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八月の異名も、他の月と同様数多くあります。深秋(しんしゅう)、秋風月(あきかぜづき)、秋清(しゅうせい)、盛秋(せいしゅう)、そして仲秋。秋のど真ん中、といった月名が多く見られるのも、秋の彼岸(秋分)は必ず旧暦の八月中に訪れるためです。燕去(えんきょ)、雁来月(かりきづき・がんらいづき・かりくづき)、萩月、月夕(げっせき)、月見月など、秋らしい自然の風物から取られた名称もあります。
ちなみに「葉」と「八」はともに「は」と読めることから、八月が葉月になった、との解釈もありますがこれは俗説で、「八」を「はち/はつ/は」と読むのは漢語の数詞で、和語では「や/やっつ」または「よお」です。
もっとも有力な仮説は「葉月の意味は葉落ち月」とするものです。『下学集』(東麓破衲 1444年成立・1617年刊行)に、
葉月、落葉時節故云也
とあり、『倭訓栞』(谷川士清 1777~1887年)では、
葉月の義、黄葉の時に及ぶをいふめり
と「黄葉(紅葉)の時期だから」としています。『倭訓栞』では続けて「西土にも葉月の名あり」と、西土(中国やインド)も八月を葉月と称することがあるとしています。
また、前述の『下学集』は、八月の異称「南呂(なんりょ)」の項目で前掲の落葉時節の文をあげています。この「南呂」とはもとは中国音階の一つが月名になったものです。つまり「葉月」という名称自体が中国由来であるを強く示唆しているのです。
となると、そもそも葉月は「和風月名」の定義からすらはずれてしまうことになります。如月や皐月も、漢字表記自体は漢籍由来ですが、読み方は「和風」オリジナルを保っていますし、意味(の仮説)も、漢字に準拠はしていません。それに比べると、葉月=葉落ち月の解釈は、完全に漢字の意味に寄り添ってしまっています。
旧暦八月を「木々の葉が落ちる月」「木々の葉が色づく月」とするのもおかしな話です。旧暦八月のもっとも遅い晦日(凡そ10月15日前後)ですら、高山や蝦夷の寒冷地ならともかく、人々が生活を営む平地・低山地帯や暖地では紅葉も落葉もまだ時期ではありません。江戸中期の僧侶で歌人の似雲は、歌集『年並草(としなみぐさ)』で「この月や粛殺の気生じ、百弁葉を落す。ゆえに葉落月といふ。今略して葉月と称す」ともっともらしく書いていますが、厳しい秋の気配が草木を枯らす「粛殺の気」ならば、五月節・芒種の七十二候「螳螂生(とうろうしょうず)」「鵙始鳴(もずはじめてなく)」でとっくに生じています。
また、「粛殺の気」が葉を落とすというならば、九月中・霜降の「草木黄落(そうもくこうらくす)」は、一体何の意味だというのでしょうか。葉月を「葉落ち月」「黄葉月」の意味とするのは、どう見ても違和感があります。
「葉落ち月」の解釈の出所は、八月異称の中でもメジャーな名称の一つ「桂月(かつらづき・けいげつ)」と関係しています。
実は「葉落ち月」とは、一般的な多くの落葉樹(桜やカエデ、ケヤキ、ハゼ、ニレ、クヌギなど)全般の紅葉/落葉時期を言っているのではなく、桂(Cercidiphyllum japonicum)の木にあてはめて解釈されたものなのです。
カツラは日本では建材として大変珍重され、尊ばれる木ですが、黄葉時期が早く、10月前半には黄色く色づきます。一方、中国では桂というと、ギンモクセイ(銀木犀 Osmanthus fragrans)のことを指します。旧暦八月ごろ、今の9~10月ごろには、ギンモクセイの花「桂花」が咲く時期。その月光のような白い花は、仲秋の名月の時期と関連付けられます。だから「桂月」と呼んだのです。これが日本に伝わったのですが、日本ではカツラはハート型の葉をつける落葉高木。「確かにカツラの木はこの頃色づき始めるし、はらはらと散り落ち始めるなあ」と意味が転移され、さらにそれが一般的な落葉樹の紅葉/落葉の意味である、といわれるようになってしまったわけです。
月の名は、古代には大切な生活の情報でしたから、自然とはそぐわない名を古代人がつけるはずがありません。もしずれた意味があるようなら、そこには後代の、情緒的・恣意的解釈による歪曲があるのです。
