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しかし、今では滅多に見かけることはなくなっていますが、かつては花序の先端がニワトリの肉冠のように発達し、くねくねとうねった艶のある塊の花こそがケイトウでした。昭和の時代、日が暮れた帰り道の暗い路地にオバケのように佇んでいたその花は、「トサカゲイトウ」と呼ばれます。
「ケイトウ」と名のつく植物はいくつかありますが、すべてヒユ科(Amaranthaceae)に属し、さらにヒユ属に属するハゲイトウ(葉鶏頭 Amaranthus tricolor)とヒモゲイトウ(紐鶏頭 Amaranthus caudatus)、ケイトウ属(セロシア属)に属するケイトウ(Celosia argentea)とに大別されます。
学名からピンと来るかもしれませんが、特にヒモゲイトウは「ヒユ」「ヒモゲイトウ」という名よりも栄養価の高い健康食品として利用されることの多い「アマランサス」という名のほうが通りがいいかもしれません。いわゆる「ケイトウ」というときは、ケイトウ属のケイトウを意味することになります。ケイトウの原種であるノゲイトウ(野鶏頭)は、奈良時代に食用・薬用・染料として渡来したといわれています。染色に使われたことから古くは「唐藍(からあゐ)」と呼ばれていました。
ケイトウの花びらのように見えるトサカ状あるいは羽毛状の器官は、厳密には花ではなく花托(花器官が植物本体に接着している茎の部分。花床)が上部に突き出て変容成長したもので、本当の花は目立つ花托の下の部分で、肉穂花序にびっしりと小花が密集しています。近づいてよく見なければわからない花は五弁花で、ごくノーマル。花托が発達しない原種のノゲイトウでは、先のとがった円筒型の花序をなし、先端部がうっすらとピンクに染まり、化粧用のリップスティックのようにも見えます。
栽培種のケイトウは花序の形状からいくつかに分類されます。
羽毛ゲイトウ(プルモーサ)系は、変容した花冠が細く長い穂となって密集し、柔らかい鳥の羽毛が逆立ったような房状になり、かわいらしい外見が近年は特に人気が高く、公園や道路脇の植栽に盛んに利用され、観光用の花畑にも使用されています。
ヤリゲイトウ(チャイルジー)系は、形状はもっとも原種のノゲイトウに近く、ツンツンととがった花房が櫛のように突き出ています。こちらも鉢植えなどで近年人気が高いケイトウです。
トサカゲイトウは、ニワトリのトサカに似た花托が大きく発達し、トサカの下部の扇状にひろがった花托部分に細かい花がつきます。さらに大きな花托を取り巻くように、ノゲイトウの穂と同じような小さな付属花托がぱらぱらとつきます。その様子はどことなく動物的でぞわぞわとします。ノゲイトウ系の素朴なペンシル型から、徐々に肥大した花冠をつける変異種となり、やがてトサカゲイトウへと発展した経緯がうかがえます。草丈は50~130cmほど。
久留米ゲイトウ系は、トサカゲイトウの一種ですが、太平洋戦争時代、南アジアの戦地からの帰還兵士が持ち帰った種子から作出されたもので、トサカゲイトウの花冠のひだがさらに発達し、巨大なボール状になり、まるで脳みそのようにも見えます。
トサカゲイトウより大型で成人の背丈近くにもなり、モンスター感が際立ちます。今でも田舎に行けば、農家の庭先や畑に、仰天するような大きなトサカゲイトウや久留米ゲイトウをみることが出来ますが、今にも歩き出しそうなその姿はゴシックホラーさながら、インパクト抜群です。
形態がエキゾチックで発色も派手なケイトウは、大和的美意識とはかなりかけ離れているように感じますが、実は万葉集に四首も詠まれていて、万葉人にも親しみのある花だったことがわかります。
吾が屋戸に韓藍(からあゐ)蒔き生(おほ)し枯れぬれど 懲りずて亦(また)も蒔かむとぞ思ふ
(山部宿禰赤人の歌一首 巻三 384)
「うちの庭にケイトウの種を播いたけど、うまく育たず枯れてしまった。懲りずにまた植えたいと思っている」と詠んでいて、この頃すでに気軽に人里近くや庭に植えられていたことがわかります。ただ「韓藍」とは素朴なノゲイトウであったと思われます。
トサカゲイトウが登場するのは中世からで、室町時代頃には秋の庭草のひとつとしてたびたび画題になっています。トサカゲイトウのトサカは、時代が下るにつれて肥大化し、人が受ける印象も変わってきたのでしょうか。詩人・童謡作家の西條八十(1892~1970年)は、約100年前の1919年の詩集『砂金』で、ケイトウをこんなふうに詠っています。
鶏頭の下(もと)の
小(ち)さき地獄。
子よ、暴風雨(あらし)はやみたり、
秋の日淡く磯に零(こぼ)る、
爾(おんみ)、小舎の時計を扭(ね)じまき
爾の黒き外套を日に乾せ。
母よ、われは恐る、
鶏頭の花紅く傾けり、
銀の擺子(ふりこ)は揺ぎ、閃き、
明るき砂、燕は飛べど。
母よ、恐ろし
玻璃戸(がらすど)の外を眺めよ、
秋の日に、葉蔭に、なほも
暗く、暗く、凝りて、動かざる
その地獄。
(『鶏頭』 西條八十)
この象徴詩の中で、地獄の光景として立ち現れる「鶏頭」は、色鉛筆のようなかわいらしいノゲイトウでも、ふわっとしたぼんぼりのようなウモウゲイトウでもなく、毒々しいまでに真っ赤な花冠が発達し、肉穂花序が手のひらのようにひろがった、重々しいトサカゲイトウであることは間違いありません。
ケイトウを題材にした文学作品でもっとも有名な正岡子規最晩年の一句に下記があります。
鶏頭の 十四五本も ありぬべし
この句をめぐり、文学界・子規門下をまきこんで勃発した近代俳句史でもっとも有名な論争「鶏頭論争」(論争自体については、当コラムでもかつて詳しく触れたこちらの記事をご参照ください)で、死の迫る子規の心に「命」のシンボルのように焼きついた「鶏頭」も、おそらくトサカゲイトウでしょう。
近代から昭和の時代にかけて、ケイトウは時に畏怖を感じさせるほど花襞を肥大化させ、情念や魂が実体化したかのような異様な姿に変化したのです。素朴な庭草から野辺や路地に佇む「異形のもの」へ。そして現代は再び軽やかでかわいらしい姿へと変化しています。それは恐ろしいはずの「妖怪」が、かわいいマスコットキャラクター化してしまっている現代らしい傾向と言えるかもしれません。
けれども、今も昔も変わらない、日本におけるケイトウの普遍的なイメージは、松尾芭蕉の発句に表されています。
鶏頭や 雁の来るとき 尚あかし
この句はハゲイトウの別名「雁来紅」を下敷きにしています。冬が近づく頃やってくる雁。色あせていく初冬の景色の中でなお紅く燃えているケイトウ。
ケイトウはもともと熱帯系の植物で、真夏の頃から花が見られはするのですが、日本の風土の中にあっては、秋の田園風景に溶け込み、晩秋までひっそりと咲き続ける姿が思い浮かびます。そして深まっていく秋を見つめ、沈思しているかのようにやや傾(かし)いで立ち尽くす姿は、やはり存在感たっぷりの大きなトサカゲイトウがふさわしいように思います。
参考・参照
西條八十詩集 西條八十 笹原常与編 白鳳社
人気の草花103種 浅山英一 主婦の友社