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花びらは薄く半透明なさまが、まるで蝋細工のような艶をもつようにみえることから名づけられた「臘梅」は、モノトーンな雪の世界に明るい光をあたえます。
「臘梅や雪うち透かす枝の丈」 芥川龍之介
臘梅の花びらの透明感そのものが伝わってくる一句です。庭の片隅に植えられた1株の臘梅は、明治維新で家財一切を失い没落してしまった芥川家が唯一移し植えながら伝えてきた木、と書き添えられています。龍之介は嘉永年間に作られた「本所絵図」に載る芥川の家に血筋の正しさを確信し、残された臘梅とともに自己の存在を改めて認識できた喜びが、この一句にこめられていると感じます。
寒いさなか雪の中にともる灯りのように咲く黄色い臘梅には、周囲を明るくする力があります。住宅街を歩いていて塀越しに見かけると、小さな花ですが花の少ない時期にはとても嬉しいものです。香りも高くアロマとしても使われています。爽やかな香りは心を穏やかにしてくれるようです。見つけた時にはちょっと鼻も近づけてみてください。寒さで緊張していた身体がホッと癒されていくのがわかりますよ。
鳥のさえずりはまさに春の到来を告げます。繁殖期をむかえた鳥たちのエネルギーが、愛を求めてわが身はここなり、と知らせるさえずりになるからです。
「囀りをぬけて一羽の飛びゆけり」 上野章子
「囀りに秀でんとして和するなり」 佐々木六戈
小鳥たちのさえずりはきっと命がけ、それを眺めている俳人たちの目はなんだかとても冷静なようです。大勢の鳥のさえずりの中に一羽ずつ違いを見つけようとする観察力が発揮されていませんか? やっぱり一番人気はあの一羽、とばかりにさえずりを楽しみつつ品定め。さえずりも冬から春へすこしずつ変化していくようです。思春期から青年期へと成長する若者と同じなのでしょう。
「翔てば野の光となりて春の鳥」 長瀬きよ子
野の光となって飛び立っていく鳥に母のような心の温かさを向けているのが微笑ましいですね。
俳人の目と心は自然の流れを受け入れながら静かに見つめ、その変化の一瞬をとらえて五七五の一句に凝縮しようとしています。
この句を見つけた時、今年の「如月」の希望が見つかったような気がしました。
「きさらぎのひとを迎へし野のひかり」 八幡城太郎
ここでの「きさらぎ」は陰暦2月のことですから陽暦では2月半ばから3月頃にあたります。今の寒さよりもう少し春が進んでいると想像してください。寒さが峠を越えて野に光がさし始めたこのきさらぎにやっと大切なあなたを迎えられる、そんな喜びが謳われているのです。
新型コロナウイルス感染症拡大で世界中が格闘する中、人との接触がままならない今だからこそ、感染症が早くおさまり会いたかったあの人にもこの人にも会いたい、明るい光を待ち望む私たちの心の叫びと同じだと思いませんか。
2月はまだまだ寒さが厳しく「春は隣りにきているよ」といわれても実感が難しい時です。俳人たちはすこし季節を先取りしながら前へ未来へ、と歩みを続けているのだなとわかり元気が湧いてきました。
節分で豆を撒き、立春を迎えて暦に背中を押してもらいながら春のきざしを探す目をもって、さあ「如月」を進んでまいりましょう。