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今回は、登山史上最大のミステリーといわれる謎に包まれたエベレスト初登頂と、登頂記録に名を刻む日本人登山家についてご紹介します。
ヒマラヤ山脈にそびえる世界最高峰エベレスト。山頂はネパールとチベット自治区の国境上にあります。「エベレスト」は英語名で、イギリス人の探検家・地理学者でインド測量局の長官を務めたジョージ・エベレスト(1790~1866年)の名前に由来します。チベット語では「チョモランマ(大地の女神)」、ネパール語では「サガルマータ(大空の頭、世界の頂上)」と呼ばれています。
一般的によく知られているエベレストの標高は8848m(現在では8850mとも)。酸素が平地の3分の1といわれる標高8000m以上は、人間が生存できる限界を超える「デスゾーン(死の地帯)」といわれ、多くの登山者たちの挑戦を退けてきました。1953年の初登頂以来、今なおエベレストの山頂は、限られた者しか立ち入ることができない特別な世界なのです。
今から100年前、最初にエベレストの登頂を試みたのはイギリスでした。当時のイギリスは、インドを支配下においてネパールやチベットでも勢力を誇っていました。エベレストを征服することは、国の権威をかけたプロジェクトだったのです。1921年、22年、24年と3度の遠征隊を送りますが、頂上に迫りながらも踏破は叶いませんでした。
世界初のエベレスト登頂は、さらに約30年の時を経た1953年5月29日、ニュージーランド出身の登山家エドモンド・ヒラリー(1919~2008年)とシェルパのテンジン・ノルゲイによって達成されることになるのです。
1920年代のイギリス遠征隊に参加した伝説の登山家、ジョージ・マロリー(1886~1924年)をご存知でしょうか。24年に行われた3度目のエベレスト挑戦で、パートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に山頂付近で消息を絶ちました。ふたりが頂上に向かって登って行く様子を見た別の隊員の目撃証言から、マロリーとアーヴィンが登頂に成功した後、下山する際に遭難した可能性もあり、登山史上最大のミステリーとなっているのです。
マロリーの生涯は書籍や映画の題材にもなり、彼が世界初のエベレスト登頂を果たしたか否かは、現在も論議を呼んでいます。
エベレストでは、多くの日本人登山家も活躍しています。1970年5月11日に登山家・松浦輝夫さん(1934~2015年)と冒険家・植村直己さん(1941~1984年)が日本人として初めてエベレスト登頂に成功しました。そのため、5月11日は「エベレスト日本人初登頂記念日」となっています。
1975年5月16日には、田部井淳子さん(1939~2016年)が女性として初めてエベレスト登頂を成し遂げます。田部井さんは、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる偉業も達成しました。
現在のエベレスト最高齢登頂者は、スキーヤーでもある三浦雄一郎さん(1932年~)です。2013年5月23日、達成時は80歳でした。三浦さんは70歳、75歳でもエベレストに登頂しています。女性での最高齢記録は、2012年5月19日に渡辺玉枝さん(1938年~)が73歳で達成しました。
日頃からの鍛錬あってこそとはいえ、年齢を超えた飽くなき好奇心、チャレンジ精神の賜物というほかありません!
ジョージ・マロリーは、1923年のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで「なぜエベレストに登るのか」という質問に、「そこにあるから(Because it is there.)」という有名な言葉を残しました。
人生を山に例えて考察するのも、大きな目標を持つ大切さを見出すのも、エベレストに魅入られたロマンを感じるのも、解釈する人の心が決めるシンプルな言葉です。
困難が大きければ、達成した時の喜びも大きいのは確かです。そのためには、まずは今の自分に合った「山」を見つけて登ってみるとよいかもしれませんね。
みなさんは、マロリーの言葉に何を感じましたか。
参考サイト
ナショナルジオグラフィック
ナショナルジオグラフィック
日経新聞
文春オンライン
Yamareco