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花に見守られて始まる新しい一歩は、春の陽気とともに気分がよいものです。桜の花と入学式は一つとなって日本人の心に染みわたっている景色ではないでしょうか。
学校でも企業でもなぜ、日本では四月が始まりの月なのか、と疑問に思われる方も多いと思います。さまざまな説があるようですが、やはり一番は日本がお米を基本とした国だからと言えそうです。その昔、日本ではお米の収穫が税収となって国家の運営がなされました。お米が現金となり予算編成を経て始動開始となるタイミング、それが四月だったようです。
また一つには、明治時代は西洋に追いつくために軍事力の増強にも力を入れていきました。それにより予算のやりくりには相当苦労したようです。後に入って来る収入を当てにして今使ってしまう、というのは私たちにも理解できますね。当時の大蔵大臣だった大蔵卿、松方正義が采配をふるい予算のつじつまを合わせた結果、四月が会計年度の始まりとなったというのも一説です。
どちらも成る程と思える話です。何とか日本を西洋と並ぶ国へと意気込み奮闘する松方正義の苦労話には、人間味も感じられ興味深く感じられます。
学校の四月始まりは、かつて文部省の下で学校制度が整っていく中に紆余曲折ありながらも、国の会計年度に合わせた形になっていったようです。
桜の咲くよい季節だから、という理由は見つかりませんでしたが、偶然とはいえ春のこの時季に新しい道へと進めるのは自然からの応援を貰っているようで気持ちのよいものではありませんか。
参考:GOODCROSS
<日本の年度はなぜ4月始まりなのか?>
南の国で過ごしていたツバメたちが戻ってきます。戻ってくるツバメは日本生まれの日本育ち、だから「お帰りなさい」と挨拶をしましょうか。黒い背中と白いお腹、二つに切れ込みの入った尾が燕尾服の名前の由来にもなっています。
空を飛ぶようすはなめらかで素早く、背中を翻しての方向転換は独特で「燕返し」という言葉にもなっています。
「絶海の孤島に浮力つばめ来る」 桑原三郎
「燕や何を忘れて中がへり」 中川乙由
ツバメの巣作りは家が栄えるといって、昔から歓迎されてきました。楕円形の巣を軒下に作り、はみ出さんばかりの雛が小さな口を開けて餌を待っている姿は、なんとも微笑ましいものです。ツバメの子育ては番で協力し合うといいます。家族の結束は力強いものですね。
「来ることの嬉しき燕きたりけり」 石田郷子
「燕来る日なり日差しも吹く風も」 金子加寿夫
環境の変化によってこの姿もなかなか見ることが難しくなっています。秋に南へと向かう日まで十分に大きく成長して欲しいものです。
春を表すことばに「駘蕩」があります。「駘」とは馬がくつわをはずしたようすを、「蕩」はゆったりとゆれるさまを表したものです。ここから「駘蕩」はのびのびとしたようす、春の情景ののんびりとしたさまを表します。よく春風と合わせ「春風駘蕩」として使われ、春の温かさとおおらかさを表現します。
一方で、この時季にお天気がぐずつくこともあり、降り続く長雨を「春霖(しゅんりん)」、降ったり止んだりする雨は「春時雨」と名前をつけています。春の雨は「濡れていこう」とも言えるくらい冬の雨ほど冷たくなく煙るような細かな雨がふります。この雨がやがてお米をはじめとしたさまざまな植物を育み、成長へと導いていきます。
四月も終わり近くなった頃、突然の寒さに見まわれることがあります。霜のことなどすっかり忘れた頃に降りる霜を「忘れ霜」といい、晩春に降りる最後の霜ということで「別れ霜」とも言われます。これは成長を始めた作物には大きく影響を与えますので農家の方々にとっては注意が必要です。初夏への扉を開くまでは、のんびりと春を楽しんでばかりではいけない、という戒めかもしれません。
四月は大きな変化の時。駘蕩とした中にある雨や霜を乗り越えれば、いよいよ立春から数えて八十八日目、八十八夜はもうすぐとなります。