めて小豆あんで包みます。小さく作ったつもりでも大きくなってしまうのが手作りのあかしでしょうか。一つ食べればお腹いっぱいになるおはぎですが、大勢で一緒に食べるとついきな粉やすり胡麻も捨てがたく手がのびてしまいます。お彼岸はあれやこれやとみんなでお祭り気分になって楽しめる、そんなゆったり感が秋口にあるのもまたいいですね。
「曼珠沙華」この漢字の雰囲気、またお彼岸の頃に咲くことから仏教に関係するお花なのでは? と想像がはたらきます。もともとはインドのサンスクリット語「マンジュシャカ」の音を当てたもので仏教経典『法華経』の始まりにあるそうです。
「蔓陀羅華・摩訶曼陀羅華・蔓殊沙華・摩訶蔓殊沙華」
「摩訶」とは「大きい」「多くの」または「素晴らしい」という意味だそうです。お釈迦様が悟りを開こうと修行する多くの者たちに教えを説かれたとき、天は「蔓陀羅華」や「曼珠沙華」など素晴らしい四種の花を降らせた、ということのようです。天界の花を見る者はおのずから悪業を離れる、とされていたそうでまさに浄めの花といえましょう。
≪曼珠沙華白は文殊の知恵の彩≫ 長野澄恵
植物としての「曼珠沙華」は中国が原産だそうです。仏教がインドから中国に伝わっていった過程で仏典の「曼珠沙華」と植物の「曼珠沙華」が一つになっていったのでは、との思いが頭をよぎります。
お釈迦様の時代に天が降らせた「曼珠沙華」はどんな花だったのでしょうか。燃えるような真っ赤? それとも純白? 仏教の法要のときに撒かれる散華などを思い浮かべると、悟りを得るための仏道修行にも何か明るい華やぎが感じられ、幸せへの道筋を示すものに見えてくるのは不思議です。
参考:
科学技術研究所 かぎけん花図鑑
朱色の勝った鮮やかな赤が秋の空に映える「曼珠沙華」はお彼岸の頃に咲くことから「彼岸花」としてすっかり定着しています。真っすぐに生えた茎の先端に咲く花はふんわりと丸まるように花びらが付き、花びらを包むように雄蕊が長く伸びて大変個性的な形をしています。
≪曼珠沙華落暉も蕊をひろげけり≫ 中村草田男
「曼珠沙華」は花が咲いているときには葉がつかない、という特徴があるため赤い花の色がたいへん際立ちます。河原や道に沿って連なり咲くようすは、ふるさとの懐かしい思い出につながっているのではないでしょうか。最近は「曼珠沙華」の群生を作り出し楽しませてくれる施設が各地に造られ、気軽に足を運べるようになりました。
≪曼珠沙華天与の時はあかあかと≫ 乾燕子
一面の野原をおおい隠すように咲く「曼珠沙華」の中に身を置くと、ただただ花の赤に圧倒されるばかりですが、立ちすくみながらも秋へと季節のうつろいを感じる喜びが湧いてきます。今年は長引く残暑から開花が大変遅れているようす。お彼岸には間に合わない場所も多く見頃はこれからということです。秋の行楽の一つに加えてはいかがでしょう。
参考:
大谷大学[曼珠沙華]