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二月から続く寒さはそう簡単には去ってはくれません。大地の息遣いが聞こえ始めるのは初春も後半の「雨水」あたりです。地上に発した陽気が雪や氷をとかし始め、土が脉(みゃく)打つように動き出します。「春泥(しゅんでい)」といえば耳に優しく聞こえますが、雪解けでぬかるんだ春の泥は、跳ねたり靴について重かったりと舗装が進む以前には難儀なものでした。
大地の水がゆるやかに流れ始めれば、水蒸気は空へのぼり霞となってたなびきます。春の風情を作りだしていくのは、やはり水の豊かさでしょう。水分をたっぷりと含んだ空気は、万物を成長させる恵み風「恵風」となり、木々を芽吹かせます。見まわしてみましょう。明るい光を放って花開いている梅の木を見つけられるのではありませんか。これもきっと「恵風」のしわざです。この風に誘われて新芽の吹く頃が「木の芽時(このめどき)」、早春の生き活きとした波動を作り出します。
三月に辿り着くまでには、すこしずつ冬が形を変えていっていることがわかります。さあ、草木が萌え出で動きはじめました。三月、弥生です。
三月の華やぎはなんといっても桃の節句。「雛祭り」を祝うと一気に春がやって来たと感じるようになります。そして迎える「啓蟄(けいちつ)」は土の中で冬籠もりしていた虫たちが、春のあたたかい気配を感知して這い出してくるという日です。虫、というのは昆虫類ばかりでなく小さな生きもの全体をさし、蛇や蛙やトカゲなども含まれるそうです。虫にはイメージが豊富に湧いてくるようです。俳人たちの句作をのぞいてみましょう。
「けっこうな御世とや蛇も穴を出る」 小林一茶
「蛇穴を痩せおとろひて出でにけり」 本井英
「ひょいと穴からとかげかよ」 種田山頭火
「蛇穴を出る」が春の季語になっています。蛇やトカゲに出くわした瞬間に「冬は終わったぞ!」と感じたのでしょう、驚きが喜びとなったようすがおおらかに描写されています。自由律で作句する山頭火の句は正に叫び、ユーモアたっぷりな臨場感にあふれています。
自然の中で虫たち、動物たちが動き出せば春は一気に進みます。
奈良の東大寺では3月12日の深夜(13日の午前1時半頃)に恒例の修二会の行のひとつ「お水取り」が行われます。回廊で振りまわす大きな松明の火の粉を浴びれば一年の厄除けとなり、この時に汲まれた水、御香水(おこうずい)を飲めば万病が治るといわれています。関西ではお水取りが終わらなければあたたかさはやってこない、と皆の口にのぼるとか。春を告げる行事といわれるゆえんですね。
蕨(わらび)、ゼンマイ、独活(うど)、タラの芽、と盛りだくさんの山菜が出そろうのもこの時季。特に早春の蕨は「早蕨(さわらび)」といい、春をさきがける象徴として『万葉集』にも詠われています。
「石走る(いはばしる) 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」
志貴皇子(しきのみこ)
豊かな雪解けの水、吹き出す若い緑の芽、春の生き生きとした情景が素直に歌となっています。新たな季節との出会いの喜びが時代を越えて心に響きます。
三月、弥生。めぐり会う新しい季節はもう目の前です。春を楽しむ心の準備そして身体の準備、もうできていますか。寒かった今年の冬から春へ、さあ一歩を踏み出しましょう。
参考:
『新編日本古典文学全集』小学館
『角川俳句大歳時記』角川学芸出版