では、他の「はづき」の解釈にはどんなものがあるのでしょうか。本居宣長は、この月に稲の穂が成長して張り出すので「穂張り月」の「ほ」と「り」が抜け落ちて「は月」となった、としていて、これは新井白石の『東雅』、賀茂真淵の『語意考』などとも共通する江戸期国学者系の主張です。が、「穂張り(ほはり)」の頭とお尻が抜け落ちた、というのはあまりに無理がありますし、これまでのコラムでも何度か書いていることですが、和風月名の意味を水田稲作に結びつけるのは論理的に無理があります。稲の水耕栽培もまた、外来文明だからです。ですから私たちは、「は」という音そのものと、古から変わらない日本列島に息づく生命・自然現象全体からヒントをさがしていくべきでしょう。
旧暦八月といえば、八朔(八月一日)はもちろん、台風襲来が多いとされ農家にとっては忌日となる雑節・二百十日や二百二十日などが月内にめぐり来ることもある風雨災害が頻発する時期に当たります。台風が来ればまさに草木の葉は激しい雨風でちぎれ飛び、散り舞うことになります。「葉落ち月」にするのなら、なぜ台風と関連づけなかったのでしょうか。
台風・大風といえば、それをつかさどる神は、日本神話ではスサノヲノミコトになります。この荒ぶる男神は、父イザナギの鼻から生れ落ちたとされます。鼻=はなは、呼吸という「風」と関連する器官です。植物の葉もまた、植物にとっての呼吸器官です。
スサノヲは、高天原での狼藉が過ぎてその地を追われ、出雲の国(島根県)肥河を彷徨います。そして国つ神アシナヅチ、テナヅチの娘、クシナダヒメに出会い、姫が「八つの谷と八つの山にまたがるほど巨大で、八つの頭のある大蛇・やまたのおろち」の生贄になる運命だと知り、その退治を引き受けます。スサノヲは見事オロチを退治し、世界で最初の和歌となる「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」の歌を詠んだのです。どこまで「八」が繰り返すのかというくらいに八づくし。そして、オロチでもあるヘビの古語は「ハハ」。マムシも、古語では「ハミ」と言います。「お母さん」の意味の「母」とヘビの「ハハ」は同根です。
ハナ(鼻)から生まれたスサノオが「ハハ」を退治したのは八月、台風の季節と関連づけられるのは自然なことではないでしょうか。
そしてこの季節に咲く花と言えば、古代から日本人に愛されてきた萩(Lespedeza)。「萩」という文字は国字(日本で作られた漢字)で、それだけ日本人に愛されてきた植物です。「はぎ」という音の由来は、一般的には毎年枯れ落ちた株の根本から若木が生えるので「ハエキ(生芽)」とか、茎が這うように伸びるさまから「ハクエキ(延茎)」などという語源説が有名ですが、どうも納得できません。筆者はハギとは、災害などでむき出しになった荒地にいち早く進出し、引き裂かれた大地を癒し「接(は)ぐ」ように、茎を伸ばして花を咲かせるその草を「はぎ」と呼んだのではないか、と思うのです。
「はぐ」という日本語には「剥ぐ」=引き裂き、引きちぎる、吐く、掃く=はがす、という意味と「接ぐ」=ほころびをつぐ、履く、縫い付ける、というまったく逆の意味があります。「息を吐く」という言葉があるように、「はく」には、何かを吐き出す、排除するという意味と、吐いて吸う呼吸の運動が、生命体の内と外とを常にダイナミックに交換し、命をつないでいる意味との両方があるのです。台風もまた、地球という巨大な生命体の呼吸と考えることも出来ます。
「育む(はぐくむ)」という言葉があります。親鳥がその羽(は)で、くくむ(含む)ことが語源とされます。
「歯」「葉」「羽」など、「は」は日本語では大きな基幹部(樹木の幹や生物の体など)から生え出る薄く小さな切片を意味します。草木の葉や、翅をもつ小さな生物たちをきりきりまいさせ、川を氾濫させて野「原」を濁流に浸す台風や集中豪雨。それはまがまがしいヤマタノオロチ=ハハに喩えられました。
その自然の脅威から小さな幼い命を必死に守る母=ハハたち。そして「はげしい」災禍が去った後、傷ついた大地を「はぎ」接ぐように咲き始めるハギの花。恐ろしい台風もまた、列島に飲み水や新陳代謝をうながす恵みでもあります。
「は」の持つ両義的で複雑で、功難併せ持つ働きが「は月」の意味にこめられているように思われます。