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王朝時代には初夏を代表する野の花であったウツギ=卯の花。
神まつる卯月に咲ける卯花は白くもきねがしらげたる哉
(凡河内躬恒/おおしこうちのみつね)
「神祭の卯月に花開く卯の花の白さは、巫女が杵で搗(つ)いたようだ」と歌われ、卯月の語源ともされます。
ウツギ(Deutzia crenata)はアジサイ科ウツギ属の落葉低木で、全国に分布します。五月から七月初旬ごろ、日当たりのよい崖地や里山の道筋などで、よく分枝する枝先に、こぼれるばかりに真白い五弁花をふさふさと咲かせます。
木の大きさが2~3メートルと比較的こぶりで、花の位置が人の目線から近いため、親しみやすく、またさほど強くはありませんが、爽やかで甘い香りも好ましいものです。
ウツギの木は丈夫な上、巨木化しないため、田畑の境界の目印となる境木(さかいぎ)として盛んに植えられてきました。境木には、クワ、カマツカ、マサキ、チャノキ、エノキなども植えられますが、ウツギはもっともポピュラーな境木で、古い言葉で境界をあらわす「クネ」という名がウツギの方言としても知られています。
また、屋敷の境に植えられる垣根にも、よく用いられたため、和歌にたびたび登場しますし、「卯の花のにおう垣根に」という謳いだしで知られる「夏は来ぬ」という歌もありますよね。
田畑の境木として植えられている上に、花期は田植えの時期と重なるため、ウツギには田植えに関わる「タウエバナ」「ソートメ」(早乙女)といった方言もあります。収穫を願って、田の水を引く水口に、ウツギの枝を手折って立てるといった習俗も知られています。
そして境界に植えられる木とは、うちと外、この世とあの世、現界と異界の境に立つゲートの意味を持っていることが多く、ツバキ(椿の名はみちわき=道分が語源とも言われます)やサカキ(榊という名はそのまま境の木の意味とも言われます)などの例をあげることが出来ます。死後の世界や異界との境に立つことから、ウツギの別名には「死人花」といった名前もあるのです。
ではウツギという名はどこから来ているのでしょうか。卯月のころに咲くから「卯つ木」だけでは前編でも述べたとおり、説明になっていません。有力な説はウツギの木が、成長した枝から髄(維管束植物全体に見られる植物体の茎・根の中心部の柔らかい海綿状柔細胞)が消失し、まるでフキの茎のように、中が中空になっているため、「空ろ木」から転じて「うつ木」となった、というもの。
現代人はわざわざ用もないのに木の枝を折って断面を見たりはしませんが、かつては雑木の枝の髄を蝋燭の灯芯に使用していましたから、古代の人が木の使用目的により、その性質や特徴を把握していたとしても不自然ではありません。
先史時代には、たいまつや焚き火だった夜の灯火は、古墳時代から飛鳥時代ごろには、上流階級では結灯台(むすびとうだい)、または竹の灯火と呼ばれる、油皿に植物の髄を撚(よ)って浸した明かりへと変わりました。灯芯には主にイグサの髄が用いられましたが、木の枝の髄も灯芯として利用されました。髄を取ろうと枝を切ると中が空っぽ。「空ろでおじゃる」と宮廷人は思わずつぶやいたかもしれません。
「ウツギ」と名のつく木はこの木だけではなく、同じアジサイ科には、マルバウツギ(Deutzia scabra)、ヒメウツギ(Deutzia gracilis)、ノリウツギ(Hydrangea paniculata)、ガクウツギ(Hydrangea scandens)、コガクウツギ(Hydrangea luteovenosa)、バイカウツギ(Philadelphus coronarius)などがあります。
このうち、マルバウツギやヒメウツギ、ノリウツギはウツギと同様、髄が消失して中空構造ですが、花がガクアジサイによく似たガクウツギやコガクウツギは、ガクアジサイ同様に髄がよく発達していて、その髄は灯芯によく用いられ、「灯芯木」という名もあるほどで、ウツギの意味が「空木」ならば矛盾します。バイカウツギもみっしりと枝に髄がつまっています。
スイカズラ科にはツクバネウツギ(Abelia spathulata)やタニウツギ(Weigela hortensis)などがあり、ツクバネウツギ類は、枝が老化すると髄が消失する傾向もありますが、全体が中空にはなりません。タニウツギには髄がつまっています。
ミツバウツギ科のミツバウツギ(Staphylea bumalda)は、「ウツギと同様中空になる」と解説されますが、この木は筆者も切って確認してみたところ、髄がつまっていました。
髄があっても木の姿や花がウツギに似ているためにその名がついている、という説明も出来そうですが、それですとフジウツギ科のフジウツギ(Buddleja japonica)などは、花も姿もウツギに似ているとは到底言えませんし、また髄も中空ではないのです。このほかにもまだまだ「ウツギ」と名のつく木はあります。
これらの木本を、「髄が消失して中空である」あるいは「アジサイ科のウツギに花や姿が似ている」のどちらかでくくることは、不可能です。
ということは、そもそも「ウツギ」という名は、枝や幹の中が中空=空ろだからという理由でついた、とは言い得ないことになります。唯一、これらウツギ類のほとんど全てに共通点があるとしたら、それは「里山で田植え期前後に花が咲く木」ということのみなのです。
如月(仲春)で草木が芽生えつぼみが膨らみ、冬眠していた生き物たちが目を覚まします。
弥生(晩春)でいよいよ花々は咲き、生き物たちの繁殖行動が盛んになり、妊娠し、卵を産みます。
そして卯月(孟夏)で、咲いた花々が結実へと向かい、生き物たちには新しい世代の子どもたちが続々と湧き出ます。
足元を見れば、トカゲやヘビ、カエルの小さな可愛い幼体がちょろちょろとしていますし、緑豊かになった木々や草にも、青虫や毛虫が取り付いて、もりもりと食草を食べて成長しています。軒下には夏鳥のツバメの巣の中で雛たちがさざめいて親鳥から給餌を受け、水辺にはカルガモの雛の列が親ガモを追っています。
「う月」とは、自然の摂理「穀霊 ウカノミタマノミコト」に祝福されて「生まれ」出た新しい生命があふれ出て、その生命活動に「埋めつくされる」。新しい世代が世界=「宇/う」を刷新して満ち満ちる。そんな季節をあらわした言葉だったのではないでしょうか。
だから、この季節は「う」月とされ、この季節にまぶしく咲くさまざまな花の木は「『う』つ(の)木」、ウツギ、と名づけられたのではないでしょうか。
柳田國男が「卯月とは初や産と関連しているのではないか」と喝破した説を、筆者は支持します。
もっとも、この「産む/生む」「うぶ/初/産」という言葉も、卵や種子、子宮といった「器(うつ・わ)」「うち/内/家/中」から「生まれる」=「う・洩れる」現象ですから、「空ろ」とまったく関係がない、ということではないのです。中が中空の植物の代表、竹の中空からかぐや姫が生まれ出るように、中空には神・霊・命が宿る、という直観的イメージが生きていたからこそ、「ウツギとは空ろ木という意味に違いない」と、中世・近世の賢者たちは考えたわけで、その知性と直観には畏敬の念を抱くほかありません。
現代の日本人は桜が終わると「花見」も終了、となりがちですが、是非、初夏に咲く「ウツギ」の仲間たちの花にも注目してください。和歌や唱歌「夏は来ぬ」で愛でられた理由が、きっとわかると思います。
(参照・参考)
植物の世界 朝日新聞社
海上の道 柳田國男 岩波書店