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真冬や早春、花もとぼしい寂しい田圃の畔や畑の縁、人家の庭先などに、枯れ藪めいた株の枝いっぱいに、緋色、あるいは濃紅(こきべに)色も鮮やかな、梅に似た五弁花が薫り高く咲いているのを見かけたことはありませんか?それがボケ(木瓜)の花です。
ボケ(Chaenomeles speciosa)は、漢字で「瓜」とつくもののウリの仲間ではなく、バラ科ボケ属の落葉低木。地面付近から盛んに分枝して密度の高い株立ちをし、高さは成長しても2メートル程度と大きくならないために、庭や庭園の彩りとして盛んに植栽されています。
中国原産で、平安中期の生薬事典である『本草和名』(深根輔仁 918年)に「木瓜」として初出することから、この頃には既に渡来していたことがわかっています。ただし、中国では木瓜といえば近縁のバラ科のカリンのこと。種名が間違って伝来したようです。中国ではボケのことは「皱皮木瓜」(または貼梗海棠)と呼びます。皱とは皺(しわ)の異字体。ボケの実のごつごつと皺のあるいびつな丸い実をあらわしています。『本草和名』では、
和名毛介
とあり、中国名木瓜の音読み「もっこう」から転じて当時は「もけ/もっけ」と呼ばれていたようです。以来日本で200種を優に超えるさまざまな園芸品種が作出され、花弁は一重、半八重、八重、花色は桃色、白、濃紅、朱、絞り、紅白咲きなど多彩です。真冬にも咲き継ぐ大輪深紅のヨドボケ、早春の可憐な緋色のヒボケや桃色と白が混じりあって何とも愛らしいサラサボケ、花と葉の萌出が同期してツツジを連想させる春ボケなど、時期や印象も多彩です。
花期には株全体に花が密生し、思わず近づいて触ってみたくなりますが花や枝にさわる際はご注意を。枝にはバラよりも長く鋭い棘があります。
また、中国渡来ではなく日本の在来野生種として、サクラの花の咲く3月下旬から4月にかけてオレンジ色の花を咲かせ、関東以西の明るい草原や雑木林などに自生するのがクサボケ(草木瓜 Chaenomeles japonica)。「草」とはつくものの木本であり、きわめて小型で樹高60cm以下、たいていは30cmくらいで、下生えの草のように見えることから名付けられました。
中国産ボケのように枝分かれして株になるようなことはなく、その姿は誰かがイタズラで地面に花の付いた枝を刺したよう。愛らしく、春の野の温かい花としてほっこりさせてくれます。
「地梨」という別名もあるとおり、秋には地面すれすれの低さに梨状の実をつけます。実はクエン酸やリンゴ酸などの有機酸を豊富に含むため「酸っぱい実」を意味する「しどみ(樝)」という古語でも知られます。
ボケはカリン酒で有名なカリン(現在は一種でカリン属を形成しますが、かつてはボケ属でした)の実が、マルメロ(英名:quince)と似て楕円形でやや長く、これをウリに見立てて「木に成る瓜」=木瓜と呼ばれたものが、転移してしまったわけですが、ボケやクサボケの実はウリっぽくはなく、むしろナシに近いものです。カリンの英名は Chinese quince=中国のマルメロで、対してボケは、中国原産にも関わらずJapanese quinceと言われます。ボケに先立ち、ヨーロッパに紹介されてその名で呼ばれていたクサボケと同種と思われたためです。
さらにややこしいことに、日本の家紋・文様として有名な「木瓜紋(もっこうもん)」にデザインされた「木瓜」の花らしき形の花弁は四弁で、ウリの花やバラ科の五弁とは違います。これは、実在の花というよりも唐花と呼ばれる極度に様式化されたものからですが、日本では後に織田信長が家紋として用いることになる五弁となった五瓜紋が発生します。
木瓜紋は王朝時代に貴族たちが用いた伝統的な意匠「有職(ゆうそく)文様」が家紋に転じたもので、部屋を仕切る長押(なげし)の下から垂れる御簾(みす)や帳の上部に固定された短い飾りドレープ「帽額(もこう)」にこの文様が多く用いられたことから、同じ音の「木瓜」に転じたという説があり、やや眉唾気味ではあるものの、一応なぜ瓜とは似つかない文様がそう呼ばれていたのかの説明はつきそうです。
この文様は、実は花ではなく大鳥(鳳凰、または白鳥)の地上の巣である窠(か)を上から見た様子を図案化したもので、花のように見えるのは卵もしくは雛であるという説もあります。卵や雛にはどうも見えないのですが、木瓜紋には子宝や子孫繁栄を約束する呪力があるという信仰があるので、あながちこじつけではないかもしれません。
そしてこの木瓜紋を採用している有名な神社と言えば、京都の祇園祭の主役である八坂神社です(四弁ではなく五弁の五瓜紋です)。主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)こと牛頭天王です。当コラムでも何度か言及したとおり、素戔嗚尊は八王子をもうける子だくさん。そして蘇民将来伝説を通じて、疫病除け、子孫繁栄の御利益が得られる神様です。
その神紋の「木瓜」は、音読みすればもっこう/ぼっこう/ぼっかですが、訓読みすると「きうり」です。ここから、木瓜紋はキュウリを輪切りにした時の切り口の模様であるという見立てが生まれました。「神紋を食べるとは畏れ多い」と、祇園祭のある7月には氏子と関係者はキュウリを口にしない、という話はあまりに有名ですよね。実際にキュウリを食べない理由や由縁は何なのかは神紋とは関係ないともされますが、八坂神社、あるいはスサノオ信仰とキュウリが関係深いことは間違いないことです。
キュウリといえば、「河童の大好物」として有名で、寿司屋で「カッパ」はキュウリのことという符丁もあるとおりです。
筑後国(現在の福岡県南部)の一の宮として知られる高良(こうら)大社もまた、神紋は木瓜紋。祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)という謎の神。ですが高良は河童の背負う甲羅に通じ、そして末社には水分(みくまり)社があるように、水神信仰の神であることが濃厚です。水神は、全国各所の水天宮を例にしてもわかるとおり、安産子育ての神である子安神(こやすがみ)と習合されています。羊水の中で育つ胎児は「水子」と呼ばれ、それは水神と結びつくからです。安産や子の健康祈念とともに、貧困などの事情から間引きされた水子を供養するのが水神社であり子安神社でした。さらに、水の中で生きる嬰児(みどりご)のイメージは、緑色の幼児の姿を取ることの多い河童ともオーバーラップします。
ですから、水神を祀る神社は子供の命を守る「子の神」であり、水を張った水田で育つ稲を守る「田の神」であり、水田に水をもたらす「川の神」でもあったのです。
カリンとボケの取り違えから発生し、やがて文様を通じてキュウリに転移し、キュウリから水神・子安神へと移っていった「木瓜」という名前。今、その名をいただく「ボケ」の花が、田の神が目覚めて生命の活動がはじまるこの時期に鮮やかに咲くということ、そして「ボケ酒」が様々な効能の知られる薬用酒として重宝されてきたことは、単なる偶然ではなく、古から受け継ぐ人の生き物としての直感がもたらす「必然」なのではないでしょうか。
(参考・参照)
植物の世界 朝日新聞社
薬草カラー図鑑 小林正夫 講談社
本草和名 上,下巻 / 深江輔仁 [著]
ご由緒 - 筑後国一の宮 高良大社:公式ウエブ