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日本の春で最大のイベントはなんと言っても花見。花はほかでもなく桜。桜への注目は平安時代の和歌集「古今和歌集」(以下の表記は「古今集」)に始まります。
今回は、その桜の和歌の一端をご紹介したいと思います。
〈世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし〉
作者は、在原業平という和歌と恋に秀でて名を成した当時随一のイケメンです。
この世間に桜の花がまるっきりなかったら、春を過ごす人の気持ちは、どれほどのんびり出来ただろうに、花のせいでまったく落ち着かないよ、と詠んでいます。
この歌を文字通り桜を嫌った歌と思う人は、まずいないでしょう。
桜がそろそろ咲く頃だと気づくと、あれ、いつが開花なんだろうと落ち着かず、つい庭や街路を見、人に聞き、今であればテレビやネットのニュースを必ず気にすることでしょう。つまり、それぐらい桜が好きでたまらない、ということを主張しているのです。
桜の開花に合わせて桜前線を追って日本を縦断する人もあるそうですが、この歌からは、日本人の桜への愛着は1000年を隔てて変わらないことがわかりますね。愛は盲目とも言いますが、この作者は桜がどのように美しいかなどとはひとことも言っていません。
桜が咲くというだけで気持ちが高まり、理性は吹っ飛び、とろけるような気持ちになることのみを歌っているのです。これはもう恋人と同じですね。
和歌の技法で擬人法がこの頃に盛んに用いられました。その一例に下記の歌があります。
〈ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらん〉
作者は紀友則という人で、こちらも先ほどと同じ技法の歌です。春の日差しはこんなにのんびりしているのに、どうして桜はせわしく散り急ぐのかと、薄情な桜を恨んでいます。二首ともに桜を恋人のように扱って詠んでいます。当時それほどに桜が人に身近な花だったのです。
平安京という場が人工的な箱庭のような都会だったことも理由のひとつですが、それにしても、これらの和歌には、日本人の自然に寄せる心の伝統の根のようなものが感じられます。
〈さくら花 ちりぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞたちける〉
作者は、この時代を代表する歌人、紀貫之です。まだ咲き始めの桜は、雨風に強いそうですが、満開を過ぎると、ほんのそよ風でも枝から離れ空に舞いつつ散るものです。この歌は、さっきちょっと風が吹いたようだけど、その証拠のように桜の花びらが空に浮かんでいるが、それは白い波が広がっているように見えるよ、という光景を詠んでいます。
比喩によって、桜が空中に美しく舞うさまが目に浮かんでくる表現は、先の業平詠とは別の桜の詠み方がされていると言えます。こうした比喩で効果的に描写するのも、この歌集の特色とされています。
しかし、業平と貫之の二首は、別のようで別ではないとも言えます。それは、どちらも自然への強く熱いまなざしが感じられるからです。自然に対して強い親密感を持つ作者の心意気こそが、この二首の支えとなっています。
次回は、鎌倉時代初めごろまでを範囲として、時代を追って桜の和歌をみてゆきたいと思います。そこには注目して述べるべき変化があります。
それにしても、人と自然との結びつきの深さには、「古今集」以来、変わらない愛着を日本人は持ち続けてきているようですね。
さて、今年の桜はいつ頃開花するのでしょうか。