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雪がとけだし大地が水を含んで潤うようすを脈打つようだ、と表現しているのが初候「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」です。とけ出した雪や氷が作るぬかるみに春の近いことを喜ぶも、泥が跳ねて靴やズボン、コートが汚れないかと気づかいながら歩く道が難儀だったことを思い出します。道路がほとんど舗装されている今、なかなかできない経験ですが、雪解けの水とともに泥が匂うと土の息吹を感じます。そして雪の消えかかった間から伸びている草花を見つけると格別の愛おしさがわいてきます。
「春日野の雪間を分けて生ひ出でくる草のはつかに見えし君はも」 壬生忠岑
古今和歌集のこんな歌が思い出されました。残り雪の間をおし分けて生えてくる、ほんのわずかしか見えない若草に感じた初々しさ。作者が恋心をささげるのは雪間の若草のようなあなたです。
じっと動きを止めていた大地の目覚めは水の動きとともに始まります。街の中でしたら身近にある公園の植え込みや街路樹の根元に注意をはらってみて下さい。水が静かに動きだしているのを感じられるかもしれませんよ。
次候は「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」です。温かい空気が流れ込み冷えた大地とぶつかるからでしょう、朝霞、昼霞、夕霞、薄霞、花霞、遠霞、霞の海と時間や情景によって多彩に形容されてきました。微少な水滴が空気中に浮遊している状態ですが、この自然現象は気象用語では真っ直ぐ1㎞以上先が見える場合は「靄」、見えない場合が「霧」といわれています。万葉集の昔から日本の詩歌では春の訪れとともに霞に包まれる自然が詠まれてきました。また平安時代以降は霞は春とし、対して秋は霧と呼び分けられてきたようです。
湿潤な日本の気候の中で水蒸気のもつ肌合いのちがいを微妙に感じて表現を変えてきたのでしょう。「霞」は夜になると呼び方が変わり「朧(おぼろ)」となります。
菜の花畠に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し
里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
春の歌として誰もが口ずさんできた「朧月夜」です。霞たなびく山にかかる月は朧。状況は同じでも暗い夜のぼおっとした情景には「かすむ」よりやはり「おぼろ」がしっくりとします。春のお月さまはほかにも「春月夜」「春満月」「春三日月」とどれもほのぼのとした雰囲気がしませんか? これも春立つ霞のおかげでしょうか。ちなみに今月は27日が満月となります。すこしずつ満ちていく月、欠けていく月を眺めながら春を待つのも心楽しいものですね。
末候は「草木芽動(そうもくめばえいずる)」まさに草木が新芽を出し始める時期です。木の芽月といえば陰暦の2月、今の3月中頃から4月にあたります。小さく固い新芽ですがその中には春のエネルギーが集中しています。雨に潤され風に吹かれてすこしずつ膨らむ芽から、木の芽雨、木の芽風という早春の厳しさとぬくもりを感じる表現もあります。やがてこれらの芽に色がつき鮮やかさを増す頃になれば春風はのどやかになり、駘蕩(たいとう)ということばがぴったりになっていきます。
瑞々しい新芽は真っ直ぐに生きようとする命の輝きそのもの、希望のかたまりです。清々しいかおりの「木の芽」といえば山椒の新芽。すりつぶし和え衣にすれば春の命をそのままいただくような気持ちになります。
新芽に感じる色はなんといっても緑、ところが春を知らせる土筆(つくし)は茶色の頭をにょっきりと伸ばします。スギナの胞子茎で先端が筆の穂先に見えるところから「土の筆」または春を司る女神「佐保姫」の筆と見立てられています。やわらかい土筆は湯がいてアクを抜くと、こちらも春の味となります。
春の兆しは大地にしみる水の動きが鼓動となり始まります。温められ霞が立ちのぼれば山から里まで生命が息を吹き、野原を春へと染めかえていきます。「雨水」の役割は初春から仲春への橋渡し。豊かに水を蓄えこれから始まる農作業にそなえた準備が今行われているのです。